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2008/03/08

『地上5センチの恋心』

 「小説」というメディアを題材にしたとき、そもそもメディアとは作家と読者との仲介役だから“媒介(メディア)”なのであって、両者がその媒介をすっとばして直接的に遭遇するということは、ちょっとした異常事態だ。もしかすると『主人公は僕だった』で作者と主人公とが遭遇してしまうくらいに異常な事態なのかもしれない。

 片や、夫と死別して絶望したとき、その小説が命を救ってくれたのだとうっとりしながら語る中年女性。

 片や、彼女たち女性層の厚い支持を受けながらも、妻の浮気、新作の酷評によって精神的にズタボロになってしまう小説家。

 ある日、かの愛読者が小説家に向けて一通のファンレターを書き送ったことから、事態は思わぬ方向へと進みはじめる。そのファンレターは、かつて小説が彼女の人生を救ってくれたのと同様に、絶望のあまり自殺さえ試みた小説家の人生を軽やかに救ってくれるのだ。

 傍から何気なく見ているとこれは単なるラブコメディに過ぎないが、さすが哲学科出身で小説家でもあるエリック=エマニュエル・シュミットの紡ぎ出す構成は、メロドラマの形態を模しつつも、巧みにメディアの構造を逆転させてみせる。つまり普段は「小説家→読み手」といった流れで送信される言葉の波が、本作ではいたずらに「小説家←読み手」といった具合で機能するのだ。

 そこにシュミットの独自のこだわりか、1930年代フランスの国民的歌手ジョセフィン・ベイカーの心浮き立つような名曲が散りばめられ、主演のカトリーヌ・フロがそれに乗せて「メリー・ポピンズ」のように優雅なダンスを披露する。このシークエンスに僕はツァイ・ミンリャンの『HOLE』という作品を思い出した。

 『HOLE』では50年代香港の歌姫グレース・チャンの楽曲が脈絡もなく画面に忍び込み、静寂の中で突如ミュージカル&ダンスシーンが始まる。そしてラストに現れるのは監督によるグレース・チャンへの感謝の言葉。たしか「あなたの音楽は私に大切なものを与えてくれた」というような文言だったと記憶している。

 音楽や小説に救われた人は世の中に星の数ほど存在する。『地上5センチの恋心』はそうやって何かが自分の人生を変える魔法のような瞬間がユーモラスに刻印されている。そして「小説家→読者」の構造を逆転させることによって、その感動の重みをより巧妙に表現してもいる。小説家だって、たった一通のファンレターに心を救われることもある…この世の中は、実のところそういう心動かされる瞬間でいっぱいで、そう悪くはないものなのだ。

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