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2004/03/16

映画部#2

いよいよ『クローバーフィールド/HAKAISHA』が公開!ってことで、またもや夜な夜な「映画部」が開かれました。他愛のないおしゃべりにどうぞお付き合いください。

この雑談は『クローバーフィールド』の内容に触れています。純粋に映画を楽しみたい方は取り扱いに充分注意してください。

●テロの記憶からどれだけ遠ざかれるか

ひまわり親方(以下、ひ):
“『ブレアウィッチ・プロジェクト』、再び”って声も高いけれど、『ブレア』が「アイディアだけ」の映画だったのに対して、『クローバー』はその“ハンディカメラ”という限定的な視点を生かすために全精力をつぎ込んで、とんでもない特殊効果を付け加えた感が強い。

牛津(以下、牛):
そうだね、時代は『ブレア』の頃と比べものにならないくらいに過剰な先鋭化を遂げて、いまやどこにでもメディアがあふれかえってるからね。i-podに、携帯電話に、ハンディカメラ。もはや映画の撮影カメラが定位置でドーンと構えて、さあ、パニック・アクションを撮るぞっ!て時代は過ぎ去ったのかもね。『インディペンデンス・デイ』のホワイトハウス爆破の衝撃も、『アルマゲドン』の隕石落下もすっかり過去の産物に成り果ててしまった。

:皮肉なことにそれらの衝撃をいとも簡単に超越してしまったのが「9.11テロ」の映像だったわけで、不謹慎を承知の上で言わせてもらうと、あと10年間くらいはあれ以上の映像に出逢えないと思う。

:あの不測の大事件で「カメラは傍観者ではない」ってことが証明されたよね。ビルに追突する旅客機、それにかぶさるように聞こえてくる「Oh my God」の声は、その視点が決して無機質で中立的ものじゃなく、傷つき、取り乱す生き物なんだ、ってことを改めて教えてくれた。

:J.J.エイブラムスは絶対に否定するとは思うけれど、『クローバーフィールド』のアイディアを辿っていくと絶対その記憶に触れることは避けられないと思う。

:もうさ、破壊されていくニューヨークの映像を観ながら、9.11から6年しか経ってないのに大丈夫なのか?って思った。全米公開のときも「カメラが揺れるので気分が悪くことがあります」って注意書きが劇場のそこかしこに貼られたらしいけど、あれは別の意味もあったと思うよ。

:つまり「テロの記憶を呼び覚ます危険性があります」っていう?

:うん、観客にあらゆる意味での“衝撃”を覚悟させるための予防線だったんじゃないかな。でも、テロの被害者でこの映画を観たいと思う人はゼロに等しいと思うけれど。

:J.J.エイブラムスは「これは遊園地のアトラクションみたいなものです!安全に遊べるジェットコースタームービーです!」って強調することで「テロの記憶」からの脱却を図ってるよね。

:そして極めつけは、この極限状況を作り出す“元凶”として、ニューヨークの真ん中にとんでもない生物を降臨させるという…

:日本人なら誰もが「あっ!」と思っちゃうよね。J.J.エイブラムスもこのアイディアを日本でひらめいたって言ってるし。

:見方によっちゃ、あのローランド・エメリッヒ作品のオルターナティブとも言えるかもね。

:それに、エンディングテーマ曲、聴いた?

:うんうん、あそこで絶対に席を立っちゃダメだよね。日本人にとってはどこか懐かしさすら感じさせるあの曲調、ぜったい“あの映画”へのオマージュに違いない。それに女性の神秘的なソプラノはむかしの東宝SF映画を思い出させる。

●なぜそこにカメラが存在するのか?

:それにしても、冒頭の15分くらいはツラかったね~。男女のイチャイチャするくだりなんて観たかねえつうの(笑)。

:純粋なパニックムービーを楽しみにきた人なら空き缶投げたくなるよね。金返せ!って。でもさ、注意してみてると、映画の構成としての複線がたくさん貼られてて、後から「なるほど」と感心しちゃうところもあった。

:たとえば?

