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2007/01/08

『ルワンダの涙』

村上春樹の著作に『アンダーグラウンド』というルポルタージュがある。地下鉄サリン事件の被害者へのインタビューを基にしたこの本は、あのとき、あの場所に存在した複数の被害者の目線を章ごとに交錯させ、そこで巻き起こった悲劇の重みを有無言わさぬリアリティとディテールで浮き彫りにした作品だった。

『ルワンダの涙』を見ながらこの村上作品を思い出していたのは、昨年、日本でも公開された『ホテル・ルワンダ』と共に、本作がルワンダ虐殺についての“複数の目”を形成しており、それが互いに交錯する生々しさに激しく胸がえぐられたからだ。

奇しくも昨年は『ユナイテッド93』と『ワールド・トレード・センター』といった9.11についての物語が公開された年でもあった。つまり世界の表舞台において、ひとつの悲劇から映画としての複数の目が生成されるのに「5年」といったタームが付与されたわけだ。

一方のルワンダ虐殺が起こったのは1994年。通常、歴史上のとある悲劇について“複数の目”を成すにはそれなりの時間が必要だとはいえ、両者のタームの差には歴然たる資本主義社会の注目の度合いが関係していることは言うまでもない。それでもここに、(たとえ十年以上の年月が必要だったとはいえ)『ホテル・ルワンダ』、『ルワンダの涙』のような作品がこの世に生まれ出たことは、我々の注意力を地球上のあらゆるところにまで拡げるための礎となることだろう。

時は1994年4月、舞台はルワンダの首都キガリにあるカトリック系の公立技術学校。英国から布教にやってきたクリストファー神父によって運営されるこの学校は、国連平和維持軍の駐留地でもある。この国では多数派フツ族による少数派ツチ族への憎悪が沸点に達しようとしていた。その矢先、大統領の乗った飛行機が爆撃されたことで国内情勢は一気に混沌化。フツ族はツチ族に対して大ナタを振り下ろしはじめる。逃げ惑うツチ族は次々と学校へ避難し、フツ族もその動きを察知しておびただしい人数で学校を取り囲む。神父と英語教師のジョーはこの緊急時に自分達が取りうる手段を求めて校内外を奔走し、キガリのあらゆるところで虐殺の現場を目の当たりにする。神父は国連軍に沈静化を懇願するが、彼らはそれが内政干渉に当たると介入を拒否するばかりか、やがて撤退命令を受け、ルワンダを見捨てる決断を下す…。

ご覧のとおり、本作は『ホテル・ルワンダ』とほとんど同じ時系列で展開する。この2作に共有するシークエンスの数々がいかにリアリティを帯びたものであったか、両作がルワンダの別の場所を舞台にしながら互いにまったく同じ状況を目の当たりにしていたことが分かる。

ただ『ホテル・ルワンダ』が直視し難い現実の中に“希望を描く”という手法で観客の視点を導いたのに対し、『ルワンダの涙』の状況は、どうしようもない“絶望”に満ちている。誰もが無力感に苛まれ、目の前の惨劇に成す術もなく足元から崩れ落ち、悲劇的末路の到来をただ待ち続けるしかない。直接的な描写は避けてはいるが、それでも生々しい殺戮の場面は数多く見られ、この息苦しさは観客に忍耐強さを要するかもしれない。

そもそも本作のプロデューサーは、事件当時BBCの報道記者として現地入りし、結果的に多くの人々を見捨てて帰国した経歴の持ち主だという。当時の計り知れない後悔が彼を映画製作へと向かわせた。もちろんシークエンスの数々にはフィクションを織り交ぜてはいるものの、どの描写にも、どの登場人物にも根拠がある。あの時、あの場所でルワンダの地獄を体験した人たちの記憶の集積、複数の目が、本作を編纂している。

原題は“Shooting Dogs”。技術学校に駐留するベルギー軍の兵士たちは内政干渉にあたるから自衛以外の発砲は認められていなかったが、道端に転がったツチ族の死体に犬が群がり肉片をあさるのを見かねて発砲を繰り返していた。この光景について神父は兵士に「犬が君達に発砲してきたのかね?」と暗に怒りをぶつける。世界の表舞台では英国人の大好きなブラック・ジョークのような響きすら持つこの言葉が、裏側では絶望の淵に咲く皮肉でしかない。この十数年の歳月は、現地のルワンダ人のみならず、多くの悔恨を抱えた作り手がこの身につまされるタイトルと対峙できるまでに必要だった沈黙の時間だったということもできるのかもしれない。

校内に避難したおびただしい人々の運命。ふたりの英国人に突きつけられた国外退避への道。かつてはこの国に希望を抱えてやってきた神父の信仰心、そして彼が下したひとつの決断。

本作は歴史が避けられなかった地獄をついに打開できないまま、無情にも暗転のときを迎える。しかし、観客が無力感に打ちひしがれながらエンドクレジットを目にするそのとき、本作にはただ唯一の“希望”が、枯れ地に花が咲いたかのように炸裂するのである。詳しくは述べないが、この部分にこそ、本作の製作者と現在のルワンダ人たちがこの国で再び歴史に向き合おうとした理由が堰を切ったようにあふれ出している。

この映画で重要なのは、映画というメディアが“悲劇を伝える”ということ以上に何を成し得るか、というケースワークにもなりえたことだ。本作を製作すること自体が“複数の目”を生成するためのツールとなったことに大きな可能性を感じずにはいられない。

我々が唯一感じた“希望”は、決してその物語の内に没するような小手先の演出ではない。現代社会においてこの映画が成し遂げたひとつのリアルな手ごたえなのである。

『ルワンダの涙』は、1月27日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズ他にて全国順次ロードショー

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ルワンダ虐殺をより多角的な視点で理解したい方にはこの本がお薦めです。

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