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2007/11/28

『大日本人』

 そろそろ2007年も締めくくりの時期となりました。

 今年いちばん僕の心を捉えた映画は何だったろうと、振り返ってみる。そして、ひとつだけ弾き出された検索結果。それは…

 『大日本人』だ。

 正直言ってこの面白さには震えが止まらなかった。

 僕は別に松本人志の信者ではないし、テレビ番組もそれほどチェックしているわけでもない。もちろん、この映画を劇場で観た多くの人がブログで酷評しているから逆に目立とうと思って、奇をてらって絶賛しているわけでも毛頭ない。

 この映画、もちろん世間が期待するようなテレビ的な大爆笑は皆無だ。むしろ身体の中の小さなツボに向けて微小の電流を間断なく流し続けたかのような刺激的な瞬間に満ちている。

 それは、松本人志の演じる純和風ヒーロー「大佐藤」とマネージャーのUAとが持ち前の関西弁をあえて標準語に矯正することによって生まれる微妙に居心地の悪いイントネーション(わざとやっている)に始まり、どこまで台本通りでどこからアドリブなのか境目の皆目分からないドキュメンタリー的色調に引き継がれ、トリッキーな節回しで観客を煙に巻く松本の演技や、終始なれなれしく大佐藤に問いかけるインタビュアー、無名ながら信じがたいほど自然な演技をする脇役陣も見ていてドキドキするほどのリアリティに包まれている。そうやって積み上げられた映画のトーンを、巨大化後のチープなゲーム感覚のCG画像&「大佐藤家」を物語る歴史映像によって瞬時に突き崩すリズム感も面白く、テイ・トウワの奏でる哀愁あふれる音楽も絶妙にはまっていた。

 そのすべてが個を主張するわけでもなく、全体的には恐ろしくも「余白」の多い映画として、何ら演出的な押し付けもなく、観客を放置プレーの奈落へと突き落とす。視聴率を気にした秒刻みの大爆笑の連続ではなく、数字には決して現れない些細な人間の感情を刺激する装置の数々に僕はこれまでにない映像の可能性を感じたし、ここで使われるあまりに自然な台詞には、チェルフィッチュの舞台を初めて観たときのような、人間の思考の裏側をゆく特殊な志向さえ感じた。

 すべての“ドラマ的なもの”を剥ぎ取ったときに生まれるこのナチュラルな思考の流れ、よどみない言葉の流れは、一般の観客よりもむしろクリエイターと呼ばれる“表現する側の人”にとって大きな刺激となったのではないだろうか。

 また、「大佐藤」と呼ばれるヒーローの救済範囲が日本だけという究極のローカル感も面白い。その状態がマンネリ化したときに生まれる“救われる側”の悪魔的感情への言及も意味深い。テレビへのアンチテーゼ?それとも平和慣れした日本のメタファー?そこらへの安易な深読みを口にするとその妙味がふっと消え去ってしまいそうな即時性の高い空気もここには確かに存在する。

 ラストに批判が集中しているが、あれは松本人志がいま一番「面白い」と思っている興味の中心なのだろう。「僕は遠慮しときます」と「ぜひ」の狭間にある、見ていてこそばゆくなるほどの軋轢。世界における日本の姿を象徴するこの微妙な構造を、別に批判するでもなく、爆笑を誘うわけでもなく、ただ「面白いね」っていうだけのスタンスでじっと見つめる視座がとても生ぬるくて僕は好きだ。

 映画が少なからず観客に夢を見せるものであるとするならば、『大日本人』はリアルな生活臭の中で究極の夢を生じさせる白昼夢のような映画だ。そのアイディアと方法論には生粋の映画人には追究しえなかった成果が刻まれている。これは松本人志というカリスマと、空前のお笑いブームに湧く吉本興業だからこそ資金調達できた、まさに2007年にしか生まれ得なかった奇跡的なまでに生ぬるい作品、ということなのだろう。

 ただ、この作品が観客との間に妙な隔たりを生み出してしまった理由は一目瞭然だ。これは全国で何百もの劇場で上映するよりは、やはりミニシアター規模で公開すべき特殊な作品だった。なぜなら『大日本人』は子供から大人まで誰もが楽しめる純粋な“マス・エンターテインメント”ではなく、あくまで一人一人の感情に足音静かに忍び込む“パーソナルな映画”であり、紛れもない“作家主義”の映画なのだから。

 そしてこの日本では、作家主義がそれほど尊重されていないのも事実なのだ。

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2007/11/24

『マイティ・ハート 愛と絆』

 悲惨な事件だ。かつて日本人の青年が巻き込まれたあの事件を思い出す。ほとんど報道されることはなかったが、彼のご家族はいったいどんな心境でこの哀しみの日々に耐え続けたのだろう。あの頃、テロや自己責任といったセンセーショナルな言葉に翻弄されるあまり、僕はそういった部分から意識的に目を遠ざけていたように思う。

 『マイティ・ハート』は、パキスタンでアルカイダと思われる組織に拉致・監禁、そして殺害されたウォールストリート・ジャーナルの特派員ダニエル・パールと、彼の無事を信じて待ち続けた妻マリアンヌの日々を描いた物語だ(世界的に有名な事件なので、ここまで書いてもネタバレには当たらないだろう)。

