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2006/03/29

三谷歌舞伎『決闘!高田馬場』と、是枝時代劇『花よりもなほ』

一、時は元禄、犬公方「綱吉」の治世

一、主人公はめっぽう喧嘩が弱い

一、長屋に住む人々に彩られた人情モノ

一、そして、まもなく赤穂浪士の討ち入りが起こる

三谷幸喜による新作歌舞伎『決闘!高田馬場』(パルコ劇場にて公演中)と『花よりもなをほ』(是枝裕和監督/6月公開)。このジャンルの全く違うと思われていた二人の同世代(三谷:44歳、是枝:43歳)作家が、ほぼ同じ時期にこれまでのテリトリーを飛び越えるかのような果敢な企画に挑み、それが上記のようにいくつかの点で共通項を持っていたことは非常に興味深いことだった。

■『決闘!高田馬場』は、市川染五郎よりラブコールを受けた三谷が「歌舞伎座は恐れ多いから、パルコ劇場で」と言って書き下ろした初の歌舞伎作品。これまで野田秀樹、渡辺えり子、蜷川幸雄、串田和美といったそうそうたる顔ぶれが次々と歌舞伎座に乗り込んで成功を納める中、まるでバトンを渡されるかのような満を持しての三谷の登板である。過去を振り返ると、かつて『野田版 鼠小僧』(at歌舞伎座)のカーテンコールで勘三郎が舞台上から客席の三谷を見つけ、「次は一緒にやりましょうよ!」的なジェスチャーを送ってきたというエピソードも新鮮に響くが、結果的に三谷は、自身の舞台『バイ・マイ・セルフ』の折に染五郎と交わした約束に応える形で、新テリトリーの第一歩を踏みしめることとなった。

さて、そうして繰り広げられる新作は、後に赤穂四十七士に数えられることとなる中山安兵衛の物語。元禄七年、自分の叔父が大勢を相手にした決闘に挑まねばならなくなったことを知った安兵衛は、長屋で共に暮らす仲間たちの協力を経て自堕落な生活から立ち直り、いざ助太刀せんと、八丁堀から決闘場の高田馬場まで全速力で走り抜ける。

歌舞伎と言えば、当然“ケレン”。果たしてこの三谷版ではいかなるケレンを創造することができるのか。このようなストーリーだと、ここは獅子が髪を振り乱して舞うがごとく、やはり「走る」動作こそが注目を集めることになるだろう。そしてその期待に応えるべく、三谷はクライマックスの30分で美術セットを完全排除するという勝負に打って出る。そして、ここでは詳しく書かないが、極めて前衛的とも取れる手法を駆使しながらこの疾走シーンを紡ぎだしていく。

もちろん実際の「八丁堀から高田馬場まで」はかなりの距離がある。しかしながら汗水垂らしてヘトヘトになって走る安兵衛をよそに、舞台場面は驚くべき手法でもって「安兵衛の現在地」と「高田馬場」との間を何度も何度も軽々と往復して見せるのである。

それはまるで映画における“モンタージュ”をも想起させるものである。観客は、数々の映画製作を経た三谷がこのように斬新な演出で歌舞伎における空間移動を可能にしたことに対して、深い畏怖の念すら覚えるかもしれない。まさに映像的な演出であり、しかし紛れもなく舞台上でしか到達しようのないカタルシス溢れる場転の数々。

しかし、よく考えてみると、そもそも歌舞伎俳優から「新作を書いてくれ」とラブコールを贈られたと言っても、贈られた本人としてはこれは喧嘩を挑まれたも同然のことだったかもしれない。いくら人気絶頂の脚本家とはいえ、相手は数百年の伝統を誇る“歌舞伎”である。そのプレッシャーは相当なものだったろう。ある意味、高田馬場にも勝る決闘。この場に及んでも自らのオリジナリティを模索しようとする三谷の心意気は、結果的に見事なまでに花開いた。まさに歴史を背負ったエンターテイナー、そして語り部としての面目躍如である。

