« 4月1日は、マーヴィン・ゲイの命日。 | トップページ | 『ジャケット』における斬新タイムトラベル »

2006/04/02

『愛より強く』

言っておくが、不細工な映画である。映像スタイル、演技、構成、どれをとっても目を見張るようなスマートさがない。だけど人間はおかしなものだ。人生の一度や二度、誰もが不細工な異性を愛してしまうことがあるように、不細工な映画をたまらなく愛してしまうことだってある。

Head_on
このトルコ系ドイツ人たちが繰り広げる激しすぎるラブストーリー『愛より強く』を、僕はイギリスの小さな映画館で観た。周りは様々な人種で溢れていた。

出逢いは唐突だった。ドイツのトルコ人街。パンク気質で自暴自棄な毎日を送るジャイトは、ある日、酩酊した挙句に車を壁に激突させる。奇跡的な軽症で生還した彼に、医者は「自殺しようとしたんじゃないのか?」と問いかける。「俺は自殺しようとしてたのか?」自問自答に暮れる彼。と突然、若い女が現われ、彼に向かって出し抜けに「偽装結婚してくれ」と頼み込む。その懇願に困惑して「いやだ」と応えると、彼女は瞬時に酒ビンを勝ち割り、その破片で勢いよく自分の手首を切り裂いた。あたりが血まみれ真っ赤に染まる。慌てて止血し、彼女を病院に搬送するジャイト。

そんな出逢い。そうしてふたりは「偽装結婚」する。

その女、シベルはトルコ系の厳しい戒律を強いる家族から逃れようと結婚を切望していた。ジャイトは、彼女と過ごす時間が自分の中の何かを確実に変えていることに気が付き始める。

このふたりの「偽装夫婦」が何とも出鱈目だ。互いに愛情を抱きながらもそれをひた隠しにする、そんなゲームにでも興じるかのように、禁欲的で不健康な生活が続いていく。女は毎晩、バーで男を引っ掛けてセックスに明け暮れる。男はそれを気にしないような素振りを見せながら、歯痒さのあまり自室で滅茶苦茶に暴れまくる。

そしてある事件をきっかけに、彼らは変わる。物語はステージを一段上昇させ、予想もつかない荘厳なラブストーリーが展開していく。

かつて鳥山明の「ドラゴンボール」で、サイヤ人と設定されたキャラクターは軒並み“超サイヤ人”に変身し、その強さの基準はもはやインフレーションのごとくに上昇していった。いま思うと、彼らが仮に強くなることを拒否したならば、それ以上の強さを秘めた敵は現われなかったのかもしれない。まさに東西冷戦の構造を如実に反映させた構造だったわけだが、ここで言いたいのはそういうことじゃない。

彼らは“超サイヤ人”になると何故か髪がボウボウ伸びた。

一方、『愛より強く』の男女が臨界点を越えると、彼らはふたりしてベリー・ショートとなる。

それぞれの抱える心の闇、そしてトルコ系ドイツ人としてのアイデンティティ、さらには互いの愛を飛び越えて、ふたりはやがて“誰でもない誰か”に変身する。そこへ到達した彼らは、もはや不細工な存在などではなく、神々しさすら感じさせる。

それは彼らなりの“人類の最終形態”だったのかもしれない。

Head_on01 このなりふり構わぬ彼らの不細工な生き方が徐々に集約されていく力強い展開に、僕はドキドキさせられた。それは、人間のあらゆる無用な側面が削ぎ落とされ、不細工な異性がとてつもない美形に見えてしまう感覚と似ている。

不細工な形態を飛び越え、その向こう側にある普遍の真理に一瞬でもタッチし得た(少なくとも僕にはそのように感じられた)この作品に、僕はとてつもない愛情を感じてしまった。

本作の公式サイトを訪れるとまず最初におびただしい数の受賞歴が表示される。そのひとつひとつが、この“不細工ちゃん”を愛してしまった人々による切ないラブレターであるような気がしてならない。

愛する存在を守るためなら、こちらも手段など選んでいられない。そんな強い想いの集合体が、本作を崇高なものへと押し上げているように思える。

もう一度、言っておく。これはとても不細工な映画なのだ。

|

« 4月1日は、マーヴィン・ゲイの命日。 | トップページ | 『ジャケット』における斬新タイムトラベル »

【劇薬!】」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/137483/9387617

この記事へのトラックバック一覧です: 『愛より強く』:

« 4月1日は、マーヴィン・ゲイの命日。 | トップページ | 『ジャケット』における斬新タイムトラベル »