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2007/10/29

ショートムービーが面白い!

参照リンク:短篇.jp

かつてエドワード・ヤン監督は、撮影現場でオペラやクラシックの音楽を聴いていたそうです。彼いわく、「全体の“構成”についてよく学べるんだ」。なるほど、クラシックの大曲やオペラの構成は、ちょうど長編映画の息の長さと共鳴するものがあるかもしれません。

とすると、「短篇映画」の位置づけは、さながらシングル曲、あるいはアルバムに収録された1つ分の楽曲にあたるのでしょうか。CD全体を聴くのであれば相当体力を消耗しますが、ほんの4、5分の楽曲ならば、手軽に何度も再生しちゃうってこと、よくありますよね。

目を見張るような職人芸でいつも丹精込めて作品を作り出す「短篇.jp」というショートムービー配信サイトがあります。そこのプロデューサーさんから、「また新たな作品たちが出来上がりました」とのメールをいただきました。

プロジェクトの立ち上げ当初からいろいろ作品を拝見しているのですが、今回お披露目になった6本は「短篇.jpルーキーズ」という枠組みで、まだ商業映画デビューを果たしていない若き才能を発掘するシリーズなのだとか。

世間では大容量のデータ通信が浸透し、youtubeをはじめ「ネットで映像配信」というメディア形態も珍しくはなくなってきましたが、そのコンテンツはどこかインパクト勝負的な空気で満ちています。まるでバブル崩壊寸前のお笑いブームのよう。しかし、「短篇.jp」で披露されている6本は、どれもそういう一瞬の夢のような快楽ではなく、もっとどっしりと映像と間向かって普遍的な表現形態を模索している感触を受けました。ネット環境に付随する「on/off」で好みの激しく二極化するユーザーの心にふっと入り込んでくるような瞬間がいくつも見受けられる。そういうときって、観てる僕らは、それがネットであろうとDVDであろうと劇場であろうと、メディアの垣根をグッと飛び越えるんですよね。

前述したプロデューサーさんから「監督にとって長編映画が“句点”なのだとしたら、それに代わる“読点”のような発表の機会があってもいいはずなんですよね」と聞かされたことがあり、その言葉がずっと耳に残っています。

CDアルバムの中の一曲分だからこそ出来ること。読点だからこそ挑戦できること。

もしもご興味ある方がいらっしゃれば、ぜひ「短篇.jp」へアクセスしてみてください。6本の作品は11月4日まで無料配信中です。また映像監督を志している方々、まだこの「ルーキーズ」シリーズは続くようですので、次のチャンスがあればぜひご自身の短篇企画を応募してみてください。

冒頭に挙げたエドワード・ヤン監督も、劇場デビュー作は4人の監督で織り成す『光陰的故事』というオムニバス映画でした。彼もアルバムの中の一曲、読点から第一歩を始めた人だったわけです。そこから始まる何かがきっとあるはずです。

そして観る側の私たちにも、そこでしか受け取れない“何か”がきっとあるはず。

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証人喚問の余波はこんなところにも

「放送休止」

その番組紹介欄に刻印された四文字に愕然としました。

映画ファンの中にはもう随分前からチェックされていた方もいらっしゃったことでしょう。NHK衛星第2にて10月29日から放送予定だったデンマークの巨匠カール・ドライヤー特集は、その初回をよりによって証人喚問の手で潰されてしまいました。

たかが映画好きの戯言。社会的感覚が欠如した発言とのご批判は百も承知。

しかし奇跡の映像作家とも呼ばれるカール・ドライヤーの貴重な作品がお預けになってしまうとは、この怒り、いかんともしがたいです。

接待で私腹を肥やすだけでなく、国民が貴重な文化に接する機会さえ奪ってしまうとは、何たる罪の深さ。証人喚問の冒頭で自ら挙手した上で、心から謝罪してもらいたいです。

「なによりも、カール・ドライヤー監督ご本人に、申し訳なかった」と。

今回、放送休止に追い込まれてしまったのは、何かの形而上学的な暗示なのか、その名も『奇跡』(1955)という作品。2008年1月に改めて放送されるそうですが、この際、あらすじだけでもサラッとチェックしておきましょう。

