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2007/04/23

『スパイダーマン3』

いよいよ待望の『3』が公開、という前に既にヒットを確信して『4』以降の続編製作が発表されている『スパイダーマン』シリーズ。しかし現キャストとサム・ライミは契約更新しない限り今作までの登板となってしまう。とういうわけで、これまでヒーロー物にありがちだったマッチョイズムを遥か後方に追いやって展開してきたサム・ライミ版3部作は、この『スパイダーマン3』にてとりあえず完結の時を迎える。

前作で恋人と親友にその正体を知られてしまったスパイダーマン。ニューヨーク市民から寄せられる信頼もより堅固なものとなり、これまでヒーローのメンタル面に痛みを伴いながら切り込んできたこの異色シリーズは、『3』でまた新たな局面へと突入する。それは正体を知る間柄となった恋人と親友との「ヒーローとして」ではなく「人間として」の対等な関係性を更新していく物語であると共に、いまや「スパイダーマンに名誉市民賞を!」とまでラブコールを贈る市民とそれに自惚れはじめたスパイダーマンとの関係性の更新の物語でもある。

冒頭、ピーター・パーカーの現状を物語るヌルい切り出し方で茶を濁したかと思えば、突如のごとく決別した親友の扮するニュー・ゴブリンとの超高速バトルが幕を開け、ウィレム・デフォー譲りの異様なハイテンションで襲い掛かる攻撃&それを掻い潜るクモの糸での空中ブランコも、もはや「観る」というよりは「感じる」と言った方が懸命なほどスクリーン上で何が起こっているのか把握することは難しい。そして本作はこれだけではなく、あたかも「妖怪大戦争」を思わせるような物量作戦によってコミックでも人気を誇るサンドマン、ヴェノムといった新キャラまでもが参戦。これまでのスパイダーマンの弧を描くかのような振り子運動に加え、ゴブリンの直線的な動き、“ひとりハムナプトラ”状態のサンドマンが巻き起こす砂嵐、そしてヴェノムによる予測不能な寄生攻撃も相俟って、NY上空はこれまでになく抽象画のような芸術性を帯びてくる。そして彼らに負けじと、キルスティン・ダンストの顔面もいろいろあってますます般若化の一途をたどる(これがいちばん恐ろしい)。

思い返せばこのシリーズは革命的なVFXに彩られたアクションもさることながら、まるでデパートの屋上で開催されるヒーローショーのように「屋上で僕と握手!」と言いながらも楽屋裏では頭にタオル巻いてタバコをプカーっとくゆらしながら延々と個人的な悩みを吐露するかのようなストーリーが新鮮だったのだし、1作目で掌からピュっと糸を飛ばす練習を執拗に繰り返して見せるあたりから、やはりサム・ライミの演出は他のクリエイターとだいぶ違っていた。その「あれ、ほかとは違うぞ」という小ビックリの積み重ねが、この3部作完結編ではこれまでにも増して確固たる自信と共に異様な牙城を築きあげている。

本作もてっきり矢継ぎ早のアクションばかりで構成されているのかと思いきや、やはりそれだけじゃない。シリーズ最大の見せ場となる時間帯では驚くべき脱力系のシーンが数多く用意され、およそヒーロー物の映画が取るべきとされてきた方向性を大きく回り道することで観客を思いもよらない困惑と爆笑の入り混じった不思議な気分に導いてくれる。もちろんサム・ライミに取ってみれば、それはいつもの通いなれた道なのであって、遠回りでも近道でもなんでもないことは明らかだ。

同時に注目したいのは、サム・ライミがヒーローや彼を執拗に追い詰める敵キャラ以上に、NYに暮らすごく普通の市民たちにも底知れぬ輝きを与えているところだ。それは『2』のクライマックスで市民たちが達した意識の変化とも連続しており、この3部作がヒーローだけでなく、NY市民の成長の物語でもあったかのような手ごたえを色濃く残しているのだ。そしてとあるシーン、通りかかりのオジサンがふと口にするセリフに意味深さを感じない人はいないだろう。

「たったひとりで世の中を変えようって言うんだ、まったく凄い奴だよ…」

このセリフは響き渡ったその瞬間から本作をめぐる命題としても光を放ち始める。つまり本作は「たった一人で世の中は変わるのか?」といった命題に呼応するかのように壮絶なバトルが繰り広げられるわけであり、その証明過程では自惚れて黒色化したスパイダーマンのカリスマ性以上に、彼をそこはかとなく支える市民の姿がなんとも不思議な感触でフィーチャーされていくのである。

叔母さんの投げかける言葉、執事の打ち明け話、大家さんの気遣い、編集長の豪快な人柄、市民の感謝の言葉、子供たちの歓声、仏料理店のおかしなウェイター、そして最も近しい人たちのピーターに対する態度。彼らはスパイダーマンのように特殊能力は持たないが、サム・ライミはむしろ彼らのひとつひとつの行動が連鎖反応を生み、結果的にヒーローをしっかりと支えている共存関係を描いているようにも思える。すべてのヒーローがマスクを被っているわけじゃない。もしかするとサム・ライミにとっては彼ら一般市民も等しく“ヒーロー”として映っているのかもしれない。手に汗握るVFXで観客を魅了しながらも、その裏側でヒーローをカリスマの位置から一般市民の側に押し戻し、逆に一般市民の隠れたヒーロー性を抽出して両者のバランスを取るあたり、恐らくほかのクリエイターには考えようもないサム・ライミ独自のヒーロー論がここには存在している。

そしてストレートな爽快感だけでなく、こう、鑑賞後もずっと身体の中で化学変化が起こり続けているような微妙な味わいが何とも言えない。あまりにいろんなことが起こりすぎて、「面白かった」とか「感動した」とかそういう安易な感想を口にすることが憚られるような感触なのだ(だからこそ、テレビスポットで観客が「感動した!」とか言うのはもうやめてほしい)。マーケティング主義の徹底した大作映画がはびこる中、観客をこうした予測不能な感情の渦に巻き込んでくれるあたり、サム・ライミがこれからも、映画界にとっての(ダーク)ヒーローであり続けることはほぼ間違いない。

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