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2007/01/21

『パフューム ある人殺しの物語』

もしもX-MENのメンバーの中にすごい嗅覚の持ち主がいて、彼(彼女)を主役にスピンオフ映画を撮る機会が巡ってきたなら、その打ってつけの監督は間違いなくトム・テイクヴァだろう。いや、実際、X-MENなどどうでもいい。僕が言いたいのは、それほどまでにこの『パフューム』が魅せる嗅覚表現は画期的であり、発明だってことだ。

あらゆる映像が香る!香りが舞う!それを嗅覚が追いかける!匂いが混濁する!そして新たな香りが生まれる!

ややもすると「陰湿で陰惨」との烙印を押されかねない原作世界にこうした画期的なビジュアルを導入することによって、本作は「ある人殺しの物語」である以上に「香りの人類史」として、崇高な視点を構築している。

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<ストーリーを簡単に知りたい方は、『パフューム』公式HPへ>

物語はある連続殺人犯の死刑直前で幕を開ける。おびただしい人々による「殺せ!殺せ!」の大合唱。そして牢獄の暗闇に浮かび上がる男の表情。そう、彼こそが本作の主人公であり嗅覚の天才、グルヌイユだった。

場面は一気に彼の誕生の瞬間へと飛ぶ。18世紀、パリ。そこには花や果物から汚物にいたるまであらゆる匂いが日常に充満している。その匂いのカオスたる“市場”で、その天才は産み落とされた。しかし母親はそのまま赤子を放置。生臭い魚以上には価値のないその生命を、遠くから野良犬が狙っている・・・と、この瞬間に最初の奇跡が起きる。少年は命を取救われ、孤児院へ。子捨ての母親は死刑台へ。

グルヌイユは数々の運命に恵まれながら、自分の嗅覚才能に目覚める。ほとんど言葉を口にしない彼と世界とを繋ぎとめる手段は「匂い」だけだった。匂いへの異様な執着は次第に加速。奇しくも当時の貴族界は匂いを液体化して調合し、身体に振りまき、嘔吐を催すほどの市井の匂いを更なる強烈匂でもって相殺していた。つまり「香水」の流行である。

やがてグルヌイユは香水調合師に弟子入りし、「匂いの抽出法」を執拗に追い求めるようになるのだが、実は彼の内側には恐ろしい狂気が育ち始めていた…。

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匂いの混沌の中で生を受け、奇妙な人生を歩むことになるグルヌイユ。彼を演じたベン・ウィショーは、もともとイギリスの演劇人で、映画への出演は始めてだという。そんな観客にとってどのフレーバーにも属さない未知なる存在感が、名優ダスティン・ホフマン、アラン・リックマンをも向こうに回し、物語を不気味にグイグイと引っ張っていく。

だが、本作をとんでもない傑作に至らしめているのは紛れもなくクライマックスだ。冒頭の死刑執行シーンに舞い戻ったこの最終章。おびただしい観衆の前で一体何が起きるというのか。まるでブリューゲルの絵画のような村民たちが、あることをきっかけにとんでもない状態に陥ってしまうのだ。このシーンに触れたとき、特に原作を読んでいるわけでもなかった僕は腰が砕けそうになった。宗教、道徳、その他のあらゆる価値観を飛び越えて、ある種の超人的な力がこの映画を奇跡的なまでに掌握していく。

そして観客は、本作の中心たる「匂い」が無色透明であるがゆえに、それが記号的にあらゆる価値観にも応用できることに気付くだろう。この映画を見て、非道徳だとか、グロテスクだとか非難の声をあげる人も少なくない。しかし、本来、人間の生とは紛れもなく非道徳的&グロテスクなものであり、本作はその営みを「とある視点」によって編纂しなおし、寓話的世界観の中に封じ込めた、いわば「香水」のようなものなのだ。

また、それらの概念が煙のように「一時的」であることも重要なファクターだ。「匂い」をはじめ「食欲」、「権力」、「性欲」、「愛情」、「憎悪」、「財産」、「道徳」、「宗教」、その他のあらゆるレベルや観念を超えて、永遠なものなど存在しない。すべてはパフュームのごとく人々を一時的に魅了し、そしてフッと“消え失せる”のである。それはもちろん、我々の「生命」とて例外ではない。

ただ、僕の目には狂信的に匂いを追い求めるグルヌイユと同様、狂信的なまでに映像を追い求めるトム・テイクヴァの姿が見える。『ヘヴン』で魅せたクラシックなテイストに『ラン・ローラ・ラン』の奔放さが調合される。その薄気味悪くも格調高いストーリーを駆け抜けるのは、赤髪のローラではなく、自由自在に飛び交う映像(カメラ)なのだ。それを決して小手先の演出で終わらせないのがこの人の凄いところ。彼がラストで見せる恐ろしくも大胆な演出が、視覚や嗅覚という枠組みを超えて、脳裏に激しく刻印されていく。しかもそれがデジタルではなく、途方もないまでにアナログな演出であるところが心を揺さぶって余りある。

きっとこの映画は、あなたが劇場を後にしても、強烈な残り香が鼻腔を侵し続けるだろう。現に僕の場合、試写から3か月が経とうとする今でも、その香りは一向に消えそうにない。

パフューム ある人殺しの物語』は、3月3日よりサロンパス ルーブル丸の内ほか全国松竹・東急系にてロードショー

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パトリック・ジュースキントが36歳のときに原作を発表したのが1985年。その後、本作は45カ国語に翻訳され1500万部もの売り上げを記録。もちろんこれまでには幾度となく映画化のオファーが殺到し、その中にはスティーヴン・スピルバーグやマーティン・スコセッシの名前もあったというが、原作者は決して首を縦に振ることはなかった。しかし粘り強さの勝利というべきか、時間の経過が決着をつけたというべきか、『薔薇の名前』(86)の製作者、ベルント・アイヒンガーが権利を取得する。しかしこの機に及んでも、原作者は「自分は映画に関しては一切関わらない」という条件付きだった。これは「自由にやってよい」という許可である一方、「どんなサジェスチョンを求められても答えないよ」という断絶とも受け取れ、どっちにしろ製作者には悩ましい事態だったに違いないが、トム・テイクヴァの起用こそがすべてを解決に導く原動力だったものと思われる。

「文学か、映像か」という論議は原作モノでおなじみだが、『パフューム』は少なくとも『ダ・ヴィンチ・コード』のような不発弾ムービーではない。製作者、監督、脚本家がどの文学表現をどのような映像文法で表現しているのか、安心して比較分析してみてください。

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