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2005/09/13

『サイドウェイ』で、華麗なる負け犬文化を学ぶ。

そもそも美形俳優が揃い踏みの映画のためにわざわざ劇場まで足を運ぶことに、いったいどんな意味があるというのか。仮にそういう疑問で始めたならば、そこには、本作のように「あまりパッとしない」風な俳優たちが一堂に会した映画を観ることに意味はあるのか、という対となった疑問さえもが立ち現れる事態も考えられる。

要は、両者ともに等価値ということだ。

顔が良くても悪くても、結局、観客はものの5分もすれば顔のことなんて忘れる。もしも10分、30分、1時間後でもずっと「かっこいいなあ…」と俳優に見とれている観客がいたとすれば、それは映画じゃなくて特定の俳優を観に来ているのだと、多少の悪意を込めてそう断言してやっても構わないだろう。

つまり、ポール・ジアマッティのような顔立ちの俳優が登場し、「うん、このワインの香りは…」なんてうんちくを垂れながら、豊穣なその液体を舌の上で器用に転がしてみせる様子に、僕らはきっと、「その顔で美を語るなんて…」という多少の“絵にならなさ”を一笑しがちなのだが、観客が彼の顔の“面白さ”をちょうど忘れる頃に、コメディ一辺倒だった作品のトーンは僅かに境界線を越える。

そのきっかけはヒロインのヴァージニア・マドセンだった。
彼女がワインへの想いを告白するシーンは本作でもっとも美しさに彩られた瞬間だろう。

「一本のワインが精製される過程でどのような運命をたどってきたのか、いつもそのことに想いを馳せながらその味わいを口にする。そう、ワインはひとつひとつ違う…」

この言葉はもちろん、ワインのみならず全てのキャラクターへの慈しみを語ったものとしても受け取れる。そこで流れるジャズの和音が、フレーズごとに様々な響きに形を変えて耳に届き、そのあり方には、ワインの渋みやまろやかさといった持ち味すべてを結集したかのような様子さえ感じられた。そしてこの瞬間、恐らく観客の半分くらいはスクリーンの彼女に恋をする。もちろん、この映画の主人公もまっさかさまに恋に落ちる。それはもう見事なほどに・・・。

そもそもこのワイナリー・ツアーは、もうじき結婚する親友のために主人公が企画したささやかなイベントに過ぎない。そしてこれは間接的な、男どうしの“別れ”の旅でもあるわけだ。この旅はやがて終わりを告げ、そうして独り身の男はまた独りとなっていく。そこには馬鹿騒ぎの余韻というか、どうしようもない切なさがあふれる。しかし、ラストはまた、心地よくあったかい。

真の大人ならばこういうときに極上のワインでも一杯、ということになるのだろうが、本物でない僕には、せめて就寝前に安物のワインを口に流し込むことで精一杯だった。どうにかマイルス(主人公)がやっていたように口の中で液体を転がそうとしたら、その直後、あろうことかむせ返した。なんという負け犬。

そんな負け犬たちが愛せる作品として、本作はとても安心なのだ。

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