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2005/10/08

『キングダム・ヘブン』を忘れないで!

『キングダム・オブ・ヘブン』をご覧でない方、時間がない方はこちらのショート・バージョンをご覧ください。以下の感想文はすごく長いですよ。果たして耐えられるか?

確か、『グラディエーター』の時もおんなじだった。僕はたまたま映画館でこの予告編に触れ、「なんだか『ベン・ハー』っぽい大作が来るんだな」とぼんやり受け止めていた。どんな映画雑誌に掲げられた新作ラインナップにも「リドリー・スコット最新作~月公開!」などとは並んでいなかったように思うし、あるいはそのときの僕の映画に関する知識といえば、リドリー・スコットすら認知できないくらいのものだったのかもしれない。

『キングダム・オブ・ヘブン』は、今後とも『グラディエーター』と比較される作品となるだろう。片やフィクション、片や史実を基にした大河ドラマであるにも関わらず、僕の中ではこの2作、前評判もなしに突如我々の前に舞い降りたという点、そして少なからず我々の心を鷲づかみにしてくれる点において似通っているように思える。それはきっと大河ドラマとしての語り方、描写による功績なのかもしれず、リドリーが切り取って見せるカットはそれだけで一枚の淡い色彩の芸術的絵画のようであり、また両者ともに主人公が相当な距離を移動する一種のロード・ムービーでもあることから、それらの芸術的絵画は絵巻物のように移動を繰り返し、およそとどまることを知らない。光と砂塵による芸術はここでもやはり健在なのだ。

それでいて不思議なのは、その絵画の連続性は観客の視覚を魅了するどころか、とりわけ嗅覚を刺激する。たった3時間弱の歴史絵巻は歴史的事実のほんのダイジェスト程度でしかないけれど、そこには現代にいながらにしてあらゆる感覚を刺激されることで多くの同時代性を獲得しているといえるだろう。しかしテーマに関しては別だ。我々はあらゆるディテールによって過去へとタイムスリップさせらる一方で、そのストーリーラインには今だからこそ伝えられるテーマを読み取ることができる。それは同時に、なぜこれらの作品がこの時代に生まれ出でたるかについての存在証明ともなる。

言うまでもなく上記の特権性については、ドイツ出身のヴォルフガング・ピーターゼンがブラッド・ピットを擁して撮った『トロイ』がまったくのハリウッド臭しか放出できていなかった事実、そして、あの『クレオパトラ』にも匹敵するほどの駄作と評された『アレキサンダー』が、生みの親オリバー・ストーンによれば実は「ヨーロッパ人には理解可能」な深遠で難解なテーマを織り込んでいるらしいこと(あるいはクリエイターがそれを口で喋ってしまうほど斬新な表現方法はこの世に他に存在しないこと)を例にとって比較すると一目瞭然なのである。

『キングダム・オブ・ヘブン』で描かれるのは、歴史絵巻といえども教科書的な知識で読み解くならば「十字軍」というキーワードに集約される。エルサレムをめぐってのキリスト教徒とイスラム教徒との攻防は今に至っても途切れることがないが、過去にさかのぼって第3次十字軍が発生する直前において、ここにはつかの間の平和が訪れていたというのだ。エルサレムの王ボードワン4世、イスラムの伝説的指導者サラディンといったそれぞれに聡明な頭を抱え、武力と武力とは互いに抑制しあい、そこには理性的な交渉の場が設けられていた。しかし狂信的陣営の暴挙によってこの平和は破られる。物語はこの戦いが終わり、エルサレムがイスラムの占領下に落ちるまでを描く。しかしこのとき、イスラム側はかつてキリスト教側が同地を奪い取ったときに犯したような異教徒虐殺は行わない。

驚くべきはこの“サラディン”という指導者の描き方である。この人物、ハッサン・マスードというシリアで大きな人気と名誉を勝ち得た俳優が演じているのだが、まさしく名君の何ふさわしい知恵と良識とカリスマ性を兼ね備えているのが一瞬にして見て取れ、彼がスクリーンに現れた際の安定感がすさまじい。イスラム側にはもうひとりの俳優がフィーチャーされているのだが、彼もまたこの時代にふさわしい強烈なエピソードを刻んでくれる。かつてメル・ギブソン主演のベトナム戦争映画『ワンス・アンド・フォーエバー』でベトナム軍の司令官を演じたドン・ズオンは、その描写がベトナム人を馬鹿にしているとして自国で批判を浴びた。確かこの作品は「ベトナム兵を等身大の人間として描いた始めての作品」として宣伝されていたはずであり、それでもなお理解が得られないのは他者を描いた映画にありがちなジレンマであり、皮肉である。しかし本作に関していえば、その点の演出にはかなりの配慮を尽くしてあるのだし、そこからはじめなければ成立しなかった映画であるともいえる。

映画の中での「キリストVSイスラム」は、当然そのまま俳優たちによる演技合戦とも受け取れる。もちろん主体としてのキリスト教側はイスラム陣営の鮮烈なイメージに対抗すべく更なるキャスティングの妙を狙う必要がある。そしてその成果はあった。

