『パンズ・ラビリンス』

『アーサーとミニモイの不思議な国』が正真正銘の子供向けファンタジーだとすれば、アカデミー賞で3部門の受賞(撮影賞、美術賞、メークアップ賞)に輝いた『パンズ・ラビリンス』は大人向けのダーク・ファンタジーということになる。これが観る前にイメージしていたよりもずっと過酷な描写をふんだんに盛り込んでおり、とくにこの映画の克明に描きこむ“傷”に関しては子供が直視できないくらいに生々しいものがある。改めてギレルモ・デル・トロをはじめとする作り手の強靭な創作意志に圧倒された次第。

このなんとも重々しい雰囲気に足がすくみながらも、視線がおのずと作品の内部へと導かれていくのは、映画の幕が上がると同時に飛び込んでくる深い闇があまりに深遠な映像美を生み出しているからであり、気が付くと僕らは1944年スペインの暗黒時代にどっぷりと入り込んでしまっている。

ある日、少女オフェリアは身重の母につれられて山奥の山荘に連れられていく。そこにはクーデターの残党を殲滅すべくフランコ軍が駐屯しており、オフェリアの新しい父親はそこの大尉を務めている。敵の息の根をとめるためには手段を選ばぬ非道な父。彼は少女に一瞥もくれず、やがて生まれてくる実子が男の子であることだけを信じ、寵愛を注ぐ。だんだんと母の息が乱れていく。出産の時は近い。医師はどうやら難産になりそうだと大尉に告げ、彼は「そのときはお腹の息子の命を優先せよ」と命令をくだす。そんな中、オフェリアのもとへ妖精が舞い降り、彼女が実はラビリンスの王女の生まれ変わりであると言う。存亡の危機を迎えたラビリンスを救うには彼女の力が必要であり、そのためには彼女が真の王女であることを証明せねばならない。かくしてオフェリアは、妖精にいざなわれるままに3つの試練に立ち向かうことになるのだが・・・。

この導入部の第一試練あたりはどこか『千と千尋の神隠し』を思わせる。両者ともにドロにまみれて真っ黒になってしまう場面では少女の冒険に付き物の儀式性さえも感じられてことさら興味深い。だが中盤から後半にかけてその差異は決定的なものとなっていく。残酷な死と隣り合わせの暗黒時代、お腹の大きな母親、義理の父親との冷たい関係、迫り来るレジスタンス、政府軍による容赦ない殲滅作戦…。

この映画は僕らに、人間こそが悪魔以上に恐ろしい生き物であるということを痛いほど見せつける。その地獄の中で大人たちは血で血を洗うやり方で世の中を変えようとしている。対する少女は、彼女の目にしか映りえない“ファンタジーの世界”でもって自分なりに世の中を変えようと奮闘する。それは大人たちの目から見ると非現実的な、「逃避」にしか見えないのかもしれないが、当の少女からしてみると、この眼前の血にまみれた「大人たちの現実」こそが別世界の異様な光景なのであり、守護神“パン”によっていざなわれるラビリンスこそが自分の辿るべき道なのだと意を決するのも頷ける。

スペインが見舞われた血にまみれた現実。そして少女のいざなわれる世にも不思議な現実。

両者のリアリティは観客の中でもすっかり混濁しはじめる。そして大人たちの突き進んでいく“現実”のあまりの凄惨さに、観客さえもが少女の選び取るファンタジーに拠り所を求めてしまう…という思考の流れが、極限状況の中で生まれたファンタジーの根源的な力をより鮮明に浮き彫りにしていくのである。

いや、そもそもすべてのファンタジーはこうした絶望の中で生まれた、身を切るほどに切ないものなのかもしれない。かつてこの世に存在したすべての戦火の子供たち(それはアンネ・フランクらをはじめとするような)の魂がこの主人公オフェリアの身体に集約されているかのような気がしてならない。

いつの時代でも歴史は繰り返される。そして子供たちはいつも自分たちのやり方で勇気を振り絞る。この映画はファンタジー特有の美しくも幻想的な映像を期待して臨むと心臓が張り裂けんばかりの手痛い返り討ちを食らうが、その光景を真正面から真摯に受け止めた者だけが、その闇の向こう側に美しい一筋の光を見出すことになるのだろう。

