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2007/02/03

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

 原作が200万部も売れ、フジテレビでスペシャルドラマ化&月9ドラマにもなったこの物語。その最終形態としての映画版は、まず1枚の扉から幕を開ける。数秒後、それを粉砕し飛び込んでくるのはもちろん若き日のオトン。その姿に導かれるように、僕らもそこから本作へと足を踏み入れていくわけである。

 この冒頭シーンは原作の旨味を器用に踏襲しながらも独自の高揚感、テンポ感、有り余るエネルギーを爆発させ、映画ならではのアプローチを忘れない。あくまで作家性を薄めにして原作世界を真摯に伝えようとする松岡錠司監督と、これまでにも一筋縄ではいかない数々の荒行を成し遂げてきた松尾スズキの日本語センスが物凄い勢いで絡まりあい、化学変化を起こし、奇跡的なまでに感度の高いシーンに出来上がっている。キーワードは“アヴァンギャルド”。タイトルと共に映し出されるのは、あの東京タワーの映像だ。やっぱりこの建築物は映画館のどでかいスクリーンで仰ぎ見なけりゃ嘘になる。古いモノクロ映像でそびえたつタワーの雄大さに思わず涙がこぼれそうになった。

 そもそも地方出身者にとって東京タワーってやつは微妙な存在だ。故郷からだとあんなに憧れの象徴に見えるのに、実際に上京すると毎日のように視界に入っていても、改まって昇ってみようとは思わない。それは人間関係にも似ている。近すぎて分からない距離。遠すぎて分からない距離。結局のところすべてはやっぱりリリーさんの言うように、「ぐるぐるぐるぐる」なわけなんである。

 原作では時系列で進んでいくストーリー。この映画では“東京タワーからいちばん遠くにいた頃”と“東京タワーのいちばん近くにいる現在”とが交互に語られていく。

 なので、本作の最重要人物“オカン”にも過去と現在とが交互に訪れる。このキャスティングに驚かされた。歳を重ねたオカンには樹木希林。若い頃のオカンにはその実娘、内田也哉子。とすると当然オトンには内田裕也…となると単なる内田家の話になってしまうので、正式なオトンには小林薫。

 内田也哉子はこれが本格的な演技初挑戦となるそうだが、初めのほうこそ違和感あれど、それは観る者に不安があるからで、時間が経つにしたがって彼女の身体から滲み出る不思議な空気が観客の心を軽妙に掴み取っていく。ここでは演技力など意味を成さない。彼女のリアルな表情、気取らない態度がすべて人間臭く映し出され、彼女が現代の樹木希林とスイッチするたびに、そのどうしようもないDNA的な連続性が観客の心に激しい揺さぶりをかけてくる。

 もちろん後半になって過去のエピソードは現代に追いつき、オカンは希林さん一色に染まっていく。そうなると彼女はますます凄まじいパワーを発揮しはじめ、その一挙手一投足が観客を笑わせ、泣かせもする。脚本上は何てことないオカンの些細な動きに観客の呼吸がヒュウと乱れる。一秒ごとに何かが起こる。もはや役者というよりも、人間という名のあまりにリアルな“怪物”である。

 それに比べると影が薄くなりがちなオトン。しかしこの映画の小林薫がビックリするほどリリー・フランキーに似ていたので驚いた。小林さんはやっぱり小林さんだった。見事。まるで太極拳のように樹林さんの怪物性を解体していく。そして“田舎から見た東京タワー”のごとく常に“遠くの存在”でありつづけるオトンの、破壊的でありながら飄々と掴み所のない人間性を、見事な温度で一貫させている。

 そして、すべてのクセモノ俳優たちの演技をキャッチャーとして受け止め、同時に自らも主人公として出塁しなきゃならんオダギリジョーの、いつも変わらぬ安定した存在感がそこにある。これらの布陣があって化学変化が起こらぬわけはない。もう、あらゆる瞬間を見逃してはならないと、目を皿のように見開く自分がいた。

 この映画は観客が想定しているようなところで泣かせはしない。ああ、来るぞ、来るぞ、とハンカチの用意をしていると意外とあっさりと通り過ぎ、その分、原作のほんの一行を切り開いて描写したような思わぬシーンに後頭部をガツンとやられたりもする。あるいは飛び道具のように現われる荒川良々の反則スレスレの存在感に引っかかったりもするだろう。綺麗に何らかの落としどころを提示して観客を満足させるというよりは、むしろこの映画が終わっても僕らのリアル・ライフは延々と続いていくことをどうしようもなく意識させる後味を残す。その意味で、たまらなく“人間臭い”触感がずっと掌に残って消えることはない。

 きっとリリーさんも、あんな感じで飄々とした人だから、自分が書いた物語で読者に泣いてもらおうなどとは考えていなかったんだと思う。人にはそれぞれの「東京タワー」があり、この作品の示す“ボク”は、例えスクリーン上でオダギリジョーが演じていたとしても、この作品に接するすべての“一人称”でもあるのだと思う。

 原作と同じく、映画でもオダギリジョーがあの独特の語り口で「ぐるぐるぐるぐる」と繰り返す。その“ぐるぐる”も押しなべて伸ばせば、そのまま一本の道となる。その途上では、オカンやオトンだけでなく、星の数ほど多くの良き人たちが、みんなにこやかに笑っている。そういう輝きは、やはり時として立ち止まって、タワーに上って見渡さなければ気がつかないわけである。

 原作のダイジェスト的な足早さは全くない。2時間22分、焦らずじっくりと醸成される「ぐるぐる」を、船にでも身を任せたつもりでゆっくりと味わってください。エンド・ロールが終わると、心の中に不思議な胚芽のようなものがドッシリと腰を下ろしているはずです。

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

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