:サプライズ・パーティーを企画する友人たちが、それぞれカメラに向かって名前とメッセージを吹き込んでいくシークエンスは、実はラストシーンに繋がっているという…

:あれは皮肉なつながりかただったね…。あと、カメラを向けられるとみんなどこか“よそ行きの顔”をするところも面白いよね。

:懺悔でもしてるみたいに神妙な表情になったり、今まで言えなかったことを伝えようとしたり。

:あと、俺、この衝撃的な記録映像がすべて“重ね撮り”されたものだったっていう設定にはかなり驚いた。

:そうそう!初めのほうで“大事な映像に上書きされてる”ってことが分かって、持ち主がかなり落ち込むんだよね。あれはかなり重要な複線になってる。

:黒沢清の『ニンゲン合格』で、テレビの臨時ニュースを交えて家族が茶の間に勢ぞろいするっていう奇跡的なシーンがあるけど、俺はこの“重ね撮り”にそれと匹敵するくらいの斬新さを覚えたなあ。

:いまこの瞬間に撮影を続けることで、もとに映ってた恋人たちの記録が刻一刻と消滅していってるんだよね。映画の裏側で“記憶のデッドヒート”が巻き起こっている。最後に残るのはどっちの記録だ!?っていう。

:カメラの記録容量って、僕らの頭の中の記憶要領を象徴的に表したものだよね。何かとんでもないことが巻き起こると頭の中の大事な記憶がぶっ飛んじゃうけど、それはこの映画が描く“上書き”って概念に似ているかもしれない。

●誰でも撮影者になりうる時代がやってきた

:本作の隠れた主役(=撮影者)はパーティーの直前にいきなり「お前、今日、カメラ役な!」ってハンディカムを渡されるんだよね。

:あの“素人カメラマン”が大惨事の渦中に巻き込まれ、突如“歴史の記録者”に変貌する瞬間は想像するだに恐ろしいよね。

:ああいうとき、単純にカメラを切って逃げればいいのに、彼は片時もカメラを放そうとしない。さっき言ったみたいに、ほんの成り行きでカメラマンに抜擢されただけなのに。でもその“カメラを放したくても放せない”って気持ちは、現代人としてなんとなく理解できる。

:何か起こったときにカメラを回し続けるっていう衝動は、それだけ世界中で市民権を得てきてるよね。ミャンマーのデモだって、チベット暴動だって、そういう衝動的に撮影されたものがたくさんあって、いまやYoutubeで世界中に発信されているわけだし。

:『クローバーフィールド』ではカメラを回し続ける彼に「不謹慎だからやめろ!」って言う人は誰もいない。不快感を露にする人はいるけどね。

:それどころか、吹っ飛んできた自由の女神の頭部を囲んで、思わず携帯ムービーを撮っちゃってる人がいたよね。みんな逃げることより「あ、ムービー撮んなきゃ!」って衝動のほうが強いんだよね。

:それだけパニクってる、って意味でもあるんだろうけど。

:パニックのバロメーター?

:うん、「カメラを回さなきゃ」っていう責任感が半分と、「あまりに怖くてカメラなしでは直視できない」っていう気持ちが半分と…あれ、いまのセリフ、どこかで聴いたことあるような…?

:それ、『ブレアウィッチ・プロジェクト』のセリフだよ。

:そうか、やっぱり『クローバー』も、僕らも、あの映画に大きな影響を受けてるのかな。認めたくないけど。あと、『ゴジラ』ね。『ブレアウィッチ』+『ゴジラ』がこの映画の正体!

:『ブレアウィッチ』は第2弾、第3弾も作るって言ってたけど、あの後、どうなったんだろう…。そういや、『クローバーフィールド』も今後、続編が出来るみたいだよ。あのバケモンがどうなったか分からないし、どうも日本の企業とかが絡んできたりもするらしい。

:メカゴジラとかキングギドラと闘うのかな?うーん、今作は楽しめたけど、正直、第2弾はもう観たくないな…親方は?