■さて、もう一作が、6月公開の新作映画『花よりもなほ』。カンヌにおける『誰も知らない』の快挙により、その才能を世界が共通認識するところとなった是枝裕和が、これまで自身の持ち味だったドキュメンタリー・タッチを完全排除して、100パーセント劇映画として臨んだ時代劇、しかも信じ難いことに“コメディ”である。

時は元禄十五年(『決闘!高田馬場』の8年後にして、いよいよ赤穂浪士の討ち入り前夜)。父の仇打ちを誓い、故郷を後にした宗左衛門(岡田准一)は、江戸にある貧乏長屋で悶々と毎日を送っている。そこの住人は、リストカッターならぬ“切腹癖”のある浪人(香川照之)だったり、働く気のないぐうたら親父(平泉成…まるで是枝のプロデュース作『蛇イチゴ』のリストラ親父が飛び出してきたような趣もあり)、他には古田新太、宮沢りえ、田畑智子、加瀬亮、それに上島竜平、千原靖史、木村祐一(これらお笑い芸人の起用が、抜群の異色ハーモニーをもたらしている。特にキム兄の純朴さは出色。)といった、まあ、とにかく一癖も二癖もある者ばかり。そして、宗左衛門にいたっては、実は当のむかしに仇を見つけているものの、この男、喧嘩ごとにはめっぽう弱く、さらには「本当に仇を取ることが正しいことのなのか」などと、次第に深い悩みに陥ってしまう。

『誰も知らない』を作りながらずっと考えていたのは、「次は楽しい嘘をついてみたい」ということでした。ミュージカルにしようか、時代劇にしようか・・・悩んだ末にブームにあやかって(笑)、時代劇を選んでみました。 (プレス記事より抜粋)

このように語る是枝監督だが、もちろん上記のストーリーラインから分かるように、時代設定は過去であっても、テーマは確実に「現代」を向いている。これまで現実をリアルに臭わせる作風(しかも、脚本があまり重視されていなかったり、俳優には自分のセリフだけを与えてあとは即興で演じさせてみたり)で極めてオリジナルな映画作りを進めてきた是枝。

本作に触れた観客はその流れから「あっ、ブッシュ批判だ!」などと指摘するかもしれない。しかしながら本作を前にしてそのような声をあげることは、全く野暮な行為のようにも思われる。言葉に出さずに胸のうちにしまっておく想いこそ、深く余韻をもたらすものなのだ。その点、本作はまったくその素振りを見せず、「楽しい嘘」は完璧に突き通されている。そして、ドキュメンタリストの森達也の言葉を借りれば、「ドキュメンタリーは嘘をつく」ものでもあるらしい。是枝が同じドキュメンタリストとしてキャリアをスタートさせていることを考えると、ここで語られる「楽しい嘘」とは、いくつもの深い意味を兼ね備えたテーマであると思われるし、その様相は本作のストーリーにも見え隠れしている。

■『決闘!高田馬場』と『花よりもなほ』。奇しくもこの2作は同時期に創作され、同時期に世に出ることとなった。どちらも時代背景はほぼ同じであり、どちらも観客が心から楽しめる傑作エンターテインメント作品。それでいて、一方では、伝統文化に決闘を挑まれた男がひとり飄々と大仕事をやってのけ、また一方では、ドキュメンタリストの潮流を組む映画作家が「楽しい嘘」へと挑戦し、そこで語られるテーマを我々の同時代性へと流し込むことに成功した。

どちらも舞台は“戦のない平和な世の中”である。それが現代の“写し世”のような気がするのは、決して僕だけではないはずだ。舞台を全速力で駆け抜けるのは、まさに僕らなのかもしれないし、仇討ちの是非をめぐってつい悶々と思い悩んでしまうのも、他ならぬ僕らなのかもしれない。だからこそ、それぞれのラストシーンには熱く胸にこみ上げるものがあるのだろう。

この出発点の全く違うふたつの作品が元禄時代において華麗に交錯する様を、不思議な運命のめぐり合わせとして、手に汗握りながら瞠目していただきたい次第である。

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