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2007/03/30

『アポカリプト』

“アポカリプト”、それはギリシア語で“新たな時代、隠されていたものが明らかになる”ことを意味するという。

監督は、前作『パッション』でキリストが十字架に掛けられるまでを観客の眼前に極限までリアリスティックに提示したメル・ギブソン。彼が狙いを定めた次なるテーマが「マヤ文明」と聞くと、誰もがまた『パッション』の記憶を呼び起こし、俄かに腹の辺りを緊張させずにはいられないが、その条件反射はフィフティ・フィフティの割合で適当でも不適当でもない。というのも、『アポカリプト』はマヤ文明の日常をリアルに再現するのと同時に、『パッション』の趣向とは大きく隔たりのある驚くべきテーマパーク&ジェットコースター・ムービーに仕上がっているからだ。

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2007/03/29

『ブラッド・ダイヤモンド』

 レオナルド・ディカプリオはいまやハリウッドのレジェンドとなることを約束された俳優といっても過言ではないが、『ブラッド・ダイヤモンド』での彼の表情はこれまでのキャリアのどこででも見せたことのない不思議な魅力に満ちていた。それは彼が映画一本分を全て象徴する気負いを捨て、むしろ歯車に徹することによって生まれた結果だったようにも思える。

 この映画の主人公をあえてひとり挙げるならば、それはディカプリオではない。タイトルの示す“ブラッド・ダイヤモンド”そのものである。ディカプリオを始めキャスト陣は、その周りを漂う衛星のような役割と言うべきか。では“紛争ダイヤ”とも呼ばれるそのアイテムの正体は、いったい何なのか。

 国連の親善大使として世界を飛び回るアンジェリーナ・ジョリーの著書によると「アフリカでは資源が豊富なほど血が流れる」のだという(本作とアンジーとは何の関係もないが)。つまりそこで得られる富をめぐって国内に争いごとが絶えないというわけだ。ここでは秘密裏に反政府軍さえもが人力を総動員してダイヤの発掘作業を行い、そこで得たダイヤモンドを世界の闇ルートで売却することによって武装拡充のための資金を得る。このような泥沼の関係性の成り立つ国内では、結果的に政府軍と反乱軍の軍事力が拮抗して内戦が永続することとなり、さらに悲劇的なことには、反乱軍は近隣の村々を次々と襲撃しては略奪と残虐行為を繰り返し、男たちは殺されるか復讐を企てぬように両手を切断されたり、強制連行されてダイヤ発掘のために駆り出され、子供たちは連れさられて少年兵として教育される。まさに悪夢の連続。いや、これはただの物語のあらすじというわけではなく、本当に起こっていることなのだ。

 そんなシエラレオネで3人の人間が運命的な出逢いを果たす。ダイヤの密輸業者のディカプリオ、反乱軍に村を襲われ家族と引き裂かれるジャイモン・フンスー、そしてジャーナリストのジェニファー・コネリー。そしてすべてはフンスーが幻のピンク・ダイヤを発掘することから動き出す。ひとりはそのダイヤで利益をあげようと血眼になり、ひとりは引き裂かれた家族を取り戻そうとし、ひとりはこの紛争を記事にすべく情報提供者を探している。本作は実際にはありえないこのトライアングルを用いて“紛争ダイヤ”について世界に知らしめようとする責務を担ったエンタテインメントであり、登場人物が偶然にも悪夢の連鎖を断ち切るための勇気と使命をあわせ持つというドラマ性に富んだ映画でもある。

 中でもいちばん劇的にその人間性を変えていくのがディカプリオ演じる密売人だ。この紛争の元凶でもある彼の存在は、映画の開始から観客にとって感情移入の隙間すら垣間見えず、僕らは彼がディカプリオであることすら忘却してしまう。そして僕らが“紛争ダイヤ”について理解を深めていく過程とシンクロするかのように彼の人間性は少しずつ変化の兆しを見せ始める。それはまさに化学変化のようなものだ。本来ならば全く違った領域に生きているはずの3つの視点が、内戦の激化するシエラレオネにて奇妙な具合に1点に重なり、互いの利益のために本性をむき出しにして相手を利用しあいながら、いつしかその集積が運命の扉を押し開くためのきっかけとなっていく。