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デンマークの牧師カイ・ムンクの戯曲を映画化。カール・ドライヤー監督が、人々の日々の暮らしを淡々と描きながら信仰の本質に迫ろうとした感動作。農場を営むボーエンは敬けんなキリスト教徒。彼の長男は実直だが信仰心が薄く、次男は神学に没頭したあげくに正気を失い、三男は宗派の壁を越えた結婚を夢見ている。長男の嫁インガは、そんな家族を大きな愛情で支えているが・・・。ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞。

(BSシネマオンラインより抜粋)

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追記:翌日に放送予定だった『ガートルード』(カール・ドライヤー監督)もテロ特措法に関する国会審議のために休止となりました。31日の『怒りの日』だけは予定通り放送されるようです。いまのところ。

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2007/10/28

東京国際映画祭、閉幕式

10月20日より開催されてきた第20回東京国際映画祭が本日閉幕します。

式の模様は午後2時より公式サイトでインターネット中継されますので、お時間ある方はぜひアクセスしてみてください!

東京サクラグランプリ 『迷子の警察音楽隊』

審査員特別賞 『思い出の西幹道(仮題)』

最優秀監督賞 ピーター・ハウイット(『デンジャラス・パーキング』)

最優秀主演女優賞 シェファリ・シャー(『ガンジー わが父』)

最優秀主演男優賞 ダミアン・ウル(『トリック』)

最優秀芸術貢献賞 『ワルツ』

観客賞 『リーロイ』

アジアの風部門 最優秀アジア映画賞 『シンガポール・ドリーム』

            スペシャルメンション 『ダンシング・ベル』

日本映画ある視点 作品賞 『実録・連合赤軍―あさま山荘への道程』

              特別賞 『子猫の涙』

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2007/10/27

映画祭いちばんの収穫はこの作品!

とうとう明日で東京国際映画祭も最終日。

コンペ、アジアの風、ワールドシネマを中心にいろいろと作品を見てきましたが、僕の心にもろ直球に突き刺さったのはこの作品でした。

思い出の西幹道(仮題)』(その後、『1978年、冬。』という邦題に決定しました)

実は、事前の試写であまりに素晴らしかったので、本日の一般上映でも再見。試写ではそれほど反応が濃かったわけではなかったので、一方のお客さんたちがどういう反応をするのか凄く興味があったのです。

Westerntrunkline

舞台となるのは、1978年、中国の北部に位置する田舎町。いまだ文化大革命の影響が色濃く残る中、ふたりの歳の離れた兄弟(ひとりは青年、ひとりは小学生)と北京からやってきた儚げな少女が出会い、それぞれの胸に生涯忘れられない深い記憶を刻んでいく。特にこの兄貴がほんとうにダメダメな奴で、工場はサボるわ、常にナイフとフォークを持ち歩くわ、気になり始めた少女の周辺に付きまとうわ、線路の鉄くずを集めて勝手に金にするわ・・・。しかし自分の過ちをきっかけに彼女への本当の愛に気がついたとき、彼は純粋無垢な守護天使へと姿を変える。少女の心もしだいに彼の心に惹かれていく。

またふたりの恋人を傍から見つめるちっちゃな弟は、まだ幼いなりに恋にも嫉妬にも満たない複雑な感情をめぐらせる。そして、閉鎖的な町の住民たちが彼ら恋人たちに悲しい運命を下すとき、弟までもがそのとばっちりをも見事に食らってしまう・・・。この“飛び火”とも言うべき弟の境遇が思わず笑ってしまうくらいに悲惨なのだが、それでもいつしか痛みは微笑みに変わり、スクリーンからあふれる優しい時間の流れがゆっくりと観客の心を癒していく。切ない。切な過ぎる。そしてなぜかドキドキする。遠い中国の話なのに、なぜかとても懐かしい、身近な話のような気がしてしまう。

