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2008/03/31

『スパイダーウィックの謎』

 すべてのファンタジーが『ロード・オブ・ザ・リング』や『ハリー・ポッター』のように超大作である必要性はない。むしろファンタジーとは人間の日常に隣接したものであり、その意味でもたった96分という上映時間ながらその箱庭的な世界観を器用に確立させた『スパイダーウィックの謎』はなかなか侮れない作品である。子供向け番組を多数制作するニコロデオンの提供ではるが、子供の付き添いで劇場を訪れたお父さんも、おお、意外と楽しめるじゃん、と子供以上に没入してしまうことも少なくないだろう。

 舞台となるのはオバケでも出てきそうな古びた屋敷。

 むかし大叔父さんが住んでいた不気味な屋敷に4人の家族が越してくる。そこに父親の姿はない。母親と、姉のマロリーと、双子の男の子ジャレッド&サイモンだけ。どうやら両親の関係がうまくいっていないことは子供たちもなんとなく気づいているようだが、ジャレッドだけはまだその事実を受け入れられずにいる。

 しかし少年期の悩みとファンタジーほど相性の良いものはない。新生活に踏み切れず、ふて腐れる彼の前にさっそく冒険の扉が開かれる。足を踏み入れた屋根裏部屋で不思議な書物を発見したのだ。表紙には「決して読んではいけない」との文字。ロウでしっかりと封印されている。でも少年の好奇心は止められない。勢いに任せて封印を解くジャレッド。その瞬間、あたりにブワッと強い風が吹き荒れた。屋敷の周りで何かが変わり始めていく。

 書物の中身は屋敷の主アーサー・スパイダーウィック氏が著した“妖精の研究”だった。幾種類にも及ぶ妖精たちの弱点をも網羅した研究書は多くの妖精たちにとって脅威以外の何物でもない。案の定、妖精界の支配をもくろむ獰猛な種族がさっそく書物の強奪に乗り出してくる。と同時に、屋敷では長年スパイダーウィック氏に仕えてきた年寄り妖精が登場。彼の魔法にかかるとジャレッドにも妖精の姿が見えるようになる。そしてふと窓の外を見やると、そこには獰猛な妖精たちが群れを成して攻め込んでくる姿が。いまこの不思議な書物をめぐって、スパイダーウィック家と獰猛な妖精たちの戦いが幕を開けるのだった…。

 主演は『ネバーランド』でおなじみ、フレディ・ハイモア君。早いものでもう16歳。けれど、開始早々おかしなことが発生した。双子の兄弟のどちらがハイモア君なのかわからないのだ。髪型も性格も対照的なこのふたり。どうせ双子の内で登場回数の多い方が彼なのだろうと決め込んでいたら、あとで資料を読んでビックリ。なんてこった、ハイモア君は一人で二役を演じていたのだ。双子が同時に出演するシーンも数多い。現代の技術をもってすればごく簡単なことなのかもしれないが、僕みたいに気が付かなければそのままスルーしてしまうほど、とてつもなくナチュラルな映像処理が施されている。

 そして本作の脚本にあの名匠ジョン・セイルズの名を見かけてこれまた驚いた。テレビ、映画を問わず、大人向けの重厚な作品を手がけてきた彼の功績なのか、本作はファンタジーの積み上げ方にいっさい破綻がない。そして少年が「父親の不在」を乗り越える成長物語と、自ら書物の謎を解き明かしていく冒険物語とを見事にシンクロさせるという、およそファンタジーの常套手段と言われる部分を丁寧にきっちり描ききる。こういう細かな分野での得点率の高さが、トータル的にも手ごたえ十分のクオリティへと導いているのだろう。

 徐々に結束していく家族、ニック・ノルティが声をあてた無駄にデカイ妖精(怪物?)、フィル・ティペット率いるティペット工房&ILMが生命を吹き込んだアナログ感たっぷりの妖精たち。そして最大の謎…個性あふれるアーサー・スパイダーウィック大叔父さんにも注目したい。