 本作をより感動的で、悲壮感たっぷりで、あるいはもっとサスペンスフルな味付けで描くことは可能だったはずだ。しかしブラッド・ピット率いる製作会社プランBはそれらの選択肢がはなから眼中になかったかのように“当たる映画”の境地からは最も遠い方法論を選び取った。最優先事項は観客の満足ではなく、原作「マイティ・ハート」を著したマリアンヌ・パールに対していかに誠意を捧げられるかに尽きる、といった様相。数々のハリウッド大作でそれと間逆の映画作りに身を浸してきたブラッド・ピット&アンジェリーナ・ジョリーにとって、そういう気持ちで映画に臨んだことなど初めてだったかもしれない。

 まるで個人と個人の“契り”のように生まれたこのプロジェクトは、監督にマイケル・ウィンターボトムを起用した時点で、その方向性(ドキュメンタリー・タッチ、長回し、即興性)が決定的となった。こうやってエンターテインメントから遠く離れた地点で決してブレずに題材を突き詰めることで、いつしか観客も重い腰を上げ、じっと目線を同調してくれるはず…。『マイティ・ハート 愛と絆』は、作り手がそういった瞬間を堅く信じることによって成立している映画である。

 アンジェリーナ・ジョリーが肌を褐色に染めてまで演じたマリアンヌ・パールは、時折こらえきれずに泣き叫ぶことはあっても、決して絶望に屈することはない。ウィンターボトムは彼女にいかなる困難が降り注ごうとも、音楽を高鳴らせたり緊張感を増幅させたりなどする演出は取らず、いまこの瞬間にも消え行こうとしている命と、彼女の子宮の中ですくすくと育ちゆく命とを並存させることによって、観客がその状況から何かを掴み取る手がかりを与えようとする。

 これは憎しみの映画でもなければ、あからさまな赦しの映画でもない。何度も言うが、どこかで心揺さぶるクライマックスが用意されているわけでもない。ひとりの女性が人生の困難を乗り越え、現在も世界のどこかで力強く生きている。そして彼女の人生は、失った命、生まれ得た命らとともに、いまもなお、力強く現在進行形なのだ。

 観終わったあとの思いは複雑だ。彼女の身に起こったことが観客の胸のうちで冷静に像を結ぶまでにはそれなりの時間がかかるだろう。僕の場合、その混沌の先にまず浮かんだのは原作「マイティ・ハート」の表紙だった。初めて目にした実物の彼女は、口元にキッと力強い笑みを宿していた。それは人生の絶望を経験した人とは到底思えないような神々しさであり、どうすればあんな表情に達することができるんだろう、と不思議を通り越して、衝撃さえ感じたものだった。

 プランBが、マリアンヌと親交のあるジョリーが、そしてウィンターボトムが抱いていた思いも同じではなかったか。そして、本作を媒介に彼女の人生を追体験することで、なぜあの表情に至ったのかがおぼろげながら伝わってきた。

 この映画はつまり、絶望の中にあの表情を探す旅だったのだと、そう思えてならない。

マイティ・ハート 愛と絆』は11月23日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズ他にて全国ロードショー

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2007/11/21

『母べえ』

 いい年齢になってきたせいか、山田洋次監督の作品は欠かさず観るようになった。寅さんシリーズの頃には、観れば絶対に大爆笑するくせに、それを映画館のスクリーンで観ることへの執着心へと繋げられなかったというか、それより先にCDやら漫画本やらへの散財が存在したというか。まあ、兎にも角にも、僕にとって“今だからこそ”の山田洋次作品があるわけで。

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2007/11/19

『シルク』

 さかのぼること9年前、その所有者をことごとく不幸にするバイオリンの、長き長き運命の旅路を丹念に描いた『レッド・バイオリン』を観たときには本当に驚いた。5つの国にまたがって物語を紡ぐその大胆な才能、甘美な響きに魅せられ狂気を帯びてくる人間たちの運命、そして分厚い大河小説を一晩かけて読み終わったかのような眩暈にも似た感触…そのすべてに感嘆し、このフランソワ・ジラールという才能は今後いったいどのように進化していくんだろうかと想像力のない想像をめぐらしたものだった。

 あれから随分と、新作は届かなかった。

 その間、彼は映画にとどまらず、演劇、オペラ、パフォーマンス・アートなど、様々な表現形態へ触手を伸ばし、そしてまた映画のフィールドへと戻ってきた。きっとこれを終えるとまたどこかの新天地へ、軽やかに旅立っていくのだろう。

 『シルク』の原作は「海の上のピアニスト」をも手がけたアレッサンドロ・バリッコ。バリッコの短い言葉の中にいくつもの意味が幾重にも折り重なっているような寓話性と、映像が国境を超えるという荒業をものともしないジラールのボーダーレスな感性とがガッチリと合わさって、一見誤解されがちな『ラスト・サムライ』のようなスペクタクルでは決してなく、精神的にとんでもなく深い深い傑作に仕上がっている。ちなみに本作の舞台は主にフランスだが、日本パート以外はすべて英語。その言語感覚をいぶかる声もあるかもしれないが、そもそも原作がイタリア語で書かれていることからしても、そこにはもはや言語や国境の違いなど存在しないに等しい。つまり、その意味でもボーダーレス。

