« 『プライドと偏見』 | トップページ | SHORT MOVIE 最前線! »

2006/03/12

ブロークバック・マウンテン

たとえばアダムとイブがどちらも男だったなら、キリスト教徒の掲げる聖書もあんなに分厚くはならなかったのだろうか。

たとえば僕の乗っている船が突然難破して、僕と見ず知らずの男と、そのたったふたりだけが無人島に打ち上げられて助かったなら、しばらく生活を(あるいは生涯に渡って)続ける中でいつしか怪しいムードがふたりを包み込み、ついぞ何の保証もない愛に身を投じることだってありうるのだろうか

もちろん映画『ブロークバック・マウンテン』にはこのような断り書きなど出てきやしない。これはあくまで本作について語る僕のスタンスなのであって、しかしながらこれは僕に関する衝撃的カミングアウトとしての効力もなければ、ここであえて断り書きにコメントを付け加えることで同性愛について何かしらの異論を唱えたいというわけでもない。

夕食の席―。

「なんかね、男どうしが恋に落ちて、それが20年も続く映画なんだ」

僕がその日の試写作品についてこう簡単に説明すると、父がまず「うへえ」と驚き、母はそれを「ありゃあ」とフォローし、祖母はすごすごとコップを差し出し「わたしはお茶をもう一杯…」と口にした。

『ブロークバック・マウンテン』の魅力について語ることは、本当に難しい。

試写の席―。主人公となるふたりが初めて身体を重ねるとき、そこではやはり笑いが起こった(誤解を恐れずに言えば、僕も笑った)。でもきっと最初にこんな先入観があるからこそ、本作でゆったりと流れる時間は登場人物だけでなく観客の心さえも静かに溶かし去ってゆくのだろう。

あるいは2時間14分の上映時間が僕らに教えてくれるのは、この映画がとくに同性愛にのみスポットを当ててるわけでもないという事実だ。

映画の中には主に4人の男女(彼らはそれぞれに様々な映画レースの候補となっている)が登場するが、彼らはそれぞれに何らかの後悔や言葉にできない想いを胸に秘めながら生きている。それらは我々の日常と比べてそれほど突出したものでもない。

人はある程度せっぱ詰まると「たら」「れば」を使って精神的に苦悩しはじめる。「あのとき~だったら…」「~していれば…」。それらは常に何かしらの輝かしい理想と現実とが表裏となって提示された瞬間である。そう、我々にだってそれくらいのことは日常茶飯事。僕だっていつもブログの「作成ボタン」を押した後で、「こんなん書かなきゃよかった…」だなんて苦悩することばかりなのだ(まあ、そんな悩みは犬にでも食わせておけ、と言ったところで当の犬が食ってさえくれないのが関の山なのだが)。

先日のゴールデングローブ賞、本作で監督賞を獲得したアン・リーは受賞スピーチを次のように締めくくった。

「前にこのステージに立ったとき、私は多くの人に“ありがとう”の言葉を伝え忘れました。きっと今回も私は同じ過ちを繰り返し、後で激しく後悔するのでしょう。そして『ブロークバック・マウンテン』はまさにそんな映画です」

奇しくも“同性愛”の映画として浸透し、日記の冒頭に「たとえば船が難破して…」なんて断り書きをしてしまう自分が腹立たしく思われもするのだが、そんな小難しいシチュエーションを想像する以前に、僕らはすでに“伝え忘れた想い”を背一杯に抱えながら生きている。目の前ですごすごとコップを差し出し「お茶…」と呟く祖母は、2年前に先立った夫のことを毎日のように想い出しているのだと言うし、午前中に母と大ゲンカした妹に関しては、きっと性格上、一週間くらい「ごめんなさい」が言えずに悶々と過ごしてしまうのだろう。

『ブロークバック・マウンテン』はそんな思いに気付かせてくれるとても優しい映画だ。本作に触れた後だと、ずっと気になっていたあの言葉を、ほんのさりげなくあの人に伝えられるかもしれない。

このブログの筆者の日記はこちら

|

« 『プライドと偏見』 | トップページ | SHORT MOVIE 最前線! »

映画・テレビ」カテゴリの記事

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ブロークバック・マウンテン:

« 『プライドと偏見』 | トップページ | SHORT MOVIE 最前線! »