 彼を演じているのは『グッドナイト&グッドラック』でアカデミー賞に輝いた名優デヴィッド・<良い声>・ストラザーン。あの低音で深みのある声を聞いただけで作品の格調がひときわ深まりを見せるのは間違いない。しかも今回のストラザーンときたら、妖精博士としてかなり飄々とした天然キャラを披露する。ついこの前、筋金入りの冷徹さで『ボーン・アルティメイタム』のジェイソン・ボーンを追跡していたなんて想像もつかない相貌だ。かくも本作は大人好みのいぶし銀の職人たちのチカラで彩られている。

 前々から「期待作!」との呼び声が高かった作品というわけではないし、それほど派手目な作品というわけでもない。でもだからといってスルーしてしまうのはあまりに勿体ない。『スパイダーウィックの謎』は小品ながら子供向けにしては見事なまとまりを見せた、“職人的ファンタジー映画”といっても過言ではない。

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スパイダーウィックの謎
監督:マーク・ウォーターズ
出演:フレディ・ハイモア、サラ・ボルジャー、メアリー・ルイーズ・パーカー、
ジョーン・プロウライト、デヴィッド・ストラザーン、ニック・ノルティ
(2007年/アメリカ)パラマウントピクチャーズジャパン
4月26日(土)日比谷スカラ座ほか全国ロードショー

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2008/03/29

『恋の罠』

 日本では韓流ブームも過ぎ去り、『シュリ』のハン・ソッキュも今や一昔前の映画スターのように思えてきた。そんな彼が装いも新たに珍妙な役どころを情熱的に演じきる歴史喜劇、それが『恋の罠』だ。韓国では公開15日間で250万人が観たという、大ヒットを記録している。

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2008/03/28

『パラノイドパーク』

 スクリーンに大写しになる少年の表情、突如鳴り響くディズニーにも似たおもちゃ箱的な音楽、滑走するスケートボード、表紙に“パラノイド・パーク”と記された一冊のノート。

 ガス・ヴァン・サントという名を耳にして『グッドウィル・ハンティング』や『ドラッグストア・カウボーイ』のような作品を思い出すことは少なくなってきた。代わりに僕らの記憶によみがえるのは『ジェリー』『エレファント』『ラストデイズ』といった、およそエンターテンメントの主流からは一線を画した、でもだからこそ一部のファンから熱狂的な支持を集めるアーティスティックな作品群ということになるだろう。

 そこにはストーリーラインを背景へと押しやり、登場人物の歩んでいく先行きの知れない道程を淡々と見つめ続けねばならない、観客にとってはまるで修行のような時間が刻まれている。被写体となった若者たちが次にどんな行動をとるかなんて露ほども分からない。彼らと僕ら(観客)の間に共感など起こり得ないと断言できるほど、カメラと被写体との間には同調することを許さない隔たりがあるように思う。そしてその距離感こそが、独特の透明感となって眩いばかりの無機質な空間を作りあげていたのではないか。

 しかしカンヌ映画祭で60周年記念特別賞を受賞した『パラノイド・パーク』ではその関係性が大きく変わった。オープニングでポートランドにかかる橋の一日がクイックモーションで映し出された直後、本作は16歳の主人公アレックスの手に委ねられることになる。彼がノートの表紙に記した“パラノイドパーク”の文字。どうやらこれから始まる本作は、このノートを映像化したもの、ということらしい。つまりアレックスの独白録というわけか。

 ボイスオーバーでアレックスの胸のうち(ノートに記された言葉)が聞こえてくる。数日前の自分の姿をおぼろげに述懐していく少年。そこに映像がかぶさっていく。ハンディカムが彼の姿を追い、そして揺らぐ。カメラの流れ、動き、揺らぎ、そのすべてがアレックスの心理とシンクロしているような奇妙な映像体験が去来する。つまり、いま目の前でうごめくアレックスを、ほかでもないアレックス自身がじっと見つめ続けているような、一言でいうならば“幽体離脱的な”映像が結実しているのである。