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パンズ・ラビリンス』は、10月6日恵比寿ガーデンシネマほか全国ロードショー

ギレルモ・デル・トロの代表作『ヘルボーイ』。ジャンルは根本的に違いながらも、ギレルモ・デル・トロのキャラクター造形へのこだわりは『パンズ』と共通するものが感じられる一作です。彼が映画の中で動かす非人間的な生き物って、どうしてこんなに異様で、かつ愛らしいんでしょう。

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『タロットカード殺人事件』

タロットカード殺人事件』は、まるでオペラの「ストーリーラインを歌で彩る」という趣向を踏襲したかのように、「ストーリーラインを会話で彩る」ことによって、いつも変わらぬウディ節が炸裂。一筋縄ではいかないアガサ・クリスティ風の探偵コメディに仕上がっている。

冒頭、チャイコフスキーの「白鳥の湖」が意味ありげに鳴り響く。

狙った獲物は決して逃がさぬひとりのジャーナリストが死んだ。「あの世」への航海の途中で、彼は同乗者の口から特ダネ(この映画の原題は“SCOOP”)を耳にする。どうやら現在ロンドンを騒がしているタロットカード連続殺人事件の犯人は英国貴族の男らしいのだ。生前ならば必ずモノにしていたであろうこの特ダネ。これを抱えてみすみす死ねるか!彼の執念は次元を飛び越え、マジックショーのステージへ。そしてなんの因果か、彼の意思を受け継いでしまった手品師ウッディ&大学生スカーレット(・ヨハンソン)は、珍妙なコンビネーションで事件解決に乗り出すことになるのだが…。

先に僕はこの映画を苦しめ紛れに「探偵コメディ」と表現したが、もちろんその額面どおりに受け取ってしまっては違和感が生じかねない。つまり、上の説明を施した上でこの作風をもっと正確に表すならば、「ウェルメイドなスーパーナチュラル・ディテクティブ・コメディ」ということになるのだろう。

とにかく、葬式シーンから始まるといったある種の文学的な常套手段から始まって、幽霊は出るわ、死神はでるわ、手品師のウディ、なんだか抜けててかわいらしいスカーレット・ヨハンソン、どこから見ても完璧オトコマエなヒュー・ジャックマン、そして「殺人事件」なのにいちども登場しない殺人現場、そして死体、すべての旨味が絶妙にマッチング。これらの狭間をウディ特有のウィットと皮肉、そして自虐に満ちたジョークが飛び交う。そのあらゆる瞬間に笑いが介在する。とくに印象的なのは手品中のウディが放つ次の口上だった。

「ユーモアは大切ですよ。ユーモアさえあれば、世界はこんなにまで悲惨にはならなかった」

なかなか意味深い一言。ウディ・アレンの映画はあまり世相などとは関わりを持たない作風が多いのだが、このどうしようもなく時代を反映した台詞になかなかどうしてはっとさせられる。もちろん、はっと心奪われた次の瞬間には、もう次の台詞が上から覆いかぶさり、僕らはまた違う爆笑に包まれているわけなのだが。

『タロットカード殺人事件』はその邦題に「?」と首をかしげる以外ならば、かくも素敵な作品である。『マッチポイント』の予想不能の展開にも驚愕したが、オーソドックスな手法の中に遊び心とハプニングを散りばめた本作は、心身ともに大満足な上に、またしてもウディの手のひらで踊らされてしまったかのような、その物語の支配力にもはや神の領域さえも感じさせる。いくら70歳越えのご老体とはいえ、僕らは“小さな巨人”ウディ・アレンの創造力に追いつくことなど、生涯に渡ってできやしないのである。

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タロットカード殺人事件』は、10月27日より日比谷シャンテシネ、Bunkamuraル・シネマほかにて全国順次公開。

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『ヘアスプレー』

 冒頭、ボルチモアの町並み紹介と共に、主役のおデブちゃんが歌い踊る。その傍らでなんとあのジョン・ウォーターズが一瞬だけカメオ出演していて小ビックリ(しかも“露出狂”役!)。実はこの作品、オリジナルはブロードウェイ・ミュージカルだと思われがちだが、そもそもの起源はジョン・ウオーターズが87年に作ったコメディにあるのだ。自分の映画がまさか20年後にこんな形で帰ってくるなんて、いくら変人ウォーターズといえども予想すらしなかったことだろう。

