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2007/02/05

『ラストキング・オブ・スコットランド』

さて問題。アカデミー賞で主演女優賞を獲得した『クィーン』と、主演男優賞を獲得した『ラストキング・オブ・スコットランド』、その共通点とは?

答えは脚本家のピーター・モーガン。主演女優に“クィーン”、主演男優に“キング”という絵に描いたような盛り上がりの裏側には、この英国人脚本家の存在があったわけだ。『クラッシュ』のポール・ハギスのように今後の映画界を席巻するかどうかは分からないが、今後“話題の人”となることだけは間違いなさそう。

というわけで、『ラストキング・オブ・スコットランド』の世界へようこそ。

恐らくこの映画に触れる人たちは、まず初めに『ブレイブハート』のような男たちのスペクタクルを想像し、次に70年代のウガンダが舞台と知り、だったら『ホテル・ルワンダ』や『輝く明日に向かって』のようなアフリカに関する社会派&人道的ドラマを期待するかもしれない。だが、本作はそのいずれをも超える。そして僕らが太古の昔より対峙してきた“人間の本質”について、深く深く掘り下げていく。もっとも、あまりに掘り下げすぎて、僕らはそこであまりに恐ろしいものを目撃し、足がすくみ、もう後戻りができなくなってしまうのだが。

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1998年に発表されたジャイルス・フォーデンによる同名小説をもとにした本作は、ひとりの若者の旅立ちから始まる。スコットランドの医学校を卒業したギャリガンは“ここではないどこか”を求め、地球儀でウガンダを指す。ここなら自分の求める“生きがい”と“冒険”とが待ち構えているはずだ。いまだ“医師”よりも“呪術”を選ぶ人々の住む村で診療活動にあたる彼は、奇妙な運命のいたずらで当時の大統領アミンと遭遇する。ギャリガンがスコットランド人だと知り、「俺はスコットランドが大好きだ!」と意気投合するアミン。クーデター直後の不安定なウガンダにて、彼らの親交はそうしてスタートした。

翌日、ギャリガンは大統領主治医として首都へと招かれる。アミンの巨大な包容力と周りを魅了する豪快な人柄に陶酔するギャリガン。ひとりのスコットランドの若者に過ぎなかった彼はどんどん政権の中枢へと入り込んでいく。

だが、そこで後ろ扉はパタンと閉められた。幸福な時間は無情にも過ぎ去り、悪魔が人間の皮を破り捨てる時間がやってくる。彼はこれからアミンの、あまりに恐ろしい本性を知ることとなる…。

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70年代のウガンダといえばちょっとウィキペディアで調べれば分かることだが、かつてのイギリスによる植民地支配から独立し、しかし政情はなかなか安定せず、統治の過程で数々の残虐行為が行われていた。

そして独立後も相変わらずイギリスによる干渉は続いていた。ウガンダ政府の中枢に入り込んだスコットランド人のギャリガンは、たびたび横槍を入れてくる英国人の高等弁務官に「イングランド人め!」と苦々しい表情を向ける。

ギャリガンがスコットランド人であることにより、本作は非常にシニカルな“ねじれ”が生じてくる。「英国とウガンダ」と「イングランドとスコットランド」。“支配”という言葉をめぐり、次元は全く違うまでも、両者ともに似たような関係性(こういうと御幣があるが)に覆われている。少なくともギャリガンは、イングランド人に対して「支配者め!」とは思わないまでも、「偉そうなやつらめ!」くらいのことは感じている。4つの非独立国の連合からなるUK(ユナイテッド・キングダム)において、イングランド以外の国々が抱えたある種の“劣等感”がそこに見え隠れする。

そして本作の奇妙なタイトル“The Last King of Scotland”は、実際のアミンの発言に由来している。英国による内政干渉に関しアミンは外国人記者団に「私はスコットランドの最後の王だ」と語る。彼は“ついこの前まで植民地だった国”という殻をブチ破り、“ウガンダと英国”の関係性を上記で言うところの“スコットランドとイングランド”の関係性の次元にまで押し上げて対等にモノを言ってみせたのである。この豪快さがアミンの凄いところだ。有無言わさず人を惹きつけるパフォーマンス能力。本作は彼を歴史の教科書的な“人間の顔をした悪魔”として処理するのではなく、狂人の一面を持ちながらも、一方でとてつもなく魅力的な存在として力強く描写していく。

その人間性の両面を体現するフォレスト・ウィテカーがとんでもないことになっている。彼に関して言えば、数々の賞レースにおける絶賛が彼の知名度を上げたというよりは、まず初めに“フォレスト・ウィテカー”という誰もが認める才能があり、製作陣がその存在感に本作の命運を託した、ということになるのだろう。これまでにも『バード』でイーストウッドに見出されたり、『バトルフィールド・アース』でトラヴォルタと共にとんでもない宇宙人を演じたりと、数々の武勇伝を残してきたが、一方で映画監督をも務める才人でもある。インタビュー映像や授賞式レポートで見る彼の素顔は知的な上に本当に人懐こい笑顔に満ちていて、アミンの覗かせる“悪”の一面なんて微塵もないように思える。だが、この男が豹変する。物凄い形相でギャラガンを地獄へと送還する。観ているこっち側もこれには言葉が出ない。

加えて、本作がひとつの歴史的告発から大きく化け、そんじょそこらのホラー映画の何倍ものゾワゾワした肌触りを残すのは、この映画をコーティングする生地がとてつもなく“寓話的”だからだ。

この物語は“事実に基づいている”が、若きスコットランド人の医師など、数々のフィクションにも満ちている(何人かの実在の人物をモデルにしているらしい)。歴史のエキスを融解し、そこにフィクションを織り交ぜ寓話的な形状へと固め直したとき、“事実”とも“虚構”とも取れない恐るべき物語が誕生したというわけだ。

つまり、僕らは本作に触れる前から、このストーリーを知っている。それは太古の昔より何度となく語り継がれてきた“悪魔との契約”の話。悪魔は時としてとても魅力的に微笑み、結局のところ人間は、快楽の代償として身長や寿命やあらゆる大切なものを根こそぎ全部持ってかれるわけである。

もっとも本作にいたっては、その“悪魔”が紛れもない“人間”であるわけだけれど。

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