:俺も、腹いっぱいかな…。あくまで手法として堪能したのであって、新たな怪獣とか、ディテールとか、残された謎とか、けっこうどーでもいい感じ。

クローバーフィールド/HAKAISHA
製作:J.J.エイブラハム
監督:マット・リーヴス
出演:リジ-・キャプラン、ジェシカ・ルーカス、T.J.ミラー、
マイケル・スタール・デイヴィッド、マイク・ヴォーゲル
(2007年/アメリカ)パラマウント ピクチャーズ ジャパン
4月5日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズ他全国ロードショー

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2004/03/15

映画部#1

いよいよ『ノーカントリー』が公開!ってことで、2008年3月13日、たまたま「ひまわり親方」と遭遇したことから、その流れで夜な夜な「映画部」が開かれました。話題の中心はやっぱりこの映画。『ノーカントリー』を観て悶々とした気持ちが抜けきらないでいるあなた、他愛のないおしゃべりにどうぞお付き合いください。


●いつものコーエン兄弟とちょっと違う?

ひまわり親方(以下、ひ):
いま話題のコーエン兄弟の作品といえば?

牛津(以下、牛):
そりゃもちろん『ノーカ…

:『Henry Kissinger, Man on the Go』!

:ああ(笑)、彼らがアカデミー賞のスピーチで触れてた作品ね

:ジョエルが15歳、イーサンが12歳の時の初監督作だって。ふたりでスーツを着て空港に乗り込んで、シャトル外交についての映画を撮ったっていう

:子供ながらに凄い発想だよね。タイトルも斬新だし。そして『僕らは今も、あの頃とちっとも変わってません』っていうスピーチ、よかったね。他の受賞者と違って、感極まって泣いたりもしないし

:興奮してるコーエン兄弟なんて見たくないよ

:ずっと自然体でブレずにやってきたから、大人になってもマイペースな部分は変わらないんだろうね。彼らの場合、製作、監督、脚本、それに“ロデリック・ジェインズ”名義での編集に関してもずっとふたりの共同作業だから。

:「分業はしてません、すべての過程において完全なる共同作業です」って語ってるよね

:だからこそ、あの掴み所のない独特の空気が貫けるのか

:でも、『ノーカントリー』はこれまでとちょっと違ってたよ。これまでの飄々とした部分を残しつつも、なんか鬼気迫る感じがハンパじゃなかった。あれは「映画を観る」っていうより「体感する」って言った方が適切かも

:去年の作品賞が『ディパーテッド』だったじゃない。あれはスコセッシへの敬意の表れみたいなものだったから、映画単体としての評価じゃなかった。それに比べて、今年の『ノーカントリー』は、鑑賞者ひとりひとりが受けた途方もない衝撃を、授賞式のあの場でみんなでもう一度共有したい、っていう想いが強かった気がする

:共有しなきゃ始まらない映画だよね

:うん、映画があまりにも強大すぎて、ひとりで抱えようとするとグシャっと潰されちゃう

:心の中の変なツボにはまって、ずーっとダークな気分を引きずったりね

:逆に、ハビエルの髪型のことばっかり思い出して笑いが止まらなかったり(笑)



●『ノーカントリー』には正解がない?

:僕らがこれほどショックを受けて潰されそうになってるのは、この映画の解釈に“正解”が存在しないからじゃないかな

:そうだね、「これだ!」って確信を突いたところで、すべてが曖昧なモヤの中に放り込まれてしまって、とたんに相手の姿が見えなくなってしまう

:「アメリカについてのメタファーだ!」とか「世界を覆った暴力の連鎖だ!」とかいろんな指摘があるけれど、この映画(原作)は意図的に観客に“つかまらない”ようにできてるよね

