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2008/02/03

『4ヶ月、3週と2日』

 1987年のルーマニアで、違法堕胎に踏み切る女性と彼女を助けるルームメイトの物語…などとストーリーを俯瞰してみたところで、この映画の面白さは1パーセントだって伝わらない。

 僕ら現代人は、人として生きていく上での想像力が乏しくなったと言われて久しいが、2007年のカンヌでパルムドール(最高賞)を受賞した『4ヶ月、3週と2日』は、まさにその、観客の“想像力”を試すための作品と言い得るのではないだろうか。

 余計なナレーションなど存在するはずもない。映画が始まると同時に、僕らは圧倒的な状況描写へと押し込まれる。とある寮の一室。ふたりの女性が慌しく朝の準備に追われている。「いいわね?」「うん、わかった」とやり取りが交わされるが、観客には何のことだかさっぱり分からない。中にはこの時点で取り残されて途方に暮れる人だっているかもしれない。でも大丈夫。これはルーマニアが生んだ新鋭、クリス・ムンジウ監督の仕掛けた通過儀礼のようなものだ。僕らはこの圧倒的な朝の海に投げ出されることによって、我を忘れて必死に映画の流れにしがみつこうとする。彼女たちの会話、細かな動き、用意している道具にグッと神経を集中させ、いま何が起こっているかを状況把握しようとするのだ。

 そうしてハッと気がつくと、僕らの意識はいつの間にか、80年代のチャウシェスク政権下ルーマニアに入り込んでいる。

 この時代、ルーマニアでは労働力確保のために出産が奨励され、逆に避妊は禁じられていた。そして妊娠中絶なんてもってのほか。見つかると厳しく罰せられたという。彼女たちは今日、どうやらその法を犯そうとしているらしいのだが、映画の中ではそんな具体的な説明などまったくない。主演女優が親友のため、何かに怯えながら粛々と手はずを整えていく姿を見て、僕らは必死に想像力を働かせるだけだ。いったい彼女の身に何が起こっているのか。この計画が失敗すると彼女たちはどうなってしまうのか。カメラはダルテンヌ兄弟の映画のように、ただ淡々と、彼女たちの行動を追い続ける。たどり着いたホテルの一室。大きな鞄を抱えた謎の男。そして「約束が違う!」と怒り出す男。法の外に足を踏み出した彼女たちに、もはや選択の余地など存在しない。そして主人公は親友のために、あるひとつの決断を下す…。

 カンヌ授賞式の生中継を見ていて、クリスティアン・ムンジウ監督の若さに驚いた。彼はいま39才。それに対して、この映画のメイン女優ふたりはまだ20代の現代っ子。彼女たちは監督に「主人公の下す決断が信じられない」と相談したそうだ。「なぜ主人公は、たかがルームメイトのためにあそこまで身を捧げられるたのか…?」と。監督はこう答えたそうだ。

 「あの頃は、そういう時代だったんだ」

 もう一度言っておく。これは隠居したお爺さんの回顧録ではない。時代は1987年、ムンジウ監督が20歳前後の頃が舞台なのだ。たかだか10年くらいの歳の違いで、これほどまでにギャップが生まれてしまうこの国の状況に言葉を失ってしまうと同時に、ムンジウ監督が放った言葉の重みに改めて圧倒される。僕らが同じ言葉を口にするなら、せいぜいバブル期のフィーバーぶりくらいが精一杯に違いない。

 そしてこの映画は妊娠中絶に関して何かのメッセージを伝えようという類の作品では毛頭ない。子宮に宿った小さな命が原因で激しく苦悩する主人公たちをフィルムに刻みながらも、「4ヶ月、3週と2日」を生き抜いた果てにまるで物のように取り出されて床に転がった小さな亡骸からも決して目をそらすことはない。やはりすべては“状況”なのであり、そこから何を感じるか、その一切はすべて観客に託されているのだ。

 その意味でも、本作の最後の一瞬から目をそらさないでほしい。いよいよエンドクレジットへ暗転しようという直前、主人公が観客に向けてふいに視線を投げかけるのだ。本当にさりげなく、チラッと。

 来日したムンジウ監督によると、これは「あなたはどう思う?」という観客への問いかけなのだそうだ。僕はこの視線にもうひとつの役割を見出したい。それは、僕らが113分、ずっとかけられっぱなしだった映画の魔法から覚醒するための、いわば“目覚めの呪文”なのだと。彼女がこちらを振り向いた瞬間、観客の“主観”は再び“客観”へと引き戻される。その一瞬のささやかな仕草によって、僕らは無事に2008年の日本へと帰還を遂げるというわけだ。

 “歴史”は上書きされるたびに過去となるが、生々しい“状況”を封じ込めたこの映画に過去なるものは存在しない。『4ヶ月、3週と2日』に与えられた宿命とは、これから10年後も20年後もフィルムが回転するたびに「進行形の物語」として観客の想像力を起動させ、そして変わらず「あなたはどう思う?」と問い続けることである。

4ヶ月、3週と2日』は、3月1日より東京・銀座テアトルシネマ他、全国順次ロードショー

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