『ディパーテッド』
香港映画『インファナル・アフェア』のハリウッド版リメイク、『ディパーテッド』。
この二転三転するストーリーの持ち味を最大限に生かすためにはむしろマーティン・スコセッシではないほうが良かったのかもしれないが、製作陣はリメイク権を行使するにあたって“目くるめくテンポ感”を捨てて、むしろスコセッシという名の下に集まる豪華キャスト陣を選択するという手堅い戦法に出た。よって、マット・デイモン&ディカプリオといった主役の二人だけでなく、「州警察VSマフィア」として合わせ鏡のように広がる相関図の中で個々の見どころが満遍なく分散するような調整がなされてある。マーク・ウォルバーグしかり、マーティン・シーンしかり、アレック・ボードウィンしかり。彼らは個を主張するよりもまず、喜んでその身をスコセッシに捧げ、まずはこの肉厚なストーリーを伝えるための“部分”として機能している。
いやでも、ひとりだけ、それじゃあ済まない男がいた。
ジャック・ニコルソンである。
彼が現われた瞬間、この映画はオリジナルのあらゆる要素をかなぐり捨てて、むしろ彼のための作品なのではないかとさえ思えてくる。なにしろひとりだけ「演技の抑制など、なんぼのもんじゃい」とばかりに凄まじい存在感を見せ付けるのだ。どんなにシリアスなシーンであろうと彼の“顔芸”ひとつですべてが吹っ飛んでしまう。彼の一挙手一投足にいちいち爆笑してしまう。ニコルソンってこんなに面白かったっけ?っていうか、これって笑うシーンだっけ?ストーリーを飛び越えて、とにかくニコルソンを堪能した。とにかく大笑いした。
しかし、だからといって本作が破綻しているわけではない。ニコルソンがどれだけ暴走しようとも、どこかで周到にバランス作用が働いているのだ。
その要因は、もうひとつの映画の顔、ボストンの街並みにある。ブラッド・ピット率いるプランBが原案を買い取り、その脚色を手がけたウィリアム・モナハンは、あのオリジナルのどんどん無国籍化していく香港の街並み(古い建築物がどんどん消滅し、高層ビルが乱立するような)をアメリカ式にニューヨークに置き換えるわけでもなく、あえて自分の出身地、ボストンに息づかせた。冒頭にはまず、このダウンタウンがいかにしてアイルランド系マフィアに支配されたかについての“街の歴史”が語られる(その部分のドキュメンタリー的質感は圧巻だ)。つまりニコルソン演じる怪物のごときボスも、結局はそこから生まれ出たムジナというわけだ。彼がどれだけエキセントリックな存在感を誇示しようとも、お釈迦様の手の上の孫悟空のように、そのエキセントリックな存在感のすべてがこの街にすっかりと包摂、相殺されていくのである。そうやって全体的なバランスを調整させていくあたり、さすが映画界のマエストロたるマーティン・スコセッシ。ニコルソンを放し飼いにしているようで、実はしっかりと飼いならしていたのだ。
スコセッシはこの忠誠と裏切りの物語を、街の“クロニクル”に寄り添うことによって土台部分から抜本的に作り変えた。オリジナル版で最も印象に残るあの高層ビルの屋上のシーンも、このボストンのダウンタウンでは建築様式から空の色まで何もかもが違う。
プロットとして共通する部分は多いが、あらゆる意味でオリジナルと精神性を異にした本作は、つまり「ある街の物語」ということができるのかもしれない。これまでスコセッシが数多く手がけてきた過去の作品と同じように。
*タイトルの「ディパーテッド(The Departed)」とは「死者」という意味。全編を通して貫かれる「死のイメージ」からそう名づけられている。スコセッシはこの映画の多くの美術に“十字架”を取り入れているらしいので、余裕のある人はスクリーン上をくまなくチェックしてみよう。
『ディパーテッド』は、2007年1月20日より松竹・東急系にて全国ロードショー
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