 いやあ、それにしても踊る、踊る、踊る。時代背景の60年代といえば公民権運動が拡大してきたご時世で、ここでは底抜けに明るくハッピーな雰囲気の中に差別意識への爽やかなアンチテーゼが注ぎ込まれている。そして時代に立ち向かおうとする当時の熱気を可愛らしく体現するのが、主役となるおデブちゃん、トレーシー(ニッキー・ブロンスキー)だ。その体型のコンプレックスをものともせず、「TV番組に出演して、スターになりたい!」という自分の夢を追い続ける。彼女の大らかさがとびきり気持ちよく、彼女が何度も興奮して語る「世の中これからどんどん変わっていくんだから!」というセリフには今の時代からみても胸が熱くなるようなパワーに満ちている。現にこの後、アメリカは轟音を立てながら変わっていく。黒人と白人との距離は近まり、それによって文化の混合が増大し、60年代前後ではその差異が歴然たるものとなった。観客にはそのことがようく分かっているものだから、何があっても笑顔を絶やさないトレーシーがいつしか変革のイコンのように見えてきてしまう。

 おっと忘れてはいけない、トレーシーのこれまたファットなママ役には、あのジョン・トラヴォルタがなんと女装で登場。『サタデーナイト・フィーバー』とはまた別風味のダンス&歌で魅了してくれる。それから怪しい大人のおもちゃ屋さんを経営する優しいパパ役にはクリストファー・ウォーケン。もともとそのキャリアをダンサーとしてスタートさせた彼らしい軽やかなステップを披露してくれる(ただしファンとしてはスパイク・ジョーンズがPVを手がけたファットボーイスリムの“Weapon of Choice”のように彼のダンスをとことん堪能してみたかったが)。

 とにかくこの映画はミュージカル版の旨みをそのままに、すべての差別(身近なものから大きなものまで)に対し「NO!」を突きつけ、でもぜんぜん説教臭いわけでもなく、すべてのメッセージを歌とダンスに昇華させながら、117分、あっという間のパフォーマンスで盛り上げてくれる。

 また、今のアメリカ、そして世界にとって、60年代にも増してこういった融和が必要とされていることはいうまでもなく、そのマジックを巻き起こすのはいつの時代でも政治や経済などではなく紛れもないアート&カルチャーなのだと、この映画の作り手たちが渾身の力を込めてリスペクトをささげている気持ちが充分伝わってくる。冒頭のジョン・ウォーターズも、きっとその意味でのカメオ出演なのだ。彼をよりにもよって“露出狂”として起用するなんて、作り手としてまさに最上級のもてなし方と受け取って間違いあるまい。

 ちなみに、この映画のアダム・シャンクマン監督にインタビューする機会に恵まれました。当然のごとくジョン・ウォーターズがらみの質問をぶつけてみたところ、「ガッデム!なんでまたこの国の人たちは彼のことをそんなに知ってるんだ!?」と驚きと戸惑いの表情を浮かべ、「あなたが表現者としてウォーターズ精神に学んだことは?」との質問には「映画を撮る上では、お金や、キャスト、スタッフとの兼ね合いやらいろいろなしがらみが持ち上がるけれど、最終的に自分のやりたいことを貫けるかどうか、その重要性を彼は教えてくれた」と答えてくれました。

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ヘアスプレー』は、10月20日より丸の内プラゼールほか全国松竹・東急系にて公開。

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『アフター・ウェディング』

冒頭、インドの孤児院にて人道支援に携わる男の姿が映し出される。子供たちに愛情を注ぐ彼の表情は確固たる信念に貫かれ、その精神性を祝福するかのようにシガーロスの楽曲がこの物語の始まりを静かに告げる。

あるいは本作は、歌詞の意味もわからぬこの曲の美しさ、すべての生きとし生けるものへの賛美、尊厳がそのまま映画へと昇華されているようでもあり、つまりこの映画は、冒頭とラストで一度ずつ流れるこの曲の精神性を追体験する巨大な装置のようにも思えてくる。