:作り手の「そうかもしれないし、違うかもしれない。でも君に正解はあげないよ~」っていう飄々としたスタンスがすごくコーエン兄弟らしい

:あまりメディアに出たがらないコーエン兄弟がいくつかのインタビューに答えてるのを見たけど、どの質問でもこの映画の解釈の部分には絶対に触れてないんだ。不思議な間合いでスルスルと質問をかわしちゃう

:映画監督にはだいたい二種類いて、自分の作品に関して分析的に語ってくれる人と、そうじゃない人がいる。きっとコーエン兄弟は後者なんだろうね。その代わり、“皆さんがどんなに受け取っても僕らは一向に構いませんよ~”っていうことなんだと思うよ

:評論家から2時間の映画をたった一言で「アメリカのメタファーだ!」って要約されたとしても、やっぱり笑顔で「さあ、どうかな。僕らは原作を忠実に映画化しただけだし」って流しちゃいそうだね

:ブログで「はっきり言って不快でした!」「あれが作品賞だなんて理解できません」っていうストレートな意見を数多く目にしたけど、あれはむしろコーエン兄弟にとってウェルカムな反応だと思う

:観客の心の中に到達できた、って証だもんね

:原作の「血と暴力の国」って邦題が表現するように、この物語が“アメリカ”の要素が少なからずあることはまず間違いない。ストーリーラインもテロ対策やイラク戦争で目に見えぬ敵に対してどんどん武装化して強硬路線を突き進んでいく過程と一致してる。けれど、その解釈だけがすべて、というわけではないんだよね

:そうだね、それは解釈のひとつに過ぎないよね

:コーエン兄弟のことだから、あからさまな政治的メッセージを込めた映画を作るとは考えられないし、大統領選にあわせた共和党タタキってわけでもなさそうだし

:でも、仮に同じ原作でコーエン兄弟以外の監督がメガホンをとったとしたら、まったく違った脚色で、ガラッと雰囲気の違った映画になったと思う

:シガーの生い立ちが描かれてみたりね(笑)

:彼の家庭はひどい暴力家庭でした、とか(笑)

:この映画に被害者論を持ち出したらおしまいだよね

:この前、原作を読んでみたんだけど、モスやシガーのアクションが事細かに描かれる一方で、彼らの感情がほとんど描かれてないんだ。映画と全くおんなじで、すごくドライ。そして途中途中で、ベル保安官が閑話休題的に「恐ろしい時代になったなあ」ってボヤくという。

:ベル保安官は読者にとって砂漠の中の水みたいな役回りなんだ?

:キャラ的にはそうだと思う。そして僕らにいちばん近いところにいる人間でもある

:でも、むしろシガーの暴力性こそ身近でありふれたものかもしれないよ

:原作者のコーマック・マッカーシーは“シガー”について“純粋な悪”と説明してるらしいけど

:個人的にはその説明は要らない気がするな

:かえって世界観を縮めちゃうかもね

:世の中に“説明が存在しない”ってことほど恐ろしいものはないんだよね。いずれにしても、この映画の凄さは、“世界観を限定しない”ことで、あらゆる時間や空間をスッポリ飲み込んじゃったるところにあるんだと思う

:ギリシア悲劇みたいに?

:あるいは“黙示録的”というか。物語的にあれこれ考え出すとキリがないんだけど、むしろ、精神的レベル、本能的レベルで体感したほうが楽しめるんじゃないかな

:そうそう、いま唐突に思い出したんだけど、6月に公開予定のポール・ハギス監督作『告発のとき』でもトミー・リー・ジョーンズとジョシュ・ブローリンが共演してるよね。ストーリーは別物って分かっていても、頭のどっかでハビエル・バルデムの姿がチラチラって浮かんできて、あの凶悪事件の犯人は…あいつだ、絶対にあいつだ、間違いない!って思っちゃって…

:病んでるなあ…でもそれはまた別の症例なので、次の機会に

というわけで、夜も更けてきましたので、今回はこの辺でお開きに。
おつきあい、ありがとうございました

『ノーカントリー』レビューはこちら

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