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2007/05/15

『ゾディアック』

長文がうんざりな方は300文字レビューでサクッとチェック。

 映画に派手な盛り上がりやカタルシスを欲する人にとっては、この『ゾディアック』の面白さはいまいち理解できないかもしれない。しかし、例え本作に何らカタルシスを感じなかったとしても、2時間37分間、一瞬たりとも途切れることのない魅惑の映像、そして魅惑の語り口に、あなたの体内時計は終始狂わされ続け、気が付くと映画はエンドロールを迎えていることになるはずだ。そう、『ゾディアック』は不可解なまでに魔術的な映画なのだ。しかも表向きにはいっさいそのような雰囲気を見せず、その裏側で少しずつ、少しずつ、観客の心を見知らぬどこかへといざなっていく。本作の登場人物たちと同じように…。

 それは1968年に始まった連続殺人事件にまつわる物語。自らを“ゾディアック”と名乗る犯人は、大胆にも複数の新聞社に謎の暗号文を送付した。そしてある新聞社がそれを新聞の第一面に掲載したことから、この事件に関わる幾人もの人間達の間で未曾有の悪夢が幕を開ける。それは今尚、歴史に残る劇場型犯罪として解決されずにいる“ゾディアック事件”の始まりだった。

 デビッド・フィンチャー監督は、この映画の製作にあたって事件を整理しなおし、驚くべき入念さでリサーチを貫いたという。生存している関係者にはすべて面会し、現存するあらゆる証拠品にも目を通した。まるで刑事にでもなったかのようなこの徹底したリサーチ。それは事件当時まだ7歳だったフィンチャーがいつしか大人になり、遅れてきたもうひとりの主人公として、このゾディアック事件に少しずつ憑り付かれていく過程でもあったのかもしれない。

 しかしフィンチャーがどれだけ熱心に再調査を試みたところで、この事件は未解決事件なのであり、犯人は未だに捕まっていない。つまり、この映画には“事件解決”というカタルシスが存在しないのである。いや、むしろ、フィンチャーはこの物語的なカタルシスを放棄することによって自分に新たな試練を課しているようにも思える。その答えが、この事件によって身を滅ぼしていく人々を周縁的に描く“群像劇”というスタイルなのだ。よってこの作品にこれといった見せ場はない。全編に渡って均質化されたボルテージで突き進んでいき、そのトーンは緊張するでもなく、弛緩するでもなく、すべての瞬間において観客を瞠目させる一本の糸となって、フィンチャー独自の世界を形成しているのだ。

 ゾディアックの周囲で苦悩する人々には、新聞社の敏腕記者(ロバート・ダウニーJR.)、担当刑事(マーク・ラファロ)、そして本来ならば事件とは無関係のイラスト係だったジェイク・ギレンホールまでもが顔を並べる。中でもジェイクの部外者的な立場は観客をこの悪夢に引きずり込むのに打ってつけの視点を提供してくれる。彼らはそれぞれ事件解決に一歩近づいたと確信したところでいずれも決定打にはいたらず、その高揚と挫折の繰り返しによって疲労感を増幅させ、苛立ちを募らせ、挙句の果てには狂気じみた表情を浮かべるようになる。それは観客にとっても決して他人事ではなく、この未解決事件の舞台が数年、数十年、そしていつしか現代へと迫り出して来るに連れて、徐々に言い知れぬ切迫感に蝕まれていくのである。

 そしてフィンチャーは、観客を登場人物と同じ不可思議な精神状態へといざなうべく、CG技術による周到な感情操作を忘れない。そしてどのシーンにおいても割と大きめにフィーチャーされているSE(効果音)も観客の不安を倍増させる。何の脈絡もなくかすかに聴こえる車の走行音や急ブレーキの音がまるで女性の悲鳴のように聴こえたり、雨の音が恐ろしく陰鬱な雰囲気を醸し出していたりと、僕らが視覚的な情報に翻弄されている側から、フィンチャーは観客の耳からも無意識的な情報を注入して潜在意識にあらゆる化学反応を起こさせているようだ。それはもしかすると僕だけが勝手に感じたことなのかもしれないが、そもそも『ファイトクラブ』の1シーンで男性の陰部をサブリミナル挿入させていたデヴィッド・フィンチャーのことだから、これくらいのトリックを用意していても何ら不思議ではない。このようにテクノロジーを人間描写の裏側にこっそりと隠し持つやり方はILM出身の彼ならではのスタイルであり、フィンチャー作品が多くの観客をひきつけてやまないひとつの大きな理由と言えよう。

 だからこそ、『ゾディアック』のキャラクターはどれもが引き立って見える。僕らは知らず知らずのうちに主人公たちに特別な想いを抱き始めているのかもしれず、ジェイク・ギレンホールの持ち味である“等身大の人間像”はイメージどおりのハマり役としても、本作のロバート・ダウニーJr.には心底驚かされずにはいられない。まるで若き日のアル・パチーノのようなギラギラした目の輝きが観客をゾクゾクさせ、いつしか転落の一途を辿る彼の行く末も、彼のリアル人生を知る人にとってみればセルフパロディのようにも映ることだろう。そんな人間的な弱さをも含めて、僕らはここに彩られる“人間の姿”にどうしようもなく見入ってしまうのだ。

 そして彼らがそれぞれ魅力的なキャラクターであるがゆえに、ゾディアックという名のミステリーはいつしか実物以上に巨大な幻影と成り果て、彼らはサディスティックなまでに自らを出口の見えない迷宮へと身体を押し込ませ、二度と入り口には戻ることなど出来なくなってしまうのである。何年も、何十年も、そしていま、このときでさえも。

ゾディアック』は、6月16日より丸の内プラゼールほか全国ロードショー

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