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2007/07/31

『めがね』

 そういえば、「めがね」の「め」の字は、眼鏡が中途半端に折りたたまれたような形をしている。

 荻上直子監督(『かもめ食堂』)による最新作『めがね』を観て、そんなどうでもいい発見をなぜか大事に受け止めてしまった自分がいる。いまのところ僕の中では、この映画から受け取った空気、それに触発されて自分の中で芽生えた感情がすべて大切にパッケージングされ、記憶の中に格納された状態だ。

 今回の舞台は、春先の南の島。まだ海のシーズンでもないこの季節に、一機のプロペラ機が島へ舞い降りる。搭乗していたのは、何かワケありで長期休暇を取ってやってきた(らしい)タエコ。タイトルどおり眼鏡をかけている女性だ。そして彼女が導かれるようにして辿り着いた一軒の宿。そこは宿主(眼鏡をかけている)をはじめ、地元高校の若い教師(眼鏡だ)、そしてタエコと同じ機でやってきた白髪まじりの飄々とした女性(やっぱり眼鏡だ)らが共に食卓を囲む不思議な空間だった。ひとりになりたいタエコが思わず尋ねる。「ここには観光名所か何かありますか?」。それに彼らは揃ってこう答える。

 「ここではただ、“たそがれる”だけです」

 最初は戸惑いを感じながらも、島に流れるゆったりとした空気がその心の緊張を取り除いていく。しだいに“たそがれ”の才能を露にしていくタエコ。夕暮れの黄昏時に爽やかな風が吹き抜けていく。永遠に続くかと思われたこの空気。しかし、いつしか彼女を追って若い眼鏡の男性が島を訪れたことで、たそがれには終わりがあることを知る…。

 浮世離れしたホンワカした空気、最少人数のキャスト、そして観るだけで魅了される料理、風景…とにかくネガティブな要素など一切なし!といった作風は、その舞台がフィンランドから南の島へと変化しただけで『かもめ食堂』のスタイルとほとんど変わらない。もっとも、今回は「珍しいキノコ舞踏団」主宰の伊藤千枝による「メルシー体操」というあまりに不可解で可笑しな動きが、出演者の身体性を巧みに引き出したりもするわけだが。

 しかし、『めがね』は、『かもめ食堂』のようにある種の“雰囲気”を作り上げることだけに終わらない。映像で魅せる”ことと“映像で語る”ことが流麗に噛み合って、主人公の心の風景もゆるやかに移り変わっていくのだ。『かもめ食堂』での経験を一歩進めて作られたこの極上の空間が、より深いものとなって観客の心に響いてくる。

 では、何がそんなに心に響いたのか。

 『かもめ』にはなくて、『めがね』にはあったもの。それは“別れ”の場面だった。人生における重要な要素である“出逢い”と“別れ”がセットとなってストーリーを織り成している。「永遠の楽園」という言葉があるが、そもそもこの世の中で“永遠”などありはしない。“たそがれ”にもいつか必ず終わりの時はやってくる。そんな、何かが終わりを告げ、そこでまた新しい何かが始まろうとする息吹を、とても前向きに掴み取っている瞬間がとても愛おしく感じられるのだ。

 また“別れ”にだって決して永遠などないことも教えてくれる。また必要なときに、そこへ足を向けさえすれば、大切な時間が待っていてくれるのだ。人生とは、こうやって寄せては返す波のようにゆっくりと醸成されていくものなのかもしれない。

 この映画では、小林聡美、市川実日子、加瀬亮、光石研、もたいまさこ、という“たそがれの達人”5人が、浜辺で揃ってたそがれている様子が幾度となく映し出される。それは本当に静かで、飾り気のない、ごくシンプルな描写なのだが、彼らが役者としての全神経を駆使して表現に臨む“たそがれ”には、やはりそれぞれに達人としての旨味が滲み出ており、こういう情景を眺めていると、彼らがこうやってキャスティングされ、この場に立っている理由がわかったような気がしてくる。

 ここにやってきた理由を尋ねたり、誰かに何かを強制されることもなく、ただ緩やかに進んでいくこの島の風景。またそんな島に住まう人たちをまったく違和感なく自然に演じてしまう役者たち。声のイントネーション、僅かな仕草、背後に響く自然の音色。

 そんな中で、『バーバー吉野』の子供がそのまま成長したような髪型をした加瀬亮が、ふとドイツ語の文章を口ずさむ。そこには字幕も翻訳もなく、観客にはそれが何を意味するのかさっぱり分からない。

 しかしそこにこの音楽が流れている確かさ、そこにこのキャスト、そしてこの情景が映し出されている確かさ、と同じく、そこにドイツ語のセリフが心地よく流れていくことに、やはりとてつもない“確かさ”を感じてしまう自分がいた。梶井基次郎の「檸檬」のように、理由は分からないが、「つまりはこういう重さなんだな」と本屋の書棚に檸檬を置かずにいられなかった感覚がオーバーラップし、なにかポンと手のひらを叩きたくなる瞬間がこのシーンには詰まっていた。

 これが“癒しの映画”であるとか、そういった感触もあることはあるだろうが、いまの僕の中では、この映画を“確かな映画”として捉えたいという気持ちがある。誰も背伸びすることのない日常からポロリと零れ落ちた、そのまま手で触れられるほどに確かな映画と言うべきか。

 もしも、これまでの人生で「たそがれたことがない」という方がいらっしゃれば、ぜひこの映画をお薦めしたい。あなたが『めがね』を見つめ、そして心に思い描いたすべての情景こそ、紛れもない“たそがれ”なのだ。 


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めがね』は、9月22日より全国ロードショー

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