 物語は19世紀、フランスの片田舎からはじまる。

 村にひとりの男がやってきて絹糸を紡ぐ工場を立ち上げる。最初は無謀に見えたその事業は徐々に軌道に乗り、村に潤いをもたらすようになった。

 しかし肝心の蚕(かいこ)が疫病にかかり、婚約したばかりのエルヴェという主人公に「世界の果てまで旅して、蚕の卵を持ち帰ってくれ」との任務がくだされる。

 世界の果てとは、すなわち日本。

 ヨーロッパ、ロシアを横断し、そこから日本へと入り込んだ彼は、密輸業の組織から卵を譲り受け、それを故郷へと持ち帰る。事業は大成功。大金を手にし、妻との生活を楽しむ彼だったが、日本で目にした不思議な少女のことが忘れられない。そんな彼に二度目の日本行きの任務が下される…。

 マイケル・ピット演じる主人公は透明感あふれる静かなたたずまいで、その身を異文化へと侵入させていく。その婚約者にはキーラ・ナイトレイ。『パイレーツ・オブ・カリビアン』などの出演作によりいささか元気すぎるイメージの定着した彼女は、興味深いことに監督から「ゆっくり過ぎるくらいゆっくり演じて」と指示を受けたと言う。

 そう、この映画は、予想された巨大スケールにふさわしからぬ、たった1時間49分という短さながら、漂う空気は本当に“ゆっくり”している。かといって、決して弛緩しているわけではない。全体がゆっくり進むかと思いきや、主人公が辿る壮大な旅路は、山を越え、谷を越え、川を下ると、そこはもう目的地。まるでワープでもしたような短時間で語られるのである。しかも一往復だけで命がけなのに、それを複数回も。

 どう考えてもこの距離感は常軌を逸している。そして肝心な日本の描写も僕らがよく知る日本とはちょっと勝手が違っている(むしろファンタジーの世界のようだ)。だがこれを“日本知らずのトンデモ映画”と決め付けるのは早い。なぜなら、この距離と空間の緩やかな混濁によって僕らの時間感覚はすっかりと狂わされ、時空を超越した不可思議な時間軸が体内に刻まれていくからだ。

 そこにはいつしか、世界の果てまで到達したかと思うと実は“庭”さえ出ていなかった…とでも言うような、そして永遠が一瞬であるとでも言うような物語の流れが浮かび上がってくる。衣でありながらそれが無のようにすら感じさせる絹(シルク)の肌ざわり。坂本龍一が奏でるサウンドトラックも、俄かに香るオリエンタリズムがあえて日本だけではなく、フランスのシークエンスでも用いられ、やはりここでもボーダーレスな感覚は色濃く迫り出している。

 映像の中にバリッコの文体が浮かび上がる。音楽の中にジラールの息づかいが聞こえてくる。かくもたったひとつの表現にいくつもの意味が折り重なったかのような深遠さが、たった1時間49分の作品世界を二倍にも三倍にも膨らませていく。

 そして果てしない旅を終えたとき、僕らは時間旅行を終えたかのような頭がボーっとする心地よさに襲われている。壮大でありながら、ほんの一瞬の物語。かと思えば、ラストの余韻を考えるにつけ、僕らの体内には途方もない感慨が堰を切ったようにあふれ出してくる。この誰にも真似できない神業は、とうに『レッド・バイオリン』を越えている。フランソワ・ジラールはまたしてもやってくれた。

シルク』は1月19日より、日劇3ほか東宝洋画系にて全国拡大ロードショー

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2007/11/14

『やわらかい手』

長文がうんざりな方は、300文字レビューでサクッとチェック

 英国を舞台にしたヒット映画の傾向には、「1、スタイリッシュなクライム・ムービー」「2、貧困、逆境との対決」「3、文芸路線」という3つの潮流が挙げられる。では、ベルリン映画祭で観客から驚愕と絶賛を持って迎えられた『やわらかい手』はどうだろう?

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2007/11/01

EYESCREAM最新号、発売中!

クリエイティブなライフスタイルを演出する雑誌「EYESCREAM(アイスクリーム)」の最新号が全国の本屋さんで発売中です。

今月は帽子特集!

ってことで、表紙は松田優作(すごい究極な発想ですね)!

わたくし牛津はそんな特集とは関係なく、『ヘアスプレー』のアダム・シャンクマン監督に“ジョン・ウォーターズに関するいくつかのこと”についてインタビューしたり、あとレギュラーのお薦め映画レビューも数本書いてますので、本屋さんで優作さんを目にした折には、開口一番「なんじゃこりゃあ!」と絶叫しながら血まみれ(もちろん血糊)の手で脱兎のごとくページを捲ってみてください!

それでは本屋さんでお会いしましょうぜ。

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