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2005/09/13

エターナル・サンシャイン

例年、アカデミー賞で注目を集める作品ラインナップといえば、その多くが前年の12月に滑り込み公開を迎えギリギリにノミネートの権利を獲得したものばかり。そうすることで人々の脳内に新鮮な記憶を刻むことが作戦なのだとしたら、昨年3月の公開にもかかわらず観客の記憶の中でずっと輝きを失うことのなかった本作こそ、本来の意味でのマスターピースと呼びうるものなのではないだろうか。

というわけで、これは記憶をめぐる物語だ。

だが、いくらここで文字情報を並べ立てたって、それですべてが伝わるわけがない。だって、脚本はチャーリー・カウフマンなんだもの。事はとにかく複雑だ。しかし対する映像感覚は目が覚めるほどに斬新で鮮やか。ビョークやケミカル・ブラザーズら多くのミュージシャンのPVを手掛け、劇映画としても『ヒューマン・ネイチュア』で監督デビューを果たしたミシェル・ゴンドリー(って、この人の偉大さは今さら語ったって恥ずかしいばかりだが)は、アナログとデジタルの狭間を縫うような奇想天外で、しかも温もりを感じさせる映像センスで人間の記憶の渦を具現化する。

人と人とのコミュニケーションと言ったって、それがどんなに濃密な交わりだったとしても、基本的に他人と他人との妥協点に浮き出る一瞬の幻想に過ぎない。恋人でも親でも友人でも同僚でも、こちらが一方的に嫌悪感を抱いてしまうことは多いのだし、相手にしてもそれは同じこと。はたまた、もしも自分が紛れもない自分自身と目の前で対峙することになったとしても、その嫌悪感は恐らく、輪をかけて増大するに違いない。

けれど、この映画は、その嫌悪感というやつを、たった一言で別次元へと追いやってしまう魔法を僕らにかけてくれるのだ。とりわけエンディングに流れるBeckの「Everybody's gotta learn sometime」は作品のすべての世界観を象徴しているようで心に染みてくる。

また出逢いとは必然的なもので、冒頭、ジョエル(ジム・キャリー)がすんでのタイミングでホームを逆走して反対路線の電車に飛び乗るシーンで、何か彼の中で沸々と湧き上がった運命の発生要因のようなものが一気に沸点に達したかのような高揚すら感じ、そこで流れるジョン・ブライアンの心優しげな音楽も、しっかりとその成り行きを肯定しているようで嬉しい。

見終わった後にこれほど世の中を違った目線で見つめられる映画も珍しい。これを観た直後ならば、僕はブッシュやビン・ラディンや、先ほどインターホンごしに頭にきた新聞勧誘すらも、一瞬だけ許してあげられそうな気がするのだ。

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