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2008/01/22

『ラスト、コーション』

 アン・リー監督がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した『ラスト、コーション』。

 “Lust”は「欲情」を、“Caution”は「戒め」をあらわし、それを「、」でつなげたこのタイトル(原題では『色|戒』、英題では『LUST,CAUTION』)には、主人公の身に起こった「“欲情”と“戒め”のせめぎあい」を表現する意味合いがあるのだとか。だとすると、真ん中にある「、」は、まるで理性の防波堤のような、重要な意味を秘めたものだということがわかる。

 そうやってタイトルからして一筋縄ではいかない本作。ヴェネツィア以来、「問題作!」とばかり騒がれてきたが、過激な暴力&性描写とは裏腹に、その芯にはとてつもなく深い創作意欲が根を張り巡らしていることに驚かされる。これまで『グリーン・デスティニー』『ハルク』『ブロークバック・マウンテン』(これを書いた翌朝にヒース・レジャーの訃報が飛び込んできた。唐突ではあるが、彼の冥福を心より祈りたい。野性味あふれる外見ながら、その内面には千切れそうなほどの繊細さを抱えた、俳優として稀有な存在だった)と作品を重ねてきたアン・リー。かつてハリウッドで最も有名な日系人俳優といわれた故マコ・イワマツ氏が「いつか人種というフィルターを超えて、僕がカウボーイを演じれる日がくれば嬉しい」と語っていた。アン・リーはその言葉どおり、台湾人としてカウボーイ映画を2作も作り出し、文字通り映画作家としての人種や国境を超えた存在となった。

 かと思ったら、ここにきてまさかの原点回帰。
 今回の舞台は1942年、日本占領下の上海だ。

 主人公は“清純”という言葉がよく似合う若い女性、ワン(タン・ウェイ)。

 まだ少女のようなあどけなさを残す彼女は、傀儡政権下で暴力行為の多発する上海を離れ、英国領香港で大学生活を送ることになる。そこで友達との付き合いで演劇部の門を叩くワン。儚げで、時に燐とした横顔をも覗かせる彼女は、定期公演の舞台で主演に抜擢される。それは中国独立をテーマに掲げた物語。案の定、彼女が舞台に現れ、ひとこと台詞を発した瞬間に会場の空気が変わる。観客たちは一様に祖国を想い、感涙と高揚とに包まれた。拍手喝采。舞台公演は成功裏に幕を閉じる。

 この日、誰よりも歓喜に包まれたのは演劇部員たちだった。自信と興奮を身にまとった彼らは、自らが演じた舞台に取り込まれるように、ここ香港を拠点として抗日運動へ身を投じていく。

 ターゲットとなったのは特務機関の長官イー(トニー・レオン)。

 傀儡政権の手先として多くの抗日運動家を闇に葬ってきた彼に近づき、暗殺の機会を探るのが彼らの使命だ。そのミッションにあたって、またもや抜擢されたのがワンだった。それは、イーの身辺に近づき彼と禁断の愛を交わすという、まさに命がけの任務。なかなか隙を見せないイーだったが、ワンは持ち前の演技力でイーの心を引き寄せていき、ふたりはついに野獣のごとく求め合うようになる。暴力的なまでに身体を重ねながら、上部組織の暗殺命令を待ち続けるワン。いつしか彼女の感情は演技や任務の領域をはるかに超える。そしてある日、ようやく運命の瞬間が訪れる…。

 とにかく2時間40分にも及ぶ男女の駆け引きとその顛末が、見事なまでに丹念でサスペンスフルな演出術で調理されている。彼らの激しくも儚い運命にあれよあれよと翻弄され、気がつくといつの間にか時間が流れてしまったという印象だ。

 そして、まずもって目に飛び込んでくるのが映像化された上海の「租界」。今となっては写真などでしかうかがい知れないこの街の風景をスクリーンで体感できるのは実に刺激的な体験だ。

 中国が外国の食い物にされていた時代、上海は外国人がパスポートなしで自由に出入りできるボーダーレスな国際都市だったという。その分、飛び交う銃弾の量も当時のシカゴを上回る勢いだったとなにかの雑誌で読んだことがある。

 オープンセットにCGを合成し、まるで『ALWAYS 三丁目の夕日』の上海版とも見紛うほどの装飾スケールでその街並みを現出させ、異国情緒のごった煮感をリアルに再現している点には圧倒される。と同時に、この後の中国が歩むことになる歴史がどうしても頭をもたげる。戦後、文革の荒波の中でこういった西洋文化はとことん排除されていっただろうし、また現代においては再び、かつての勢いを取り戻すかのように世界中のあらゆる最先端の技術を取り込んで革新的な進化を遂げる上海の姿がある。西洋風の建物、飛び交う英語、おびただしい通行人、そして異国人。この映画で「これが当時の上海です」と切り取られてみても、まるで了解を得ない異国の地に放り出されたかのように、途方に暮れる自分がいる。

 女スパイとなったワンが、イーを追って乗り込んでいく上海には、雑踏のそこかしこに撃たれて絶命した死体が横たわっている。それは明日の自分の姿かもしれない。いまこの時にも自分の正体がばれ、イーの手で処刑されないとも限らないのだから。自分の命は自分が握っている。そんな混沌とした状況の中で、かつて舞台上で演劇部の看板女優として無邪気な輝きを放っていたワンの“演技”が、徐々に取り返しのつかない“リアル”へと移行していく過程がとにかく艶かしく魅せる。タン・ウェイが全身全霊を込めて表現するワンの人生は、生まれながらにして“フェイク”としての宿命を持つ映画という表現手段が、その内部に何らかの“リアル”を生じさせていく過程とシンクロするものがある。

 イーは反乱分子を厳しく尋問し、その手でおびただしい血を流しながら、その日常に疲れ、もはや生きるための出口として狂ったようにワンの身体を求め続ける。ワンもまた、自分に与えられた任務を頭で理解しながらも、次第に身体が理性を侵食し、あれほど堅固だった抗日の決意が崩壊寸前にまで追いやられていく。いつしかその境界線は、「ラスト」と「コーション」の狭間の「、」のごとく、綱渡りのように危なげな区切りでしかなくなっていく。

 性交や殺人を痛みが伝わってくるほど強烈な手法で描きながら、そこに常にハッと目を奪われるような美的イメージをも兼ね備えた“アン・リー”マジック。緩急はいつどちらへ裏返るか分からない。これが快感なのか、痛みなのかすら分からず、感覚はクライマックスに向けて麻痺し続ける。

 アン・リーが志向したこの壮絶な境地にたどり着くには、スタッフはもちろん、キャスト、とりわけタン・ウェイ&トニー・レオンに圧し掛かった肉体的・精神的な重圧たるや相当なものだったろう。もしかするとこの作品に身を投じることこそ、まさにタイトルの示す「ラスト、コーション」を地でいく所業だったのではないか。トニー・レオンの陰部にかかったのっぴきならない画像修正を目にしながら、文字通り全てをさらけ出して本作に挑んだふたりの役者魂に圧倒されずにはいられない。

 そして何より、ここまで役者を追い詰めるアン・リー、あんなにニコニコと紳士的な人なのに、心の中では何を考えているのか分かりやしない。恐るべし。

 ラスト、コーション』は2月2日よりシャンテシネ、Bunkamuraル・シネマほか全国一斉公開

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