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2007/06/11

『インランド・エンパイア』

 デイヴィッド・リンチの最新作『インランド・エンパイア』を観た。「じゃあ、どうだったの?」と聞かれたところで、それを言葉にしようにも映像と文脈がスルスルと脳内から逃げ出していく。世にいう娯楽映画が“人間の顔”で分かりやすく微笑むシロモノだとするならば、このリンチ作品はおおよそアメーバー状にウネウネしているだけで、僕が観客として笑いかけたり、時には挨拶程度の言葉を投げかけてみたところで、当の相手はうんともすんとも言ってくれやしないのだ。

 では、この言語による意思疎通が叶わない映画に対し、僕らは一体どのような態度で臨むことができるのだろうか。間違っても「寅さんシリーズ」を観る態度で接してはならないし、かといって『硫黄島からの手紙』を観るような神妙な態度を決め込んでも一向に道は開けない。やはり肝心なのはコミュニケーション能力なのか。そして常識では決して割り切ることの出来ない相手への許容力も少なからず必要だ。それらを総動員してかからねば、ひとつ間違うと、こっちが映画に食われてしまいかねない。それはある意味、映画と僕らとの壮絶な格闘技であり、観客に何ら隙を見せないリンチ作品がこれだけファンの心を掴んで離さないのは、人間がむしろ“理解不能の闇”を生理的に欲しているからなのだろう。

 なにしろ『インランド・エンパイア』にはストーリーめいたものを語ることすら半ば放棄された、混濁した夢と現実がとめどなく横たわっている。暗闇にスポットライトが照らされ、巨大な「INLAND EMPAIRE」のタイトルが浮き上がる冒頭にしたってどこか霊感商法のような胡散臭さを感じるし、突然モザイクのかかった人物が現れたり、不可思議なウサギ人間たちのソープドラマ(しかも全然面白くないセリフに対して観客の大爆笑の声がインサートされる!)が観客の知覚細胞にいちいち不条理なノイズを注入していき、ふと気がつくと、本作の主人公らしい女性(どうやら職業は女優のようだ)が「主役が決定したわ!」と全身で歓びを表現している。

 そこから始まる彼女の撮影過程と、彼女が演じる映画の中の出来事とが脈絡もなくスイッチし、どこかで見た人物、演じたシーン、耳にしたセリフがまたどこかで繰り返され、そしていつしか主人公のドッペルゲンガーらしき“もうひとりの自分”が目の前で打ち合わせに臨んでいることに愕然としたりする。昨日と明日、そして劇中にて撮影される“とあるリメイク映画”と恐らく数十年前に作られたらしい“いわく付きのオリジナル映画”との狭間でまたパラレルな世界を織り成し、この状況が3時間に渡って続く(ジャスト3時間というところに、リンチの悪意的な部分を感じずにはいられない)。

 どうですか?もうわけが分からなくなったでしょ?
 
 けれど、デイヴィッド・リンチがこれらを映像で語りかけるとなると話は全く別。最初は「こんちきしょう」と身構えてスクリーンに食らい付いているものの、中盤からその根性も見事に溶け落ち、なんだか諦念にも近い感覚が身体を支配し始める。そう、デイヴィッド・リンチが全く理解できなかったからといって何ら卑屈になる必要はなかったのだ。混濁した意識の中で誰もが何となく理解できるのは、これが“読み解く”ことに主眼を置いた映画ではないってこと。僕らは誰もフロイトである必要はないのだし、昨夜の自分の夢さえも分析できない僕らが優先的にリンチ作品を読み解くなど、全くもって順番が逆だ。むしろ「この映画のことが分かった」と高らかに宣言する人がいたとしたら、その当人が裸の王様であることの何よりの証明にもなるし、当のデイヴィッド・リンチだってそんなことは露ほども望んでいないに違いなく、いや、むしろそうやって評論家気取り、精神分析屋気取りで「うんぬん」言っている人間を見て影で大爆笑しているに決まっているのだ。(…などと、昔は解読に躍起になったり逆に解読する側を嘲笑してみたりいろんな態度を決め込んでいた私ですが、今ではそのどちらの反応をも愛します。だってリンチの映画には答えがないのですから、反応だっていろんなものがあっていいはずです。)

 少なくとも、いったんそれらの理解願望から解き放たれ、思考回路をニュートラルに切り替えれば、僕らは瞬時に束縛から自由になり、目の前に入り乱れるあらゆるイメージの連鎖を笑顔で受け止めることができる。この一見、意味不明な連なりが、デイヴィッド・リンチ作品の聖域<それこそが“インランド・エンパイア(内なる帝国)”なのだと思うのだが>においてだけは何らかの整合性を生み、観客の誰もが「いんちきだ!」とか「意味が分からない!」とかブーイングを飛ばすわけでもなく、この特殊で不可思議な空気を共有するできることは、このどんどん排他的になっていっている世界の現状において「奇跡」とも言えるものなのかもしれない。

 ちなみに『マルホランドドライブ』が女性達のパッション・ダンスで幕を開けるが、この『インランド・エンパイア』でも女性達がやたらと踊る、踊る。この映画で僕が読み解けたことと言えば、「リンチって踊る女の人が好きなんだな~」くらいのことでしかなかった。あ、あと、終盤であの裕木奈江が凄い長セリフを喋っていて、その舌っ足らずさとリンチ・ワールドとの融合ぶりが非常に興味深い結果を生み出していた。日本を離れた彼女がまさかリンチと手を組もうとは、いったい誰が予想できただろうか。まったく、人生なんて予期せぬことばかりである。

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