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2007/11/21

『母べえ』

 いい年齢になってきたせいか、山田洋次監督の作品は欠かさず観るようになった。寅さんシリーズの頃には、観れば絶対に大爆笑するくせに、それを映画館のスクリーンで観ることへの執着心へと繋げられなかったというか、それより先にCDやら漫画本やらへの散財が存在したというか。まあ、兎にも角にも、僕にとって“今だからこそ”の山田洋次作品があるわけで。

 藤沢周平の3部作から遠く離れて、今回は昭和の時代劇『母べえ』である。主演は吉永小百合。日本に戦雲の足音が聞こえてくる頃を舞台に、劇作家の父を警察に奪われ、残された母はその両手で娘たちをしっかりと抱きしめながら気丈に生きていく。原作は、当時その末娘でもあった野上照代さん。その名前に見覚えのある方も多かろう。数々の黒澤明作品でスクリプターを担当されていた方だ。

 多くの場合、映画の良し悪しは冒頭で決まる。『母べえ』の冒頭には、なぜこの映画が妙ちきりんなタイトルなのかがナレーションで説明される。

 「この暗い時代を少しでも明るくしようと、父の提案で家族の名前はすべて“べえ”を付けて呼ぶことになりました」

 バックではそれぞれの名を「べえ」付きで呼び合う無邪気な子供たちの姿。「父べえ」「母べえ」「初べえ」「照べえ」。それ以上の余計な説明は何もない。あとは彼らが「べえ」と呼び合うだけで、それがどんなに暗く厳しい時代であろうとも、ほのかな灯火がその場をぼうっと照らしているかのような温かさが沁み渡る。この、いかなる時代であろうとも人類最後の抵抗手段として存在し続ける“ユーモア”。チャップリンの崇高さもそこにあったのだし、『タロットカード殺人事件』でウディ・アレンの言う「ユーモアは大事ですよ。ユーモアさえあれば、この世はこれほど悲惨にはならなかった」という他愛もないお喋りにも、微笑みながら観客の心に光を灯す力がある。

 その力の原動力となっているのが、吉永小百合の体内から放出される存在感であることは言うまでもない。彼女は本作の中でほとんどと言っていいほど受け手の演技に徹しているように思える。この暗い時代に次々と現れる、坂東三津五郎、中村梅之助、笑福亭鶴瓶、壇れい、笹野高史など個性豊かな登場人物たちをその凛とした風情で受けとめ、彼女の崇高な存在によってろ過されたあらゆる描写は、観客の心にいっさいネガティブな余韻を残すことはない。その意味で、吉永小百合という存在は、守りながらも攻めていたのかもしれない。それも“母”としての凄まじいまでの精神力で。

 そして『母べえ』でもうひとつ驚かされるのが、紛れもない浅野忠信の演技だ。いったい彼の身体のどの部分にこんな引き出しが用意されていたんだろうと、頭を抱えてしまうくらいにコミカルで優しくて頼り無さそうで頼りになって、つまりは「父の不在」の穴埋め的な役柄を実に飄々と演じきる。この「誰も目にすることのなかった浅野忠信」を引き出したのが山田洋次なのだとすると、その監督術たるや、改めて魔術師のようにも思える衝撃を受けた。

 もはや老若男女、観る側の世代など関係ない。『母べえ』はそれぞれの人生の中でいつかどこかで必ず触れてもらいたい、人生のエッセンスがギュッと詰め込まれた傑作である。

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