いったいこの映画の何が僕の心をひきつけたんだろう。ひとつの理由として、このダメダメな兄貴が同じ青年時代の自分と激しくシンクロしたことは間違いない。いやきっと、地方都市でモッサリした青春時代を送ってきた多くの男どもにとって、ただボンヤリと都会を夢見る彼のキャラクターは情けなくも非常に共感できるものだったと断言できる。このモッサリ兄を演じたリー・チエは、なんと演技初挑戦なのだと言う。初めてにしてこの見事なモッサリぶり!天性の才能!・・・っていうか、彼が実際にも役作りの要らないモッサリした性格であろうことは想像に難くない。

また、少女役のシェン・チアニーの儚げな存在感と言ったら・・・。この映画の彼女を観ていると、思わず『初恋の来た道』で初めてチャン・ツィイーを目にしたときのことを思い出した。彼女が舞台で踊る姿に歳の離れた兄弟が意味も分からずドキドキしてしまったように、きっと男女問わず、この映画に触れた多くの人が彼女の儚さに恋をするだろう。

そして忘れてはいけない、この物語をじっと見つめ続ける幼い弟。2000人の子役の中から選ばれたというこの子の“目の演技”には圧倒される。少女に絵を褒められ「展覧会が開けるわよ」と声をかけられたときの天にも昇らんばかりの感情を、ほんの僅かの表情で表現してしまえる見事さ。おねしょ布団を彼女に見られたときの本当に哀しそうな表情も見逃せない。

“西幹道”とは架空の街の名前なのだという。その脇を一本の線路が貫いている。すべての思い出はこの線路から見える風景の中で色を帯びていった。帰り道、トボトボ歩く少女を、チビな弟が遠くからこっそり眺めるシーンがある。なんという長回し。なんという引きのカメラ。彼らが細かな仕草を演じたとしても、引きのカメラはクローズアップなどせず、一切動じない(その後のティーチインで監督はこのことを「過去を振り返るときの距離感を表現したかった」と語っていた)。この西幹道の線路を往復するたびに彼らの人生は更新され、明日が始まって、また終わる。その線路から旅立っていった兄には悲運が待っていた。残された幼い弟と、恋人。彼らはあの日から30年後のいま、どこで何をしているのだろうか。たかが映画、人が創作した物語。なのに、そんなことが気になって仕方がなくなるのは、誰の胸にも「西幹道」に代わるリアルな思い出が存在するからなのだと思う。

同じようなテーマの作品では『小さな中国のお針子』などもっと入り込みやすい作品もあるが、本作は常に寒風が吹きすさび、枯れた大地に曇天の空、そして工場からモクモクと排出される煙が観客に“地の果て”のイメージを植え付ける。でもだからこそ、そのモヤの向こう側に崇高な光が隠されているような希望をどうしようもなく抱いてしまう自分がいる。

でも正直、「一般のお客さんにはやや地味過ぎたかな・・・」と思っていたら、映画祭での反応は上場!エンドクレジットへ暗転した瞬間に客席が一斉に「ほぅっ」と溜息をついたような、そんな余韻さえ感じました。ここに集まってるお客さんたちにはきちんと見るべきものが見えていた。その一員として会場の雰囲気を体感できてとても幸せでした。本当にあの空気は試写室などでは味わえるはずもなく、こういう機会でないと得がたいものだった。素晴らしいものが生まれ出でる瞬間を、大勢で共有することの喜びを改めて噛み締めました。

『思い出の西幹道(仮題)』は日本でも2008年の公開も決定しています。このなんとも言いようのない切なさと温かさをぜひ多くの方々に体感してもらいたいです。

ちなみに写真は、左から主演女優のシェン・チアニーさん、監督のリー・チーシアンさん、脚本家であり監督の奥様でもあるリー・ウェイさん。ちなみにティーチインのときに監督がこの作品を着想した経緯を語ってくれたのですが・・・これがまた思わずホロッとなってしまうようなエピソードでした(おそらく明日くらいにはその模様が更新されるでしょうから映画祭のHPをチェックしてみてください)。

さて、『思い出の西幹道』はグランプリを受賞するでしょうか?