 『ラストサムライ』から3年、エドワード・ズウィック監督の描くこのストーリーは、少年兵が笑いながら銃を乱射したり、相手に撃ち殺されたりするといった目をそむけたくなるような混沌風景を我々に投げかけながらも、そのギリギリの境界ラインで人間の本質を刻み込んでいくことを忘れない。特に反乱軍の兵士が口にする「本来、おれは悪魔なんかじゃない。だがこの地に生まれたことが俺にそうさせるんだ」というセリフがこの状況を包み込む根本的な命題として響いてくる。しかしそれに対抗するかのように、ズウィックは3人のフィクション上の登場人物の織り成す偶然のトライアングルを機能させ、ほんの僅かな事態の前進を試みるのだ。我々がラストで目撃するのは、混沌の中に針で穴を空けたほどの希望に過ぎないかもしれないが、むしろ3人がここアフリカで体験した心の移動、泥沼から抜け出そうとする衝動、そしてこの大地の原初的な美しさこそが、僕らの魂を激しく揺さぶる成果となる。

 僕らがこの映画を観たとしても、そこで感じたことを何か行動で示すことは決して容易ではないが、少なくともこの世界に広がるおびただしい数の悲劇の中のひとつとして、今後は「シエラレオネ」という国名が他人事ではなく耳に届きそうな気がする。この映画が増殖させた世界中からのシエラレオネへの視線が、『ブラッド・ダイヤモンド』のリアルな(現実世界の)続編となって常に過去を更新し続けていくことを信じたい。それが映画というメディアの影響力というものだ。「“知る”ということは知る前の自分と、後の自分とが違うってこと」なのだと、養老さんもそう言っている。

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2007/03/25

『BRICK ブリック』

brick【brick】・・・1.a 煉瓦; b 煉瓦上のかたまり/煉瓦一個の長さ; c 1kgのコカイン 2.いいやつ/頼もしい人 3.くたばれ!
(映画チラシ裏面より)

出た。1年にあるかないかの斬新なインディペンデント魂の結晶。そのアイディアだけでハリウッド大作のクオリティを軽く凌駕してしまう洗練ぶり。これまでにありそうでなかった作風を透明感あふれる青の色彩で包み、冒頭から観客の心をグッと掴んで放さない。それが『BRICK ブリック』である。

分かりやすくいうならば、これは探偵小説の高校生版だ。フィルムノワールが大ヒットした時代とは随分隔たりがあるものの、作品にまとわり着くような陰鬱さはそのまま現代風に踏襲され、そこに登場するのは高校生ばかり。もちろん主人公も高校生だ。メガネでヒョロいし、常に顔色も悪く、しょっぱなからこんなやつ使いものになるのかってくらい独特で、頼りなさそうな印象。だが、こいつが元恋人の死をきっかけに、高校の裏社会に巣食ったドラッグ供給ルートに向けて執念深い捜査を開始する。

もちろん彼の職業は“探偵”などではないし、この捜査に「誰のため」とか「何のため」とかそんな理由付けは存在しない。いや、あえて理由を探すならば、元の恋人を救えなかった主人公が自分自身を救済するため、とでも言うべきか。しかもそのやり方はボギーも真っ青のハードボイルド。弱っちいかと思っていた彼がケンカになるとどんな相手にでも捨て身でぶつかっていって絶対に負けない。しかも危険な奴とも真顔で取り引きする度胸の良さも持ち合わせているし、ラストに向かってはもう、ボロ雑巾のようにズダズダになりながらも走り続けることをやめやしない。

つまりこいつ、クールなようで実は高校生にしておいては勿体ないくらいに熱いハートを持ち主なのだ。このヒーローにありがちな表裏の温度差が気持ちいいくらいハマっている。もちろん一匹狼の彼にも協力者はいる。情報提供の秀才クンは自宅から、図書室から巧みにサポート。こういった痒いところに手が届くキャラクターの設置も忘れない。

