« EYESCREAM最新号、発売中! | トップページ | 『シルク』 »

2007/11/14

『やわらかい手』

長文がうんざりな方は、300文字レビューでサクッとチェック

 英国を舞台にしたヒット映画の傾向には、「1、スタイリッシュなクライム・ムービー」「2、貧困、逆境との対決」「3、文芸路線」という3つの潮流が挙げられる。では、ベルリン映画祭で観客から驚愕と絶賛を持って迎えられた『やわらかい手』はどうだろう?

 物語は、ロンドンのとある病院からはじまる。

 ベッドに幼い男の子が横たわっている。傍らに付き添う両親は、まだ20代そこそこなのにかなりやつれた様子だ。追い討ちをかけるように医者からの宣告が下される。

 「息子さんは予断を許さない状況です。しかしオーストラリアにその道の専門家がいます。今ならベッドに空きがある。…決断のときです」

 彼ら夫婦には、もはやオーストラリアへの渡航費と滞在費を払えるだけの金銭的余裕が残されていなかった。やつれた表情にさらに深い皺が刻まれる。

 だが彼らの苦悩をずっと見つめてきた人がいた。病に苦しむ幼子のおばあちゃん、マギーだ。愛する孫のために既に自宅を手放していた彼女は、すかさず老体に鞭打って就職活動を始める。斡旋会社では「その年齢では無理です」とあえなくシャットアウト。しかしトボトボと歩く道すがら、運命の瞬間が訪れる。気がつくとそこはロンドンの歓楽街、ソーホー。見るからにいかがわしい店が立ち並ぶその一角に張り紙を見つけたのだ。

 「接客係募集」

 てっきり「ウェイトレスか何か?」と応募する彼女に、いかつい店のオーナーは「両手を出してみて」と言う。言われたとおりに差し出すマギー。しばらく鑑定が続き、一言。

 「うん、悪くない」

 彼女はなんとこの店で、男たちを手でイカせる商売に従事してしまった。ワンコイン投入でランプが光ると、壁に空いた丸い穴から隆起物が顔を出す。大きいの、小さいの、イビツなの、様々。はじめは苦悩の日々だったが、「孫のため」と割り切ると怖いものはなくなっていく。これまで何のとりえもなかったマギー。しかし運命とはおかしなものだ。いつしか男たちは彼女のサービスに行列を成すようになった。「Irina(イリーナ)」という芸名も与えられた。顔の見えぬミューズに逢うため、今晩も男たちが大挙する。彼女はいまや、街の伝説になろうとしていた…。

******
 気がつくと、長々とストーリーを語ってしまっていた。それもこれもこの映画のせいだ。なんという運命の流転。なんという皮肉なサクセス。個性あふれる登場人物に、予断を許さぬ驚愕の展開。もちろんこの“ブラックユーモア”を許容できない人にとっては苦痛な部分も多いかもしれないが(しかもこの映画が知的なマダム層の支持を集めるBunkamuraル・シネマで上映されるというのだから、支配人はなんと冒険心に満ちた御仁なんだろう)、この映画はそのリスクを侵してあまりあるほどのパンチの効いた人間ドラマであり、肉厚のハードボイルドの側面をも併せ持つ。

 ハードボイルド…?

 たとえば、マギーが最初の仕事を終えて手を洗うシーンに注目したい。洗っても洗っても汚れが落ちない気がして、しまいには気が狂ったようにバシャバシャとやってる彼女。ハッと我に返り、顔を上げるとそこには鏡がある。青ざめた顔。見慣れた自分の顔が今では丸っきり別人のように見える…。これは世にあるハードボイルド映画において数限りなく繰り返されてきた常套的なシークエンスである。やむにやまれず殺しの稼業を請け負ってしまった男が最初の殺人を犯し、狂ったように手を洗いながら「血の匂いが消えねえ」とつぶやく。ふと顔を上げると、そこにはやっぱり鏡がある。マギーの場合はこれにややアレンジが加わり、手についた血もここでは思いのほか白濁していたわけだが、その精神は紛れもないハードボイルドから受け継がれたものだ。

 おばあちゃん+ハードボイルドという組み合わせの妙。この化学変化的なジャンル融合が物語を勢い良く回転させはじめる。

 まさに生き残るために何でもやる。愛する孫のためにすべてを投げ打ってみせるその姿に、観客は段々と圧倒されていく。そしていつしかマギーの表情は自信に満ち溢れている。これまで何のとりえもなかった彼女が今では眩いばかりの神々しさを身にまとい、寝たきりの孫に向かって「大丈夫だから!」と優しく笑う。その表情の頼もしいこと。冒頭でオドオドしていた彼女はどこへ行ってしまったんだろう。

 またマギーを演じるのが伝説の女優マリアンヌ・フェイスフルなのが興味深い。音楽&女優のキャリアを順調に築きながらも(ミック・ジャガーの恋人でもあった)、60年代のどうしようもない潮流からかドラッグ中毒となり第一線よりフェイドアウト。その後、直面した“どん底”の生活は本作でマギーが経験するそれに比しても劣らない壮絶なものだったと言う(更にフェイスフルはこの映画の製作と前後して乳ガンが見つかり闘病を余儀なくされたが、いまでは再び復活を果たしている)。

 ちなみに店のオーナー役を演じるのは、エミール・クストリッツァ監督作『アンダーグラウンド』で主演を務めたミキ・マノイロヴィッチ。無骨で感情表現の苦手そうな風貌ながらも、やがてマギーに対して複雑な想いを抱きはじめるコミカルな心象模様は、暗くなりそうな危うい場面でもフッと緊張を笑いに変える。これまた映画を見慣れた人にとってはお決まりのパターンとはいえ、あまりのタイミングを心得た演出に胸が熱くなる。

 結果的に本作は、最初に想定していた感触とは全くの別世界へ到達する。誰も死なないし、殺されない。陰気なのに、なぜだかとてもあったかい…。

 なにせこれは通常の発想にスパイラルを加えた作品だ。製作にはEU5カ国の製作会社が参加し、監督はドイツ出身。主演女優は型破り。「2、逆境との対決」などといった枠には到底おさまりきらない。結果的に冒頭で掲げた3つの法則など木っ端微塵に吹き飛ばしてしまうことになるが、気分はいたって最高。この規格外の快作―世界で最も平和なハードボイルド映画に、最大級の賛辞を送りたい。

■この記事が参考になったら押してください→人気blogランキング 

若き日のマリアンヌ・フェイスフルはこういうことになっていた。一曲目の「AS TEARS GO BY」はミック・ジャガーとキース・リチャーズが手掛けたフェイスフルのデビュー曲でもある

------

TOP / INFORMATION】【過去レビュー】【DIARY

|

« EYESCREAM最新号、発売中! | トップページ | 『シルク』 »

【地域:英国発】」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/137483/17068434

この記事へのトラックバック一覧です: 『やわらかい手』:

« EYESCREAM最新号、発売中! | トップページ | 『シルク』 »