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2007/02/21

『THE QUEEN クィーン』

昨年公開された『太陽』というロシア映画もアンタッチャブルな題材に切り込んで話題となったが、『クィーン』で垣間見られる英国王室の世界はさらに驚愕の事態を迎えている。こんなの映像化しちゃって大丈夫なのか。いや、大丈夫なんだろう、もうしちゃったんだから。そしてその評価としておびただしい賞を獲得しているわけだから。

タイトル・ロールを演じるヘレン・ミレンは、一般市民には決して覗い知れぬクィーンの日常を覚悟を決めてさらけだす。スカーフにサングラス、それに革ジャンを着込んで「じゃあ行って来るわ」とジープで鹿狩りに出かけたりもすれば、クィーンの寝起きシーンだってあるし(見たかないよ)、家族でそろって寝巻き姿でBBCテレビを視聴するシーンだってある。驚くべきことに、これらロイヤル・ファミリーの日常描写は、フィクションを交えているとはいえ、脚本を担当したピーター・モーガン(『ラストキング・オブ・スコットランド』の脚色を担当したのもこの人だ)によるかなり精緻な取材を基にしたものだと言う。

だが、それらの描写は始めこそ観客の目を惹くものだが、次第に“ひとりの人間”としてのクィーンを描くための手段だということが分かってくる。語りの名手たるスティーブン・フリアーズはそのあたりをひけらかすこともせず、決して焦らず、かといって観客の気を揉ませることもなく、見事なウェルメイドな世界観を形成していく。作品から香り立つような“安心感”は最後までブレることはない。

やがて事件は起こる。かつてロイヤル・ファミリーだったダイアナの乗った車が滞在先のパリで交通事故を起こしたのだ。真夜中に鳴り響く電話。側近がすぐに家族へ事情を告げ、彼らはおよそ英国民と同じくダイアナの安否を心配しながら真夜中のテレビを見守る。そしてニュースに先んじて知らされる彼女の死。「なんてことだ」と顔面蒼白になるチャールズ。翌日からファミリーの対応に全世界が注目するようになる。既に王室と決別し一般人となったダイアナに対して王室がどのような振る舞いを行うのか。クィーンは昔ながらの毅然とした態度で「沈黙」を決め込むものの、国民は黙っちゃいない。メディアも騒ぐ。それを見かねて首相就任直後ののブレアも奔走し始める。しかし彼は意固地なクィーンとの交渉を重ねる中で、徐々に野心的な想い超えて、クィーンと国民とを繋ぐ自らの使命を自認し始めるのだった。

肝心のダイアナは劇中のニュース映像のみでしかその表情を見せることはない。この「不在」の人物をめぐり周囲の登場人物たちが慌てふためくという手法は、舞台や映画を問わず多くの作品で多用される極めてオーソドックスなもの。そして、彼ら英国人のやりとりに欠かせない皮肉や裏腹が英国映画としてのオーソドックス性に拍車をかけていく。すなわち、この映画のセンセーショナルな部分はその“題材”のみであって、それを彩る手法は常にオーソドックス。フリアーズは幾度も使用されてきたそれらの手法を、より洗練された形で踏襲することによって作品全体を輝かせようとしている。

特にこの映画で注目したいのは、クィーンと英国民の描き方だ。海外旅行でバッキンガム・パレスの衛兵交代を格子ごしにチラ見しただけでは決して理解し得ない両者の切っても切れない関係性を、「なるほど!」と思うほど分かりやすく紐解いてくれるのだ。

映画の中で側近達はクィーンを「マアム」と呼び、クィーンもたびたび国民について「私の子供たち」というような表現をする。その子供たちがダイアナへの対応をめぐって王室を非難している。ヘレン・ミレンの見せる表情はまさに母親の憂鬱だ。それは彼女自身の憂鬱でもあり、同時に長らく歴史を紡いできた英国王室そのものが迎えた憂鬱でもある。バルモラル城に引きこもった彼女が大自然の中で時折「子供たちの気持ちが分からなくなったのかしら」と考え込むような素振りを見せるシークエンスは、まさに反抗期の子供に思い悩む母親の姿である。

と同時に、彼女は紛れもない王室の長である。その威厳に満ちた存在が目の前に現われるたびに、国民は自ずと頭を垂れてきた。そんな人間の習慣的であり、本能的でもある行為を起こさせるのも紛れもないクィーンの力なのである。この映画でクィーンのそれらふたつの像がピタリと重なる時、英国民ならずとも観客はとてつもない安心感に包まれ、軽く頭を垂れたくなってしまうのだから不思議なものだ。母であり、女王でもある。その両者を体現するヘレン・ミレン。さすがオスカー女優の風格。やはり凄いことをやり遂げているわけである。

そしてクィーンをピンチから救うべく奔走するブレアも、自分自身が国民の“代表”であると共に、紛れもないクィーンの“息子(実の息子っていう意味ではなく)”であることに気付く。この象徴としての“母”“息子”の関係が機能し始めてからの展開は、目の覚めるような勢いで転がりを見せる。

彼らだけではない。本作には他にも名キャラクターが大勢ひしめいている。王室反対をと唱えるブレアの妻シェリー・ブレアの態度も映画のテンポを弾ませ、二言目には「鹿狩りに行こう」としか言わないフィリップ殿下(久々のジェームズ・クロムウェルが嬉しい!)はたびたび災いを生んできた口の悪さを連想させるように「ダイアナめ!」「メディアに踊らされおって!」と悪態ばかりついているし、弱気な息子チャールズは自分が民の標的とならないように影でコソコソと動いて母親に意見する機会をうかがっているし、クィーンの母たる皇太后は年齢の割に元気に皮肉めいた言葉で笑いを誘う。それぞれが極上のコメディ・リリーフとして機能し、この“憂鬱の物語”を軽やかに彩っている。

まるで英国の“家族の肖像”を目撃したような気にさせられる104分。そして一度は英国に足を運んだことのある人にとって、10倍は楽しめる作品である。

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