『ブリック』はそうしたフィルム・ノワールのこだわりを公式にでも当てはめたように綺麗に「高校編」へと置き換えていく。ノワールで登場しがちな“ショービジネス”や“芝居小屋”といった要素は放課後の演劇部員らが担い、“目立ちたがりの権力者”はアメフトの選手が、そして肝心の“ファム・ファタール”は高嶺の花の美女学生がミステリアスに担当する。そして、ついつい油断していると、あろうことか教頭先生が悪徳警官ばりに汚い裏取引を持ちかけたりもする。他にも奇妙な裏ボスやらマッチョな用心棒やら、とにかく全てが既視感たっぷり。まさに高校というテリトリーには社会のあらゆる要素が詰まっている。かつてフィルムノワールで数多く描かれた“街の裏社会”も、そして本作で描かれる“高校”も、その存在としてのタイプが違うだけで構造的にはあまり変わりはないのである。

この「置換作業」はメジャーが手がけると“オマージュ”という言葉だけを先行させ、登場人物らと同世代の子供をターゲットにしたコメディ系の軟弱ドラマへと陥りがちなのだが、もちろん本作のライアン・ジョンソン監督はこれを大真面目に展開させることにこだわりを隠さない。このこだわりこそ、「ノワール好き」も「新しいモノ好き」をも魅了するまさにインディペンデントならではの視点といえる。僕ら観客は彼の思惑通り、この大人でも子供でもない(その意味で“青”という色彩がとても効いている)高校生達による未体験ノワール・ゾーンにどっぷり漬かり込んでいくこととなる。

本作で嬉しいのは、僕らが幾つになっても「探偵」という隠微な響きにドキドキして憧れてしまうってことだ。そしてなにより、ジャンパーのポケットに手を入れトボトボ歩く冴えない主人公が、いつしかたまらなく格好よく見えてくるのだからしょうがない。その影響力といったら、見終わった後にちょっとだけ彼のことを真似してヨタヨタと走り出したくなってしまうほどだ。映画の登場人物にこれほど触発されたのは実に久しぶりのことだった。

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2007/03/14

『サンシャイン2057』

 ダニー・ボイルといえば、ドラッグ満載のブチ切れ青春群像を奇抜なイマジネーションを駆使して描いた『トレインスポッティング』で映画監督としての英国代表選手に躍り出た人物。ただ『トレスポ』の時には全ての歯車が巧く噛み合い絶好調の回転をみせていたのに比べ、以降の作品では表面的な技巧に走っているようにも思え、それが観客の感性にピタリとはまる場合もあれば、「NO THANK YOU」となる場合も往々にしてある。それがダニー・ボイルの弱点でもあり、強みでもあるのかもしれない

 そのボイル作品にアレックス・ガーランドという才能が絡みはじめるのは『ザ・ビーチ』からだ。そのディカプリオ主演作でガーランドは原作を担い、その後『28日後』では脚本を、そして本作『サンシャイン2057』にて再び脚本を担当することになった。

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2007/03/11

『サン・ジャックへの道』

ロードムービーといえば、列車、車、または『モーターサイクル・ダイアリーズ』のバイクのように何らかの車輪の付いた同伴者を連想する人も多いだろう。しかしそのどれをも裏切って、『サン・ジャックへの道』の旅を彩る移動手段はこれまた最高にシンプルな“歩き”だ。しかもその距離1500キロというのだから、つまり本作は史上最も低速度で繰り広げられるロードムービーということになるのだろう。

そもそも物語というやつは全てが始点に始まり終点に行き着くシロモノであり、その意味であらゆるものが“ロードムービー”の要素を秘めている。特にフィルムという縦の概念で構成されている映画メディアに関してはなおさらで、時として映画の撮影を旅に例える人が現われるのも充分頷ける。だからこそ、旅に似た構造を持った映画において“旅”を描くということは、表向きには極めてオーソドックスに見えても、その実、クリエイターの手腕が最も問われる土壌となる。

主人公は中年の3兄妹。昔から仲が悪く、会うとケンカの耐えない彼らは、母の死をきっかけに思いがけない遺言を受け取る。なんと母は、彼らが遺産を相続する条件として「3人がサン・ジャックの巡礼ツアーに参加すること」を提示していた。それはフランスからスペインにまでいたる総距離1500キロの巡礼路。仕方なく参加を承知した3兄妹らを含め、出発地点には見ず知らずの総勢9名が集結した。オッサン、オバサンから少年少女まで、年齢も性格もバラバラな彼らはひとつのチームとなり、互いに助け合ってゴールとなるサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂を目指さねばならない。もちろんその道中は波乱づくし。そして様々なドラマが待っている・・・。

