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2007/05/26

『監督・ばんざい!』

『監督ばんさい』ではない。『監督・ばんざい!』なのである。

  このタイトルに直面した我々は、いったい「・」をどのように口にすればよいのだろう。いや、これは決してくだらない悩みなどではない。観客が劇場窓口で『監督・ばんざい!』のチケットを買い求める時から試練は始まっているのだ。10人いたら10人なりの「・」があるだろう。ある者は「監督」と「ばんざい」の合間にワンクッション置くかもしれないし、その「督」から「ば」に移るタイミングがあまりにも遅れてしまうと、お客よりも係員の方が「『監督・ばんざい!』でございますね?」と先にタイトルを言ってしまうかもしれない。これでは観客として失格だ。ちなみに筆者は「・」を軽いストッパーと考えることにした。参考になるのがテレビのお料理番組だ。司会者が年甲斐もなく拳を突き出して「お料理っ、ばんざい!」とおどけたコールを決め込む瞬間を思い出してくれればちょうどいい。劇場窓口でいかに自我をあきらめ馬鹿になってタイトルコールできるか。この映画を楽しめるかどうかはそこで7、8割は運命付けられる。

  というのも、本作はタイトルどおりの「監督礼賛」を歌い上げようというのでは毛頭なく、弟子に「殿!」と呼ばれながらも自分はちょんまげのカツラをかぶって堂々とカンヌの赤絨毯を歩いてみせるといった、己の存在を最大限にコメディ化してみせる自虐の美意識のようなものが詰め込まれているからだ。本作に臨む観客も、いつものオシャレなミニシアター映画へ臨むような真摯な態度を捨てなければならない。素っ裸で客席に座って「なにか?」と開き直ってみせるといった、それくらいの覚悟で本作に挑まないと、真面目にやってると観客の頭は、ほんと大変なことになってしまうのだ。

  次回作の構想に悩む北野監督。頭の中には様々なアイディアが渦巻くが、バイオレンス、ラブストーリー、小津ワールド、少年時代の思い出、時代劇、SF…と様々な企画が着想しては、次々と頓挫していく。すべてはほんのイントロ部分だけが映像化され、後は寸止め状態のままスルーされていく“日の目を見ない”作品たちばかり。これらの脳内見本市の合間を漂うかのように、北野監督&彼の分身たる“北野君人形”は呆然とたたずみ、そこに彼の心の内を見透かしたかのようなナレーションが折り重なっていく。だんだん煮詰まってくる北野監督、そこから立ち昇るアイディアももはやジャンルを超えた突拍子のないものばかりとなり、事態はナンセンス極まりない、混沌としたものへと変わり始める…。

  聞くところによると、本作は『TAKESHIS’』に始まる3部作の第2弾なのだという。僕は個人的な考えとして、映画監督というものが人間の意識の中に忍び込むかのような(デイヴィッド・リンチ的な)作品を創る場合、それは「攻め」の場合と「守り」の場合の両極端があるように思う。北野監督の場合、『座頭市』の世界的な成功で気流に乗った直後の『TAKESHIS’』がこれまでの自分の作風をを一変させる意欲的な“攻め”の一手だったと考えると、本作『監督・ばんざい!』は『TAKESHIS’』が残念ながら不発(あくまで興行的な面において)に終わった自分をとことんコメディ化して遊ぶというような、失敗直後の厄払い的“守り”の一手と受け取ることができる。開き直った北野武には怖いものなど何もない。折り重なってくるギャグもフフフとウケたり、全くウケなかったり。そしてよりにもよって『マトリックス』の真似事などされてしまった暁には、明らかに「外してしまったなあ…」との苦笑の声すら漏れ、観客はだんだん居心地が悪くなってきた挙句に、ついぞハッとさせられたりもする。もしや、これは我々が“映画を観ている”のではなくて、むしろ“観客が観られている”のではないか、と。

  そういえばビートたけしが出演するバラエティ番組で、ときどき彼が弟子にあまりに笑えないドッキリを仕掛けてケタケタ笑い転げる場面に遭遇することがあるじゃないか。『監督・ばんざい!』はあたかも観客がその犠牲者になってしまったかのような印象を少なからず受け、映画が終わったあとにビートたけしがケタケタ笑いながら舞台袖より出てくるのではないかと本当に期待してしまう(それくらいのオチがないと示しがつかない)自分がいた。それほどまでに、本作はかしこまった映画作品と言うよりも、ビートたけしが観客を出し抜くためのツールとして“映画”を利用した結果のように思えるのだ。もちろん、このテイストを興味深く受け止める人もいれば、「これは映画じゃない!」と怒り心頭する人だっているだろう。それは冒頭で述べたように、観客ひとりひとりの心の持ちようで如何様にも変わるのだ。

  そして『TAKESHIS'』から連なる、いかにしてストーリーを崩壊させ、観客が“映画的”と信じきったものからいかに脱構築を図っていくか、といった心意気にも多少なりとも理解を示すことができる。彼の目からすると、今の日本映画は『監督・ばんざい!』くらいの爆弾を投下しなければバランスの取れない、不気味なまでに偏った怪物のように見えているのかもしれない。

  まさに改変期の6時間番組のフィナーレを「コマネチ!」一発で台無しに(あるいは均衡化)してしまおうとするビートたけしの自由奔放さを久しぶりに目の当たりにしたような(狐につままれたような)感触。

  その最終兵器の決定打として炸裂するのが、他でもない「江守徹」の存在だ。彼の演じる屈辱的なまでに意味不明のキャラクターが、目の前で不条理な飴と鞭でもって観客を無条件なまでに蹂躙するシーンに、僕はこの『監督・ばんざい!』のいちばんコアなものを感じ、その意味不明なエネルギーに圧倒されてしまった。その後、江守が病に倒れたとの報も、『監督・ばんざい!』を観たあとならば充分に納得できる話なのだった。

監督・ばんざい! 』は6月2日より全国ロードショー。なお、『監督・ばんざい!』を上映するすべての劇場において、先日カンヌ映画祭でワールドプレミア上映された世界を代表する35人の監督たちによる短編集『To Each His Own Cinema』の中の北野作品「素晴らしき休日」(3分)が同時上映されます。

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