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2006/10/20

『長い散歩』

緒形拳が走る映画である。来年70歳になろうという彼がとにかく走る。奥田瑛二も酷なことするもんだと思って見ていると、今度は緒形、なんと本番の一発勝負で髪の毛を剃り上げた。それも『Vフォー・ヴェンデッタ』のナタリー・ポートマンとは比べ物にならないくらいに、躊躇なく、あっさりと。

覚悟を決めた緒形は、隣の部屋で親に虐待されている少女を救い出し、「青い空と、白い雲を見に行こう」と言って旅に出る。それは少女を救う旅でもあり、かつて道を誤った自分自身を救う旅でもある。彼にはその旅の代償が何であるか分かっている。しかし、今、やらなければならない。いま、この「長い散歩」に出なければならないのだ。

2006年のモントリオール映画祭にてグランプリ、国際批評家連盟賞、エキュメニック賞に輝いたこの『長い散歩(a long walk)』は、奥田瑛二による3度目となる監督作だ。その視線は見事なまでに成熟してすべてを見通したかのような神聖な域にまで達し、登場人物のほんの僅かな動きにすら愛と哀しみとを注ぎ込む。

かつて妻を失い、今なお娘から拒絶され続ける父親。親に虐待されてきた幼い少女。不思議と他人の心に入り込んでくる家出青年。

彼ら血の繋がらない3人は、いつしか擬似家族となって歩を進めていく。緒形にとっては過去の贖罪の旅、また少女にとっては愛を見つける旅となり、それはあたかも“巡礼”のような光景を作り出していく。

この巡礼は「子供」と「老人」とで構成され、そこには「中年」の姿が存在しない。本作に登場する中年世代はみんな逃げている。そしてかつて中年時代に“逃げた”結果として、いま老齢となった緒形の演じる主人公には、もう決して、逃げ道が残されていない。だからこそ人間の本能として、前に進むしかない。そこからみなぎる“力強さ”、というよりはあくまで“自然体”の姿に圧倒される。人間、間違いを重ねることで、そして歳を重ねることで、こんなにも安らかな表情を手にできるものなのか、と畏怖の念すら湧き上がってくる。

そしてクライマックスに向けて、また緒形拳が走る。

ひたすら走る。

連れの少女も同様に走り、刑事役の奥田瑛二も、その部下も全力で走る。腕と足とをがむしゃらに動かし、空気を吸っては吐き、泥にまみれ、草木の緑素にまみれ、汗がしたたる。その服に付着した匂いまでもが伝わってきそうな描写が、生きることの懸命さを全身の力をこめて讃えているかのようだ。

それは我々がこの無色透明な現代社会で忘れかけていた感覚、忘れかけていた“愛の形”であったことを、まさに魂のレベルで気付かせてくれる。

2008年10月5日、緒形拳さんが死去されました。

心よりご冥福をお祈り致します。

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