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2006/10/16

『敬愛なるベートーヴェン』

*以下の文章は筆者が勢い余ってしまったため作品の詳細に触れる部分があります。まだ本編をご覧になってらっしゃらない方は大人の判断でお読みください。

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 ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)に関する映画といえば…あれれ、たくさんあるかと思いきや、そんなに思い出せないのが不思議なところ。ゲイリー・オールドマンがタイトル・ロールを演じた『不滅の恋/ベートーヴェン』を代表格に、92年にお披露目されて以来ファミリー・ムービーの定番として続編5作が製作された『ベートーベン』という犬の映画シリーズも知名度はかなり高い。これら映画史に連なるであろう12月9日公開の『敬愛なるベートーヴェン』で描かれるのは、つまり“21世紀型ベートーベン”ということになる。

 タイトル・ロールを演じるのは、これまた驚きのエド・ハリス

 ハリスといえばかなりの短髪のイメージだし、目も小動物レベルに優しいし、正直このキャスティングにはかなりの不安があった。しかしその驚きを乗り越えて、さすがに名優ハリス、見事にやってくれた。そこに込められた崇高な魂は、まさしくあの音楽室で目にした肖像を彷彿とさせるもの。その瞳に薄っすらと“やさしさ”を感じてしまうのは、ハリス流のアプローチとして許してしまえる許容範囲内だった。

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 実は本作の主人公はベートーヴェンでなく、ひとりの女性なのだ。音楽学校で作曲について勉強する主人公(ダイアン・クルーガー)は、ひょんなことからベートーヴェンの書きなぐった楽譜をきちんと清書するという仕事を引き受けることになる(それゆえ、本作の原題は『COPING BEETHOVEN』という)。癇癪持ちなうえに難聴も悪化の一途を辿るベートーベンは、「女なんぞよこしやがって!」と怒り、なんとか仕事のアラを探して追い返そうと、清書された原稿をチェックする。そしてニヤリ。ベートーヴェンは「おやおや、これはなんだね?」と意地悪そうに間違いを指摘する。しかし、彼女は胸を張ったままで「それは間違いではありません」と主張。「しかしこの部分は私が書いたものとは違うが…」の反論に、彼女は理路整然とした態度でこう返す。

「私はあなたの原稿をコレクト(修正)しただけです。なぜなら、私の知るベートーヴェンならば必ずそうしていたはずだからです」

 それは第九の合唱において、あの最も有名なメロディが高らかに響き渡る一歩手前の、緊張感が静かに爆発寸前にまで膨れ上がる演出部分だった。

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 そう、本作の要となるのがこの「第九」の作曲風景だ。現代に語り継がれる逸話によると、ベートーヴェンは自らタクトを振ることを主張し、渾身の力をこめて演奏を終えた後、後ろで鳴り響く熱狂的な拍手の洪水に全く気がつかなかったという。その様子はもちろん創作を交えて表情豊かに語られ、白眉なのは映画にしてはあまりに長すぎる(もっと長くてもいいと思ったが)第九の初演シーンだった。約12分間に渡って紡がれるその一音一音にカメラの動き、矢継ぎ早の編集が加わり、音の強弱、メロディの上がり下がりがダイナミックに胸に突き刺さってくる。この映画を小さな試写室で見た僕としては、これが大きなスクリーンで映写されたならばどれほどの感動をもたらすだろうか、と俄かに興奮した。なにしろ、この奇跡の楽曲が世に生まれたときの人々の興奮が、そのまま現代に再現されたかのようなカタルシスが感じられるのだ。映画の中にはこの曲に触れながら、驚き、そして知らず知らずのうちに放心状態となり、ボロボロと涙を流す観客の姿すら映し出されるが、このシーンに触れることでそれと同じ感情を得る人も少なくないだろう。

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 その勢いに乗って、映画はクライマックス向けてますますヒートアップ!…とはいかないところが、本作のもうひとつの面白さでもある。第九で大成功を納めたベートーヴェンは、その後、「大フーガ(弦楽四重奏曲第13番)」の作曲に取り掛かり、それは当時としてあまりに難解な作品だったものだから、聴衆の理解が得られず、映画的なテンション的はどんどん下がっていく。そう聞くと、なんだかマイナス・イメージばかりが先行するが、しかし実はこの後半部が音楽家にとって、いや芸術を志向する者にとっていちばん切実なくだりでもあるのではないだろうか。

 本作は“神に愛された者”と“彼と対等に話ができる者”とがほんの短い期間、共に並走する物語である。そして神に触れられたがゆえに得ることのできた「大衆の熱狂」と、その後てのひらを返したかのように訪れる「大衆の無理解」とが、作者を大きく苦悩させる物語でもある。

 当時においても、無難に成功を納めた者はいくらでもいた。彼らにとってみれば、“神に触れる”ほどまでに芸術を志向したベートーヴェンなどただの頭の固い“偏屈なジジイ”だったかもしれない。しかしすべては「歴史」が決着をつけてくれる。ベートーヴェンの残した楽曲が、その歴史という名の試験紙を通したところでいかなる価値を持ち得たかについては、すでに誰もが承知のところだ。

 その気が触れんばかりの荒々しい創作現場において、主人公の女性はベートーヴェンを力強く励まし続ける。彼の描きたいビジョンが、彼女にだけははっきりと分かるのである。そんな数少ない理解者を得たときのベートーヴェンの安らぎの表情が僕には忘れられない。彼らは身体と身体がつながりあうことは一切ないが、それでも永遠を求める精神性だけはしっかりと重なり合っていたのである。

 アーティストとその理解者との関係性とは、歴史上でも現代でも、つまるところ、そういうことなのではないだろうか。またそれに至らない“無難な”理解の感情など取るに足らないものなのだと、本作はそう確信させるほどに重要な作品である。

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そもそもCD1枚あたりの限界収録時間が74分なのは、「第九がちょうど納まる長さ」に設定されたから、と言われています。『敬愛なるベートーヴェン』のサントラには「第九」は完全収録されておりませんのでご注意ください。「バーンスタイン版」は、よく知られた廉価版シリーズ。

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