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2005/10/12

『ミリオンダラー・ベイビー』で、若者に誇れる“老い方”を学ぶ。

アカデミー賞では、監督、助演男優、主演女優に続き、まさかの作品賞をも獲得した本作。作品の内容については公開直後より社会論争にすら発展しているが、それをものともしない重厚な語り口は、むしろ鑑賞後もずっと客席にもたれかかっていたいという観客の本能的な感覚にこそ、その真価を直接的に訴えかけてくることだろう。『ボーイズ・ドント・クライ』のヒラリー・スワンクが身体を張った演技で若さと情熱を体言すれば、モーガン・フリーマンは暗闇の中からふと浮かび上がり、まるで精霊のような存在感で彼女を優しく見守り続ける。そしてイーストウッドの貢献度についてはまた別格だ。監督・主演は言うまでもなく、彼は前作に引き続き本作の音楽をも担当。ピアノやギターで奏でられたシンプルで繊細なメロディーに少しずつオーケストレーションが重ねられていく展開がとても胸に迫る。

ロサンゼルスのダウンタウンにそのボクシング・ジムはあった。そこのトレーナーとして数々の名ボクサーを育ててきたフランキー(クリント・イーストウッド)のもとに「あなたの弟子にしてください!」という女性が現れる。彼女の名はマギー(ヒラリー・スワンク)。はじめは「女性には指導しない」と相手にもされなかった彼女だったが、それでも必死に食い下がり練習を続ける姿に、初めは住み込み雑用係のスクラップ(モーガン・フリーマン)が折れ、元ボクサーの経験と知識で彼女にいくつかのコツを伝授する。そして、ウェイトレスとして日銭を稼ぎ、そして寝る間を惜しんでボクシングの練習に打ち込むマギーの根気強さに遂にフランキーも折れ、頑なに拒んでいた弟子入りを認めることになる。「弱音を吐くな、俺の指導に質問はするな」。フランキーの下でメキメキと頭角を現すマギーは、数々のタイトル・マッチで勝利を納める。互いを厚く信頼しあい見事なコンビネーションを見せる彼らには、誰の目にも明るい未来が輝いているように見えた。しかし現実には、思わぬ運命が待ち構えていたのだった。

イーストウッドに「老い」という言葉はあるのだろうか。ゴールデン・グローブ賞での彼のマイクパフォーマンスは格別だった。ステージに登ってマイクの前に立ち、とりあえずの受賞コメントを並び立てる。そしてふっと笑って一言、「サンクス!」。その瞬間、彼は「映画製作者」ではなく、半世紀も身を浸してきた「銀幕の中の人」となった。観客にとってイーストウッドという崇高な存在が一瞬だけスクリーンから飛び出し、そして最後には再び中へと戻っていった、そんな夢か幻をみているかのひと時だった。翻って、本作にもその「夢か幻を見ているような感覚」は存在する。それは既に老境を迎えて久しいイーストウッドとモーガン・フリーマンにとってのヒラリー・スワンクの存在であり、映画の中で女性ボクサーとして大活躍を納める彼女の勇姿は、ふたりにまるで幻想を目の当たりにしたかのような味わい深い表情をもたらすのだ。中盤には激しいファイトシーンとあいまって映画の高揚も最高潮を迎えるが、それとは対照的に、序盤とクライマックスには身を切るような寂しさと暗闇が横たわっている。しかし、どんなに重苦しくなろうとも、そこには僅かな一本の光が常に力強く挿し込んでいるように思えるのはなぜだろう。きっとイーストウッドにとっての映画作りとは、この一本の光の筋を大事にコーティングしていく作業なのだろうと、そのあまりの深さに感銘を受けた。

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