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2005/09/12

『キング・アーサー』で思わず背伸びしてしまったブッラッカイマーを許せるか、否か。

この映画は、間違いなくジェリー・ブラッカイマー製作なのだが、それにしちゃあ、地味過ぎやしないだろうか。彼のプロデュース作品ならば、もっとドッカンドッカンと爆発&ガン・アクションの世界が広がっているはずでしょ。あ、いや、もちろんガンもバズーカも時限爆弾もない時代だってことは百も承知なんだけど、そもそもジェリーはそんなこと気にしない性格だったはずだ。

・・・それが違った。

私がこれまでイマイチ好きになれなかった唯我独尊のジェリー・ブラッカイマーがここにはいなかった。ということは・・・意外と好きな映画かもっ!もうなんというか男臭い物語なわけです。この世にはそもそも「アーサー王伝説」なるものがあるのだけれど、それらはかなり現実ばなれしたというか、神がかり的なエピソードが多いシロモノ。この映画が目指したのはそのベースとなった真実の物語というわけだ。伝説の真意は結局こういうものだったんじゃないの?というアプローチ。神様とか魔法とかいっさいなし。つまり、巧妙なジェリー・ブラッカイマー封じというわけだ。

で、見終わったあとはやっぱりブラッカイマーっぽく何も残らないんだけれど、アーサーの極端なまでのカリスマ性の無さなど、なんだか逆療法っぽくも心に迫ってくるものもあったりする。旅の仲間が7人いて、彼らがとある一家を救出に向かうという序盤戦、あらら、これは『七人の侍』、あるいは『プライベート・ライアン』といった雰囲気ですね~、と感じたりもするのだが、後からネットで監督の発言内容などを確認していると、本当に『七人の侍』をお手本としていたらしい。それほどガツーンとくるものがないのがたまにキズなのだが。もちろん、あまりガツーンといってはいけないところがこの映画の定め。何しろ伝説の元ネタという設定なのだから。神がかることなく、地味に、地味に。

結局、観客がいざなわれるのは、「あれ?意外とアーサー王伝説に興味が沸いてきたかも!」という境地。まるで知識の扉の前に立たされたかのような気持ち。これを押し開くかどうかはあくまであなた次第なのである。これまでは胸焼けしそうなくらいに押し付けがましい映画を量産してきたブラッカイマーが、自分を封じ込めることで掴み取ったこの謙虚な幕切れに、新たな意味が生まれている。

歴史大作や壮大な冒険ファンタジーが割拠する中でこれは物足りないと感じる人もいるかもしれないが、本作でアーサー役のクライヴ・オーウェンはこの役をステップに、この後『クローサー』を経て、待望の『シン・シティ』へと進出することになる。これらの作品ではオーウェンのかなり変態的、妄想的な部分がかなりいい味を占めているだけに、『キング・アーサー』で目にした彼の勇姿はいったいなんだったのか、まるで幻を見たようにも感じられるし、いや、それをいちばん感じているのはオーウェン自身だと思うのだ。

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