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2007/05/11

『パッチギ! LOVE&PEACE』

『パッチギ LOVE&PEACE』を観た感想を言葉にしようにもなかなか適当な言葉が見当たらない。前作の内容からある程度予想していた世界観を飛び越えて、作品としてまとまったもの、小ぎれいなものに仕上げようとは露ほども考えていないところが潔いと言うか、怖いもの知らずと言うか。恐らく世間的には前作が分かりやすく、感動できて、面白い、とする向きが多いことだろうと思うが、現時点で試写から随分と日が経っていろいろと想起する中で、僕はむしろ『LOVE&PEACE』の初めっからどでかいハンマーをドッカンドッカン振り下ろしてがむしゃらに突貫工事を進めていくかのような無骨な作風が、この舞台となった時代にピタリとあてはまるような気がしてどうしようもなく胸に沁みた。

スタイルとしては特に目新しいものではない。時には予定調和のメロドラマにもなるし、ありきたりの難病モノという題材も今更どれほど観客の心に訴えるのかは分からない。しかしここには言葉だけでは説明の付かない、360度旋回してそのまま別次元のメロドラマ、難病モノに豹変したような手ごたえが残る。そして現代に蔓延した“抗菌主義の映画”に真っ向から対峙し、率先してドロにまみれ、観客と共に水面からガバリと顔を浮き上がらせたところで見知らぬ誰かとガッシリ手を握り交わしてしまったかのような、不思議な高揚感がある。

やがて観客は、この映画があまりに不恰好でガムシャラに突き進んできた意味を知る。時おり挿入される主人公の父親の壮絶なエピソードが物語をより多元化し、象徴化していく。つまり『パッチギ』は主人公アンソンだけの物語ではなく、その背後におびただしい人達の生き様があふれんばかりに詰まっている。そして、戦中、戦後の日本に生きたあらゆる有象無象たちがガムシャラになって“命のリレー”を現代人に繋げようとする姿に、あらためて“生”の意味を映し出すのである。と同時に、これはイーストウッドが『硫黄島からの手紙』で伝えたかったメッセージの表裏を成す作品でもある。映像的には『硫黄島~』を凌駕するほどの壮絶なシーンが用意されており、観客はとにかく汗が滲むほど驚かされるはずだ。

そして忘れてはいけない、この『パッチギ LOVE&PEACE』で最も本作の心意気を体現しているのが藤井隆の演じるキャラクターだ。この“超”がつくほどカッコ悪い登場人物がとにかく輝いていて、まさにあれほどカッコ悪くなれることもひとつの勇気であることを教えてくれる。

なるほど、本作が先に挙げたように恐ろしくもベタな展開を用意しているのも、そしてそれを360度くつがえして逆に熱く、輝かせてみせるのも、つまりはこの藤井隆のカッコ悪さ=ガムシャラさに共通する言わば“生き様”だったわけである。

「全力で、死に物狂いで逃げる」

言葉尻だけでつかまえると単なる負け犬のように聴こえるこの言葉。だが実際、それにはとてつもない勇気が必要で、現代に生きる僕らは、結果的にその命のリレーの延長線上に、こうして、やっぱりとてつもなくカッコ悪く、生きているのである。

それは時に、涙が滲むほど辛いことではあるのだけれど、逆に胸を張るべきことでもあるのだと、この映画はそう教えてくれているような気がする。

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