彼らが歩む旅路は「巡礼路」ではあるものの、この映画は決して宗教性あふれるストーリーが展開するわけでもなければ、彼らが信仰心にあふれているわけでもない。それどころか、チームのひとりなんてイスラム教徒で、自分はメッカを目指してるんだと勘違いしてるくらいだ。ここでは古くから続く“信仰の旅”といった崇高な概念はすっかり形骸化している。きっとご当地の信心深い人にとっちゃ、それは許されんことであるに違いない。

でもそれでいいのだ、とコリーヌ・セロー監督は開き直る。いや、彼女が実際に言っていたかどうかは知らないが、少なくともスクリーンからはそのような雰囲気が迫り出している。

時を経るに従って移り変わる雄大な景色の素晴らしさはもちろん、9人の登場人物たちはそれぞれに自らの足で“距離と心の移動”を噛み締めていく。口論の耐えなかった3兄妹たちも、次第に言葉少なく、仕草や目線、そして各々が発する空気だけでコミュニケーションが成り立ちはじめる。それぞれのキャラクターと、彼らのバックに広がる景色と、最初は全く分離していたその両者が見事に一体化し調和を見せていく。この常套的な展開はロードムービーとしてごくあたりまえではあるけれど、コリーヌ・セロー特有の大らかな中にピリリと辛い味付けが、その“当たり前”をアーティスティックな才能で輝かせていく。

そしていつしか、スクリーン上にようやく本作の伝えたかったことが姿を見せはじめる。そこで画面の中央に据えられるのは、人間と人間が手を取り合って進んでいくというささやかな人間賛歌。この映画はそんな当たり前の到達点を、google earthで見れば点にしか過ぎない場所から世界に向かって、声高にぶちまけているのである。

そのメッセージに、宗教性やなんやを超えて僕ら日本人が劇場で不思議と共鳴してしまうのは、『女はみんな生きている』などで名を馳せてきた今年60歳になるおばちゃん監督、セローの巧さであり、度胸の良さであり、同時にロードムービーが仕掛けた特殊な魔法によるものかもしれない。

つまり、足と心を動かしてフィルムという長い旅路を歩んでいたのは、彼ら主人公だけでなく、僕ら観客自身でもあったわけだ。

サン・ジャックへの道』は、3月10日よりシネスイッチ銀座にて全国順次公開

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2007/03/05

『進め!』

『このすばらしきせかい』の沖田修一監督による10分弱の短編作品、『進め!』がWEB上で3月14日まで無料配信中です。噂だけは耳にしていてずっと観たかった短編だっただけに、その普通のクリエイターには決して描けない奇跡的瞬間の抽出にジワジワと圧倒されました。っていうか、なんてあったかい人間賛歌なんだろう。

最近ではNOVAのCMにも出演している青年団所属の古舘寛治さんもちょっと見逃せない存在感をみなぎらせています。こんな人間臭い芝居ができる俳優さんは本当に久しぶりです。

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2007/03/02

EYESCREAM最新号、発売中!

0704 このうらぶれたブログの筆者もライターとして拾ってくれている奇特な月刊雑誌「EYESCREAM」。その最新号が全国の本屋さんで絶賛発売中です。

今月の特集は“クリエイティブ・リサイクル”!

先日のアカデミー賞授賞式でも『不都合な真実』の掲げる理念が全面的にフィーチャーされていたように、もはや政治や経済が負のスパイラルに陥って機能しなくなってる部分をエンターテインメントの分野から突き動かしてやろうじゃねえかっていう動きがどんどん高まってきています。今月のEYESCREAMは、もはや環境に配慮するということがトレンド、いや常識となりつつある現在にスポットを当て、様々なグッズ、カルチャー、ムーブメントをピックアップしてご紹介しています。ってか、僕も先ほど知ったのですが、表紙にはあのFREITAGが・・・!

ちなみに筆者も、エコロジー関連の映画&DVDをどどんとご紹介しておりますので、本屋さんにお立ち寄りの際はこの表紙を目がけて一直線の上、ぜひぜひ手にとってご覧ください。

あと、レギュラー連載陣もそーとー濃いので、チェックをお忘れなく!

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