そんなこと、もはやどうでもいいのです。こんな素晴らしい作品に出会えただけで僕はもう満足だし、この素敵な出会いを演出してくれた映画祭にも、心から「ありがとう」と伝えたい。

追記1:28日の授賞式で、『思い出の西幹道』は審査員特別賞を受賞しました。

追記2:この東京国際映画祭が終わって中国に戻った3人は、なんと思いもかけない事態に飲み込まれてしまうのですが・・・。これを知った時にはショックでした。ここでは述べたくないので、気になる方はネット上で記事を探してみてください(タイトルで検索すればすぐにたどり着けると思います)。

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2007/10/26

『once ダブリンの街角で』

 何の変哲もない風景の中に、ギターケースを抱えた男と、掃除機をゴロゴロと転がす女性が現れる。たったそれだけで、ダブリンの街並みがまるでSFのように活き活きと躍動しはじめる。思わず客席から笑い声が漏れる。でもこれはSF映画でもなければ、コメディでもない。低予算ながら飛び切りの愛に満ちた、珠玉の音楽映画なのだ。

続きを読む "『once ダブリンの街角で』"

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2007/10/20

映画祭が始まりました

Tfm01_3 今年も東京国際映画祭がはじまりました。プレス試写の合間に六本木けやき坂のレッドカーペットの方に回ってみたのですが、15時ごろには一列、二列とすでに人だかりができはじめていて、お客さん、警備、スタッフともにボルテージが上昇していってるのが分かりました。

多くのプレスさんたちがレッドカーペット&オープニング・セレモニー取材に出かけて行ってる(お疲れ様です!)頃にも、僕はずっと試写にこもっていたわけですが、今日の最大の収穫はインド映画『運命の糸』という作品か。まさにインド映画の王道を行く濃厚かつ豊穣な感動作。ハンス・ジマー顔負けの映画音楽も堂々たるもので(いま巷でヒットしているアヌーシュカ・シャンカール系の音楽が好きな人にはたまらないシタールの響き!)、わたくし、朝一発目ながら大泣きしてしまいました。コンペ作品『再会の街で』もスロースターターながら徐々に織り成されていく癒しの物語に号泣する人が続出。ドン・チードル&アダム・サンドラーのコンビネーションも良いですが、監督が端役で出演しているのも忘れないで気づいてほしいところ。その他の感想についてはこちらをご覧ください。

そんなプレス試写から一歩外にでると、そこはもうすっかりの夕暮れ時。

あっという間にゲストが通り過ぎていったレッドカーペット&六本木ヒルズアリーナではすでに撤去作業が始まっており、そばにある巨大スクリーンではジョン・カビラさんと久保純子さんが司会を務めるオープニング・セレモニーが生中継されていました(写真参照)。

というわけで、東京国際映画祭は六本木と渋谷をメイン会場に、今日から28日までの日程で開催されます。

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2007/10/08

『ディスタービア』

原題のカタカナ表記がそのまま邦題に納まってしまう潮流に目くじらを立てる人も多いが、辞書に載ってない英単語の意味をダイレクトに教えてくれるという意味において、この「Disturbia」の邦題は『ディスタービア』でしかありえなかった。「覗き」という意味らしい。

教師を殴り裁判沙汰を起こした青年が、罰則として30日間の自宅謹慎を食らう。といってもその実際の内容といったら日本人には計り知れないもので、なんと自宅から30メートル離れるとアラームが作動しすぐにパトカーが駆けつける発信機を足に装着させられるのだ。担当官からは「自宅謹慎は精神を破綻させるから気をつけて」との忠告。もちろん自宅内でできることといえば限られている。テレビや雑誌、ゲームもすぐに飽き、フラストレーションは溜まる一方。そんな身動き取れぬ状況下で不健全な青少年が取る行動はだいたい決まってるようなもので…ヒッチコックの『裏窓』を現代に翻案したかのような青春ミステリーがここに幕を開ける。

自宅から双眼鏡で覗き見る隣家では、セクシーな同級生が引っ越して水着でウロウロ悩ましい姿を披露し、また反対側の隣家ではなにやら傷のついたマスタングを車庫にしまう中年男性の姿。時を同じくしてテレビでは、とある女性がマスタングに乗り込んだのを最後に消息を絶ったとのニュースが繰り返し伝えられている。「おかしい!何か事件の匂いがする!」。自宅から一歩も出れない主人公は、セクシー同級生&親友とチームを組み、携帯、デジカメを駆使しながら怪しい中年男の尻尾を掴もうと追跡を開始するのだが…。男は本当に怪しいのか?はたまた、かの担当官が口にしたように、自宅謹慎が彼の精神を破綻させてるだけなのか?