やがて男は母国デンマークを訪れ、ひとりの経営者と対峙を余儀なくされる。片や慈善活動がすべての男。片や資本主義を追求する地位の男。彼等に共通項が少ないことは誰の目にも明らかだ。しかしまったく別次元に住む彼等には、それぞれに守るべきものが確かに存在する。

タイトルが示す「婚礼のあと」に打ち明けられるひとつの秘密。

絡み合ういくつもの視線。

デンマークを代表する女性監督スサンネ・ビアは、慈善活動家と経営者とを同じ「箱庭」に同居させる。このシチュエーションだけで、その後に巻き起こる衝突は火を見るより明らかだ。いや、そもそも両者を同じ目線で比較するなどできるだろうか。互いに高い理念を掲げる人間をいたずらに配置するなど、これはある意味、作家のエゴとも受け取られかねない所業のようにも感じられる。

もちろん作り手によってはこれを目も背けたくなるような悲劇と成すことだっていくらでも可能だったろう(おなじデンマークのラース・フォン・トリアーだったら人間性の膿を出し切るような作品になったはずだ)。

しかしスサンネ・ビアの作品において、そのような懸念は必要なかったのだと気づかされる。彼女はきっと、人間の持つ力をとてつもなく信じているのだろう。その証しとして、冒頭のシガーロスのイメージは最後まで決して損なわれることはなく、いたずらに人間の悪意を掻き立てて観客のイライラを募らせることもない。この作品は、途方に暮れるほど隔たりあったふたりが、いつしかその人間性を深く掘り起こしていく中で、奇妙な因縁で結ばれていく物語なのだ。

そこに何か偶発的な事件が起こるというわけではない。そこで顔を合わせる人間たちが、交互に影響を与え合いながら自分達の物語を力強く展開させていくだけだ。我々はスクリーンごしに登場人物というよりも“人間そのもの”を見つめているのかもしれない。そこであたかも神が“性善説”を実証すべく課した試練に対し、人間が粛々と答えを提示し続けているかのような聖域を目の当たりにするのである。

そして、これら運命を前にした人間のあまりの小ささ、対立を乗り越えて高みに達したときの偉大さを僕らが素直に受け止めたとき、この映画はふたたびシガーロスの楽曲とともに静かに幕を下ろす。こんなに小さくとも、世界をぐるりと内包するかのような深く、力強い愛情を感じさせるこの物語。こんなにも心揺さぶられたのは久しぶりかもしれない。

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アフター・ウェディング』は、10月下旬よりシネカノン有楽町一丁目にて公開。

劇中で効果的に使われているシガーロスの楽曲は「(  )」というアルバムの1曲目に収録されています。(リンク先で試聴もできます)。また11月7日には「HVARF HEIM」をリリース。セルフリメイク&未発表曲を交えコンセプト別に2枚組となって発表される本作は、myspaceで試聴できます。この新譜にも『アフター・ウェディング』の使用曲が収録。

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『グッド・シェパード』

「300文字レビュー」とは、映画への想いをたった300文字に凝縮させる、とてもお手軽な文系スポーツ。というわけで、今回のお題は『グッド・シェパード』です。

ほんとうのスパイは、こんなことになっている

『ブロンクス物語』以来13年ぶりとなるデ・ニーロの監督作は、CIA創設期にまつわる光と影の物語。ひとりの優秀な若者が秘密組織スカル&ボーンへの入会を皮切りに、諜報員として現代史の裏側に足を踏み入れていく・・・と書けば聞こえはいいが、時代はやがてキューバ危機から冷戦へともつれ込み、出口の見えない極度の焦燥感が彼の手から次々と大切なものを奪い去っていく。精悍さを封じたマット・デイモンは、憑かれたような没入ぶりで『リプリー』級の怪演を披露。間違っても007みたいな見せ場はないが、いつものデ・ニーロ流のこだわりは細部にまで注ぎ込まれ、史実に沿ったリアルな諜報戦が、2時間47分、とにかく執念深く魅せる。

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■ロバート・デ・ニーロの来日会見の模様はこちら

グッド・シェパード
監督:ロバート・デ・ニーロ
出演:マット・デイモン、アンジェリーナ・ジョリー、アレック・ボールドウィン、ウィリアム・ハート
(2006年/アメリカ)東宝東和
10月全国ロードショー

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