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2007/03/11

『サン・ジャックへの道』

ロードムービーといえば、列車、車、または『モーターサイクル・ダイアリーズ』のバイクのように何らかの車輪の付いた同伴者を連想する人も多いだろう。しかしそのどれをも裏切って、『サン・ジャックへの道』の旅を彩る移動手段はこれまた最高にシンプルな“歩き”だ。しかもその距離1500キロというのだから、つまり本作は史上最も低速度で繰り広げられるロードムービーということになるのだろう。

そもそも物語というやつは全てが始点に始まり終点に行き着くシロモノであり、その意味であらゆるものが“ロードムービー”の要素を秘めている。特にフィルムという縦の概念で構成されている映画メディアに関してはなおさらで、時として映画の撮影を旅に例える人が現われるのも充分頷ける。だからこそ、旅に似た構造を持った映画において“旅”を描くということは、表向きには極めてオーソドックスに見えても、その実、クリエイターの手腕が最も問われる土壌となる。

主人公は中年の3兄妹。昔から仲が悪く、会うとケンカの耐えない彼らは、母の死をきっかけに思いがけない遺言を受け取る。なんと母は、彼らが遺産を相続する条件として「3人がサン・ジャックの巡礼ツアーに参加すること」を提示していた。それはフランスからスペインにまでいたる総距離1500キロの巡礼路。仕方なく参加を承知した3兄妹らを含め、出発地点には見ず知らずの総勢9名が集結した。オッサン、オバサンから少年少女まで、年齢も性格もバラバラな彼らはひとつのチームとなり、互いに助け合ってゴールとなるサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂を目指さねばならない。もちろんその道中は波乱づくし。そして様々なドラマが待っている・・・。

彼らが歩む旅路は「巡礼路」ではあるものの、この映画は決して宗教性あふれるストーリーが展開するわけでもなければ、彼らが信仰心にあふれているわけでもない。それどころか、チームのひとりなんてイスラム教徒で、自分はメッカを目指してるんだと勘違いしてるくらいだ。ここでは古くから続く“信仰の旅”といった崇高な概念はすっかり形骸化している。きっとご当地の信心深い人にとっちゃ、それは許されんことであるに違いない。

でもそれでいいのだ、とコリーヌ・セロー監督は開き直る。いや、彼女が実際に言っていたかどうかは知らないが、少なくともスクリーンからはそのような雰囲気が迫り出している。

時を経るに従って移り変わる雄大な景色の素晴らしさはもちろん、9人の登場人物たちはそれぞれに自らの足で“距離と心の移動”を噛み締めていく。口論の耐えなかった3兄妹たちも、次第に言葉少なく、仕草や目線、そして各々が発する空気だけでコミュニケーションが成り立ちはじめる。それぞれのキャラクターと、彼らのバックに広がる景色と、最初は全く分離していたその両者が見事に一体化し調和を見せていく。この常套的な展開はロードムービーとしてごくあたりまえではあるけれど、コリーヌ・セロー特有の大らかな中にピリリと辛い味付けが、その“当たり前”をアーティスティックな才能で輝かせていく。

そしていつしか、スクリーン上にようやく本作の伝えたかったことが姿を見せはじめる。そこで画面の中央に据えられるのは、人間と人間が手を取り合って進んでいくというささやかな人間賛歌。この映画はそんな当たり前の到達点を、google earthで見れば点にしか過ぎない場所から世界に向かって、声高にぶちまけているのである。

そのメッセージに、宗教性やなんやを超えて僕ら日本人が劇場で不思議と共鳴してしまうのは、『女はみんな生きている』などで名を馳せてきた今年60歳になるおばちゃん監督、セローの巧さであり、度胸の良さであり、同時にロードムービーが仕掛けた特殊な魔法によるものかもしれない。

つまり、足と心を動かしてフィルムという長い旅路を歩んでいたのは、彼ら主人公だけでなく、僕ら観客自身でもあったわけだ。

サン・ジャックへの道』は、3月10日よりシネスイッチ銀座にて全国順次公開

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