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2006/06/30

『インサイド・マン』は“頭のいい映画”であり、同時に列記とした“エンターテインメント”でもあるのが素晴らしい。

ハリウッドにおける主役級3人が名称スパイク・リーの下に集結したクライム・エンタテインメント『インサイドマン』。とにかく冒頭に映し出される「スパイク・リー joint デンゼル・ワシントン、クライブ・オーウェン and ジョディ・フォスター」というクレジットだけで何やら歴史的な1ページに立ち会っているかのような臨場感が味わえる。

ニューヨークを拠点に、人種問題を扱った数々の骨太なドラマを生み出してきたスパイク・リーにとって、舞台は同じでも本作はいささか方向性の異なるゴージャスな純エンタテインメントとして映る。少なくとも脚本の段階ではそうだったろう。しかし、パリを描いた映画にエッフェル塔が欠かせないように、そこがニューヨークであると言うことは同時に「人種のるつぼ」を描くことでもある。だからこそリーは、ほんの些細な描写のなかに独自の視点を盛り込むことを忘れない。たとえば、様々な人種からなる人質全員が一様に黒のジャンプスーツの着用を命じられ、彼らが肌の色を越えて「何者でもない」状態にまで突き動かされるシーンに、何か深いメッセージを感じ取ってしまう敏感な観客は少なくないだろう。そのような「スパイク・リー印」とも言うべきテイストが、作品全体を引き締める紋章として実に生き生きと機能しているのである。

そして白眉なのは、全く別々のテリトリーでうごめく主役3人が、肌の色、性別、バックグラウンドを越えて、ふいに一本の線で繋がっているように思える瞬間である。緊迫した状況の中にえてしてコミカルで飄々とした雰囲気を充満させながらも、実は観客にオフサイド・トラップを仕掛けようと淡々と狙い続けていつような姿勢が、この映画のステイタスを根源的に高め、同時に豪華俳優陣それぞれの顔を平等に立てる結果にも繋がっている。

「完全犯罪」+「思いがけない顛末」としての醍醐味を兼ね備えながらも、ただそれだけでなく、作り手としての崇高な意識を感じさせてくれるあたり、恐らく今年、10本の指には数えられる傑作エンタテインメントである。

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