たとえば『パーフェクト・ストレンジャー』がそのタイトルからして犯人の名を告げたようなものであることからも明らかなように、そもそも世にある物語のストーリーラインなんてもうとっくに飽和状態を迎えている。とすれば、少なくともハリウッドのように新製品を絶え間なく量産し続けなければならない産業では、既存のストーリーラインにアレンジを加えて、新たなリミックスを行う必要性が生まれてくる。その方法論の一翼を担っているのが「ハイテク化」というファクターだろう。ヒッチコックの『裏窓』に「ハイテク化」の波を注いだならばこういった画期的なリミックスが出来上がりました!という作例がこの映画である。

なので、最新鋭の発信機や覗き道具だとかミステリーだとか、そういったフェイクは数多く存在すれど、基本的なストーリーラインはクラシック回帰したかのようにシンプル。

このシンプルさにひねりを加えた、というアイディアだけでも充分面白く、もしかするとこの映画は「リミックスの好例」として歴史にその名を残したかもしれない。しかしこの監督は、おそらく散々な悩みぬいた末に、この映画を“フェザー級の軽さ”とガンガン鳴り響く“音楽”とで彩って、いかにもティーン層に向け目をギラギラ輝かせたマーケティング至上主義を発揮。結果的に「面白いミステリー」というよりは「ティーン・ムービーにしては面白くできたミステリー」というアプローチで臨んだ方がむしろハズレは少ないシロモノへとシフトチェンジしてしまったかもしれない。

ただ俳優に関していえば話は別だ。主演は『トランスフォーマー』での鮮烈なデビューも記憶に新しいシャイア・ラブーフ。『トランスフォーマー』と『ディスタービア』は同じドリームワークス作品で、撮影場所も近かったらしく、どこか2作が繋がっていても不思議はない映像のオンパレード。ヒロイン役でブロンドのセクシー美女が登場するところとかも、2作ともまるっきりおなじじゃん!と突っ込みたくもなるが、ラブーフの危なっかしい眼光とイノセントかつダークな心理表現の巧みさにはティーンの粋に収まりきらないくらい凄みを感じた。ちなみに彼の母親役には『マトリックス』のキャリー・アン=モス。出産後ようやく女優として出演作を増してきたとはいえ、『マトリックス』で跳んだり蹴ったりしてたのがずいぶん昔の日のことのよう…そんなことを感じさせる母親ぶりだった。

ディスタービア』 は11月、スバル座ほか全国ロードショー

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ヒッチコックの『裏窓』から『ディスタービア』へ。映画のプロットは時代を超えて、再生産を繰り返していくもの。それはそれで、正しい進化のカタチなのかもしれません。

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2007/10/04

『いのちの食べかた』

『オフサイド・ガールズ』を配給したエスパース・サロウという会社がまたまた画期的な作品を公開する。今度はドイツのドキュメンタリー。その名も『いのちの食べかた』。テーマとなるのは「わたしたちの普段口にする食物っていったいどこから来るの?」といった素朴な疑問だ。

