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2006/04/10

『アンジェラ』を批判してはいけない

映画ファンにとって、「リュック・ベッソン」という名前はいまだどれほどの効力を持ちうるだろう?はっきり言って世間の風当たりは厳しい。監督作の不敗神話が語り継がれる一方で、仏映画界のハリウッド化を推し進めた立役者として批難もされ、歓迎もされる。彼の新作だからといってもいまさら期待度はイマイチ、といった現状が正直なところだろう。そんな彼が『ジャンヌ・ダルク』('99)以来となる監督作を発表した。

Angela 昨年暮れの12月21日、この封切日まで一切の内容が謎とされてきた極秘プロジェクト『アンジェラ』。これまでの9本の監督作がどんどん大作化していき、ベッソン自身も観客の期待に応えるべくプレッシャーが増大していたであろうことは容易に想像はつくが(ミラ・ジョヴォヴィッチとの離婚など プライベートの混乱もいまだ記憶に新しいが)、そんな彼がこの日にベールを剥ぎ取った最新作は、大作主義から自由に解き放たれたかのようなチカラの抜け具合が嬉しい、極めてアーティスティックなものだった。その特徴として最も顕著なのは、デビュー作『最後の戦い』('83)を思わせるようなモノクロームで描かれているところだろう。

借金まみれでもう後がなくない主人公アンドレ。いっそのことアレクサンドル3世橋からセーヌ河に飛び込んでこの世にウェアウェル!とばかりに身を乗り出したとき、一瞬はやく先客の女性が河へダイブ。驚きのあまり、アンドレは自分の境遇も忘れて救助に飛び込む。一命を取り留めた彼女の名前はアンジェラ。長身で美形のその魅力に惹かれながら、アンドレはもう一度だけ自分の人生をもがいてみたいと奔走しはじめる…。

アンドレを演じるのは『アメリ』で野菜売りを演じ、本国でコメディアンとしても人気の高いジャメル・ドゥブーズ。そしてアンジェラ役には、グッチの専属モデルであり、身長180センチのスーパーボディを誇るリー・ラスムッセン。この凸凹コンビは、どちらもそれが本作の原動力を担うようなカリスマ性はないように思える。むしろここで“主人公”として挙げるべきなのは「パリの街」ということになるのだろう。

モノクロームで切り取られたこの街の景色は、どれもが息を呑むほどに美しく、早朝と夕方にほんの少数で移動しながら撮られたという各シーンは、エッフェル塔、ノートルダム大聖堂、コンコルド広場といった誰にでもお馴染みの観光名所を随所に配しながらも、しかしそれがガイドブックにも写真集にも載っていない、『ベルリン 天使の詩』や『ラ・ジュテ』をも思わせる極めて幻想的な世界観を立ち上がらせている。

そして、90分という上映時間に必要なのは、ほんのシンプルなストーリーラインだった。贅肉が削ぎ落とされていればいるほど、バックの街並みが際立ってくる。その点では大きく成功していると言っていい。

ただ、シンプルさは時として予定調和にも転じうる。ドゥブーズの情けないキャラクターは、それを越える魅力を生み出すにはもう一枚何かが足りない。それはどこか冷たい感じを醸し出すラスムッセンにしても同じだ。彼女の外見が完璧なのは理解できるが、演出上それを乗り越えて、観客を彼女の内面へと導かなければ意味はない。ストーリー上、アンドレはどんどんアンジェラに惹かれていくが、観客には彼女の魅力がいまいちピンとこないという乖離感が仄かに漂い続ける。

そうしているうちに物語はあっさりと幕を下ろす。ベッソン6年ぶりの新作の上映時間はたったの90分。本作のシンプルさは、観客の意見になど微塵も耳を傾けていない風にも見えるほどだ。

実はリュック・ベッソン、2006年には自身のファンタジー小説『Arthur and Minimoys』(既に刊行されている原作本の邦題は『アーサーとミニモイたち』)の映画化を予定している。昨今のファンタジー・ブームに真っ向から殴りこみをかける前に、ベッソンはこの『アンジェラ』を撮った。それはまるで“閑話休題”的な取り組みでもあり、さらには久々の監督作に向けて、アーティストとしての触れ幅をいったんリセットする行為ですらあったのではないかと思われる。そこにはいつものエリック・セラの音楽すら存在しないのだから。(今回の音楽はノルウェーのアーティスト、アンニャ・ガバルレクが担当)

結局、これは観客にための、というよりもむしろ、ベッソンにための作品だったのだ。たとえ本作がヒットしなかったとしてもそれほど莫大な製作費が組まれているわけではないのだし、ベッソンが「私には必要だったのだ」とコメントを残せば事足りることだ。まさに最初から逃げ場の用意された作品。アーティストは時としてこの類の作品を欲することがある。

だからこそ、我々は『アンジェラ』の出来をああだこうだと批判すべきではない。 それはベッソンの一部ではあるが、決してすべてではないのだ。

それはいくつものヒットソングを収録したアルバムの2曲目(それほど注目されてはいないが、アクセントとして設けられた曲)の存在とも似ている。ささやかではあるが、アーティストにとっては非常に大切な存在。もしくはある観客にとっては、「そのチカラの抜け具合がむしろ好きだ」と共感をもたらすものかもしれない。

ちなみに先述したベッソン最新作“Arthur and Minimoys”は、主人公アーサーをフレディ・ハイモア(『チャーリーとチョコレート工場』『ネバーランド』)が演じることが決定しているほか、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、スヌープ・ドッグらが声の出演を果たす。音楽はもちろんエリック・セラが担当する。ベッソンはこの次回作で映画監督を引退すると表明しているが・・・果たしてどうなるものか。

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