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2006/10/13

『人生は、奇跡の詩』

『人生は、奇跡の詩』について僕が『ライフ・イズ・ビューティフル』と共通した印象を持ってしまうのは、単に監督・主演がロベルト・ベニーニであるだけでなく、どちらも歴史に刻まれた悲劇の場所で主人公が愛する者を必死に守りぬくという映画だからだ。

元妻が危篤に陥ったとの報を受けた主人公が、緊急援助隊にもぐりこんで辿り着いたのは、イラク戦争真っ只中のバグダッド。医療物資の乏しいその地にて愛する者を救いたい一心で奔走する主人公の姿、そして戦場で巻き起こる悲劇とを、まさに『ライフ・イズ・ビューティフル』の精神を受け継いだ、笑いと感動とを織り交ぜたスタイルで描いている。

…だが、それにしてはいろんな事が多分に盛り込まれ過ぎて、すべてがとっちらかって終息している印象が強い。主人公が詩人であり、その友人(ジャン・レノ)も詩人なのに、戦場の地にてなんら言葉の力が発揮されないのは、構成上とても勿体ないことである。過去と現在、そして夢の中の出来事が交互に訪れ、観客になかなか全貌を明かさない仕掛けも、仕掛けといえば仕掛けだが、それにしては解き明かされたときのグッとくる手ごたえに欠ける。

しかしそれにしても鑑賞後の幸福感だけはしっかりと残るのが不思議なところだ。それはベニーニが抱く、この世のすべての争いごとが“愛”と“笑い”の前でだけは足をすくませ、これらの力は何にも勝る、という(かつてチャップリンが思い描いたものをしっかりと受け継いだ)かけがえのないビジョンを感じるからだ。

映画の中身は確かに“とっちらかって”いたけれども、世界の現状はなおのこととっちらかっており、いまだにイラク戦争の後始末もできず混乱が続いている。ベニーニは『ライフ・イズ・ビューティフル』で確かに大成功を納めたかもしれないが、そこで扱われたユダヤ人迫害という背景は公開当時すでに50年も前の出来事で、数多くのフィルムメーカーたちの被写体となっていたし、少なくともいまだ“とっちらかっている”という状況ではなかった(もちろん、“想い”を引きずる人はいまだ数多くいるだろうが)。とすると、『人生は、奇跡の詩』でベニーニがやりたかったことは、現在進行形の悲劇に“笑い”がいかに対抗しうるか、という挑戦に他ならないことになる。

映画の中でイラク戦争を描くということ。それも“コメディ”という枠組みで描くということ。

『ライフ・イズ・ビューティフル』に比べれば、達成感も躍動感も段違いに低いが、先に述べた“とっちらかりぶり”が実はベニーニの持つかけがえのない人間性(=持ち味)なのではないか、と考えてしまう。ここは観客がスマートな映画を強く求めるよりも、まずはベニーニ自身がそこから「物語る」ことをスタートするのを肯定すべきではないかだろうか。そう応援したい気持ちが湧き上がってくるのである。

なにしろ冒頭のシーンがあまりに美しいのだ。ミュージシャンのトム・ウェイツ本人がダミ声で奏でる優しいメロディーが心に沁みる。その中で抱擁を交わす男女、そして交わされる愛の言葉。このシーンに涙がこぼれそうになってしまうのは、ロベルト・ベニーニが再び映画の力を信じ始めた瞬間を強く感じるから、かもしれない。

この映画を観た10人に3人くらいは、その可能性に賭けてみたいと、そう思うかもしれない。

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