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2007/11/19

『シルク』

 さかのぼること9年前、その所有者をことごとく不幸にするバイオリンの、長き長き運命の旅路を丹念に描いた『レッド・バイオリン』を観たときには本当に驚いた。5つの国にまたがって物語を紡ぐその大胆な才能、甘美な響きに魅せられ狂気を帯びてくる人間たちの運命、そして分厚い大河小説を一晩かけて読み終わったかのような眩暈にも似た感触…そのすべてに感嘆し、このフランソワ・ジラールという才能は今後いったいどのように進化していくんだろうかと想像力のない想像をめぐらしたものだった。

 あれから随分と、新作は届かなかった。

 その間、彼は映画にとどまらず、演劇、オペラ、パフォーマンス・アートなど、様々な表現形態へ触手を伸ばし、そしてまた映画のフィールドへと戻ってきた。きっとこれを終えるとまたどこかの新天地へ、軽やかに旅立っていくのだろう。

 『シルク』の原作は「海の上のピアニスト」をも手がけたアレッサンドロ・バリッコ。バリッコの短い言葉の中にいくつもの意味が幾重にも折り重なっているような寓話性と、映像が国境を超えるという荒業をものともしないジラールのボーダーレスな感性とがガッチリと合わさって、一見誤解されがちな『ラスト・サムライ』のようなスペクタクルでは決してなく、精神的にとんでもなく深い深い傑作に仕上がっている。ちなみに本作の舞台は主にフランスだが、日本パート以外はすべて英語。その言語感覚をいぶかる声もあるかもしれないが、そもそも原作がイタリア語で書かれていることからしても、そこにはもはや言語や国境の違いなど存在しないに等しい。つまり、その意味でもボーダーレス。

 物語は19世紀、フランスの片田舎からはじまる。

 村にひとりの男がやってきて絹糸を紡ぐ工場を立ち上げる。最初は無謀に見えたその事業は徐々に軌道に乗り、村に潤いをもたらすようになった。

 しかし肝心の蚕(かいこ)が疫病にかかり、婚約したばかりのエルヴェという主人公に「世界の果てまで旅して、蚕の卵を持ち帰ってくれ」との任務がくだされる。

 世界の果てとは、すなわち日本。

 ヨーロッパ、ロシアを横断し、そこから日本へと入り込んだ彼は、密輸業の組織から卵を譲り受け、それを故郷へと持ち帰る。事業は大成功。大金を手にし、妻との生活を楽しむ彼だったが、日本で目にした不思議な少女のことが忘れられない。そんな彼に二度目の日本行きの任務が下される…。

 マイケル・ピット演じる主人公は透明感あふれる静かなたたずまいで、その身を異文化へと侵入させていく。その婚約者にはキーラ・ナイトレイ。『パイレーツ・オブ・カリビアン』などの出演作によりいささか元気すぎるイメージの定着した彼女は、興味深いことに監督から「ゆっくり過ぎるくらいゆっくり演じて」と指示を受けたと言う。

 そう、この映画は、予想された巨大スケールにふさわしからぬ、たった1時間49分という短さながら、漂う空気は本当に“ゆっくり”している。かといって、決して弛緩しているわけではない。全体がゆっくり進むかと思いきや、主人公が辿る壮大な旅路は、山を越え、谷を越え、川を下ると、そこはもう目的地。まるでワープでもしたような短時間で語られるのである。しかも一往復だけで命がけなのに、それを複数回も。

 どう考えてもこの距離感は常軌を逸している。そして肝心な日本の描写も僕らがよく知る日本とはちょっと勝手が違っている(むしろファンタジーの世界のようだ)。だがこれを“日本知らずのトンデモ映画”と決め付けるのは早い。なぜなら、この距離と空間の緩やかな混濁によって僕らの時間感覚はすっかりと狂わされ、時空を超越した不可思議な時間軸が体内に刻まれていくからだ。

 そこにはいつしか、世界の果てまで到達したかと思うと実は“庭”さえ出ていなかった…とでも言うような、そして永遠が一瞬であるとでも言うような物語の流れが浮かび上がってくる。衣でありながらそれが無のようにすら感じさせる絹(シルク)の肌ざわり。坂本龍一が奏でるサウンドトラックも、俄かに香るオリエンタリズムがあえて日本だけではなく、フランスのシークエンスでも用いられ、やはりここでもボーダーレスな感覚は色濃く迫り出している。

 映像の中にバリッコの文体が浮かび上がる。音楽の中にジラールの息づかいが聞こえてくる。かくもたったひとつの表現にいくつもの意味が折り重なったかのような深遠さが、たった1時間49分の作品世界を二倍にも三倍にも膨らませていく。

 そして果てしない旅を終えたとき、僕らは時間旅行を終えたかのような頭がボーっとする心地よさに襲われている。壮大でありながら、ほんの一瞬の物語。かと思えば、ラストの余韻を考えるにつけ、僕らの体内には途方もない感慨が堰を切ったようにあふれ出してくる。この誰にも真似できない神業は、とうに『レッド・バイオリン』を越えている。フランソワ・ジラールはまたしてもやってくれた。

シルク』は1月19日より、日劇3ほか東宝洋画系にて全国拡大ロードショー

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