選別されていくヒヨコ、プール一杯に浮かんだリンゴ、収穫を待つトマト、地下深くにある岩塩採掘場、皮を剥がれ内臓を吸い取られる牛、豚、鶏、魚。

この映画が僕の心を掴んだ点は数多くあれど、その中でも3点を挙げてみる。

●そこには言葉が存在しない

ここで映し出されるのは、食物に関するおびただしい数の「エピソード1」である。時には場内がシンと静まり返るようなビザールな(しかしそれが現実なのだ)映像もあり、いや、それ以上に思わず「これ、なに?」と凝視してしまう映像が多いことに驚かされる。そこで唐突に映し出される映像がいったい何の作業現場であるのか、常人たる僕らには皆目検討もつかないのだ。もちろん僕らは、頭の中に「?」を飽和させながら、ドキュメンタリーとして当然あるべき“説明(ナレーション)”が映像にかぶさってくるのを待ち構えることだろう。しかしそのときが訪れることはない。というよりもまず、本作で言葉が用いられるのはクレジット部分だけ。僕らは、ここに映し出される作業過程をただ淡々と目撃し続けなければならない。待っていても誰も助けてはくれない。そこでいったいどんな作業が行われているのか、自分の知恵を総動員して想像力を働かせるのみなのだ。

「言葉(説明)を廃する」というこの試みは、面白いことに、あらゆる映像を均質化することに大きな成功を納めている。つまり、僕らはたとえば轟音を響かせ血が飛び散る生々しい精肉シーンであっても、はたまたのんびりとしたトマトの収穫映像であっても、決して言葉に煽られることなく、まったく同じ温度感で、同じ驚きでもってそれらに間向かうことができる。そこには「植物だから」とか、「動物だから」とかいった差別化も存在しない。すべてが人間の口に運ばれる「いのち」として等しく写し取られている。そうした意味で、この手法は頭の中から「センセーショナル」という概念を巧みに奪い取り、あとに残るのは僕らと食物との粛々とした対面なのである。

●生命VS効率主義が生み出すアート

そうした映像を淡々と見つめている中で、ある共通点に気がつく。それが動物であっても植物であっても、あらゆるところにベルトコンベアの姿が見られ、またあらゆるところに“効率化”を象徴する流れ作業が顔を出す。右から左へ。後ろから前へ。河の流れのごとくに「いのち」が運ばれていく。まさに、生命VS効率主義。そうした“せめぎあい”が生み出す映像はもはやアートといっても過言ではないほど、美しくもあり、生々しくもある(ある人はこれらの映像にユダヤ人収容所を想起したりもするかもしれないが、この作品自体にはそのような意図は決してなく、“それそのものを提示する”ことに徹している)。

そうした中で、作業場の人間たちが時折「あっ」とヒヨコを手からこぼしたり、気まずそうな表情をしながらサンドイッチを頬張ってみたりする様子が映し出され、観客の胸を無性にかきむしる瞬間がある。規則的なアートをかき乱すこの人間の予定不調和ぶりが、結果的にそれも含めて、より強靭なアートを織り成しているというか、そうした集合体が他でもない、この『いのちの食べ方』という映像作品であるというべきか。

●インターネットでは知りえない知識

そして最後にいちばん衝撃的だったことは、こんなにもネットが普及し、情報と知識が飛び交う世の中で、僕らは結局、重要なことなんて何一つ知らなかったんだな、ということだ。ネットで検索すれば何だって答えが見つかる現代社会で、自分たちがいつも口にする食物がいったいどうやって運ばれてくるかなんて、こんな身近すぎる疑問をどうしていままで放っておいたのか。それは「興味がなかった」から?それとも「あえて知らずにいたかった」から?もちろんこの映像だけですべてを知ったような気分に浸ることは危険ではあるが、それでも「知る」ことで僕らの中で始まるものがあるとするならば、やはりこの映像作品の与えてくれる知識は「体験」にも近い衝撃と可能性を秘めている。少なくともウィキペディアを検索しただけではこの映像体験は得られない。

何はともあれ、この映画を体験してからというもの、あらゆる食物に感謝を忘れなくなった(もうひとつ言及すると、これらの作業に従事する人々への感謝も忘れまい)。今だからこそ気がつく。幼い頃から染み付いてきたあの言葉がなんと壮大な意味を含有していたことか。だからいつも心を込めて口にしようと思う。大切な言葉。

「いただきます」

いのちの食べかた』は、11月、渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

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食物についてもっと「言葉」で知りたいと思われた人には、ドキュメンタリー作家・森達也さんの書かれたこの本がお勧めです。

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