まず、鍛冶屋だったのに突然に騎士である実父が現れてエルサレムへの旅に同伴させられることとなる主人公にはオーランド・ブルーム。彼についてはその清廉な佇まい意外にはあまり取り立てて絶賛する気にはなれないのだが、無口なオーランドは好感が持てるし、彼が恋愛沙汰に身を投じると一国が未曾有の危機に陥ってしまうことは『トロイ』で実証済みなので、彼は常にストイックであった方が観るほうとして安心できる。

彼の父親役にはリーアム・ニーソン。旅の途中で息子に剣術の手ほどきをするシーンがあるのだが、『バットマン・ビギンズ』といい『スター・ウォーズエピソード1』といい、彼は何かと人に“教えを施しがち”だ。あるいは作中で彼があらゆる人から指導者として慕われていた経緯を示されると、『マイケル・コリンズ』『ギャング・オブ・ニューヨーク』なども思い出され、リーアム・ニーソンはフィルモグラフィの中で常に“上司にしたい俳優ナンバー1”だったらしいことに改めて気づかされる。

さらには父親が率いる十字軍において“戦う聖職者”を演じるのが『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』におけるルーピン先生ことデヴィッド・シューリス。また、エルサレムにおける軍事顧問としてストイックな思考に余念のない大物にはジェレミー・アイアンズ。

そして、中でもいちばん注目すべきは、名君とうたわれたボードワン4世を演じるエドワード・ノートンの存在である。なんとこのたび、彼は一度たりともその素顔をあらわにすることがない。というのもこの王、らい病を患っているとの設定で登場し、手には包帯を巻き、素顔は銀の仮面で覆われている。しかしながらノートンに違いないと気がつくのは、やはりあの“なで肩”であるのだし、穏やかな中に聡明さを秘めた声の響きを耳にするや、エンドクレジットを見るまでもなく、観客は仮面の向こうのただならぬ存在に魅了されることだろう。言ってみれば“サプライズ”。そういえばリドリー・スコットは『ハンニバル』でもサプライズとしてゲイリー・オールドマンを登場させていた。ちなみに監督は違えど、レクターシリーズの3作目『レッド・ドラゴン』でアンソニー・ホプキンスと相対して主役を演じていたのがエドワード・ノートンだった。まったく、偶然は必然である。

本作で描かれる束の間の平和。しかしキリスト、イスラム両陣営には緊張が持続し、それは危うげな平和でしかなかった。両者ともに相手を叩き潰してしまおうとする気持ちが萎えているわけではなく、そうさせないために外交努力を用いて互いに牽制しあっていたのだ。しかしそこへ現れる狂信的な思想の数々により歴史は歯車を狂わしていく。

主人公はいつしか騎士となり、最後まで己の信念に従ってエルサレムを守ろうとする。サラディンはエルサレムについて「そこは“無”であり、“すべて”でもある」と語る。彼と対等に渡り合ったボールドワン4世はそのことを理解していたのだが、進行していた病により死にいたる。彼の意思を引き継ぎ、主人公は絶対絶命の砦の中で、宗教でなく、まずこの民衆を救わなければと考える。つまり、守るべき民衆なくしての宗教など何が宗教だと行動で示すのである。その意味における「ナッシング・オア・オール」。指導者たちがその意味を忘れるとき、また悲劇は繰り返されていく。それは過去の話ではなく、いま現在でも続いているごくありふれた話なのだ。

戦いの場面で、エルサレム軍が巨大な十字架を掲げて現れる荘厳な描写が興味深い。おそらくどれだけ軍が乱れても十字架は支えられ続けるのだろう。そして戦士たちはそれに何かしらパワーを与えられながら異教徒を殺し続ける。繰り返すようだが、大義名分を掲げた迫害や殺し合いは現在もいくらでも見られる光景だ。人々はいまだにボーダーを飛び越えて世界を俯瞰することを知らない。史実かどうか明らかではないが、本作の中では主人公だけがその境地へとたどり着く。そして激しい戦闘後、イスラム軍に負けはしたが、交渉によりエルサレムの無血開城を実現させる。

物語のラストで、主人公は故郷の村へと帰り平穏な生活を送っている。そこへ、冒頭に父が率いる十字軍が来村したのとまったく同じ状況で今度はイギリスからの十字軍がやってくる。主人公はすかさず彼らの後を追って再びエルサレムを目ざそうとする。歴史の流転を刻み込んだラスト、彼らは血に飢えた戦士たちであったかもしれないが、しかし主人公は昔と明らかに違う。そこには魂の充実といったものがあり、『グラディエーター』のエンディングでマキシマスが旅の果てに手に入れたもの(それはたとえば作中に現れる“開いた扉”といったイメージ)と同様のものだったかもしれない。

この作品の締めくくり方に「永遠」を連想させるものを結びつけるのもリドリー・スコットのお家芸のような気がする。観客としてもありがたい。われわれは劇場を後にしても意識の中で、何度となくそれを再現できるのだ。

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