 映画に対して“めくるめくストーリー”を求める人にとって、この映像表現は「どーでもいい」と映るものかもしれない。でも一方「カメラが映し出すもの」について常に真摯な熟考を重ねている人にとってはヴァン・サントの試みがとても野心的なものとして輝いて見えるだろう。またそこには『サイコ』以来のコラボレーションとなる撮影監督クリストファー・ドイルの功績を認めざるをえない。

 “パラノイドパーク”は単なるノートのタイトルというわけではない。アレックスが仲間とともに訪れるとある場所の名前でもある。そこは地元に住む大勢のスケーターたちが集まる聖地のような練習場だ。アレックスは鍋型リンクの淵からボーダーたちの様子を眺めやる。滑走するスケートボード。後ろからカメラがそれについて追いかけていく。スローモーションで滑走してはジャンプするボーダーたち。その振り子運動のような動きにカメラはユラユラと食らいついていく。しかしスケートボードの動きは速い。やがてカメラは息切れし、立ち止まり、途方に暮れたように四方に視線を投げかける(これは淵で眺めるアレックスの視線とも取れるし、あるいは実際に滑走したアレックスが途中で転倒し初心者ぶりを露にした姿とも想像することができる)。

 問題はこの後だった。ひとりきりで訪れたパラノイドパークで、彼はひとつの凄惨なアクシデントに見舞われる。年上のグループと一緒に戯れるさなか、思いがけなくも人がひとり死んだのだ。アレックスは必死で逃げる。翌朝の新聞には事件の詳細が記されている。これは夢か幻か。現実を受け入れられないアレックス。だが、彼は翌日も何気ない素振りで登校し、刑事の事情聴取にも平気な顔で嘘のアリバイを口にする…。

 この映画はべつに少年犯罪を糾弾しようというものではない。むしろ不測のアクシデントに見舞われたアレックスがどのような衝撃でもってそれを受け止め、どのようなカタチで世界と折り合いをつけようとするのか、その“心の動線”を映像詩として紡いでいくことに主眼が置かれている。少年の心の波形に生じた大きな動揺をカメラが繊細に掬い取っていくのである。

 アレックスには他にも小さな動揺をたくさん抱えている。父母は離婚調停中。もうすぐ訪れる家庭崩壊を前に、彼は平気を装うが、小さな胸を痛める弟は毎食時ごとに嘔吐を繰り返す。ガールフレンドの問題も浮上する。性に対して積極的な彼女は、はやく初体験を済ませてしまいたいと機会をうかがっている。友人たちとスケートボードで遊びまわりたい彼にとってはその束縛がうっとおしくてしょうがない。

 それら“小さな動揺”と“大きな動揺”の融合がアレックスの心に重く圧し掛かる。学校の場面では奇妙なタイミングでディズニー調のズンチャカした音楽が鳴り響き、少年の心に何やらアンビバレントな何かが巻き起こっていることを予兆させる。大人の目線で考えれば、彼は目の前の現実から逃げ切れるわけがない。

 彼はいま、自分の現状を充分に把握できずにいる。いまこの瞬間をやり過ごせば、夢見る明日がきっとやってくると信じているかのようだ。しかし時間の経過とともに彼は何かに気がつき始める。凄惨な事件のイメージが頭に去来する。そしてひとりの少女と出会うことによって、彼の目にはたどり着くべき出口がおぼろげながら見え始める。そうやっていま、こうしてノートに告白をつづりはじめる彼の姿がある。自分の体験を文字にすることで世界と客観的に折り合う術を必死に探ろうとするのである。

 結局、彼がどうなったかという結末はこの映画でいっさい描かれない。それは観客に委ねられていると言ってもいいし、そもそもストーリー的な結末など、ヴァン・サントにとって興味のないものであると言ってもよいだろう。

 ただ、『パラノイドパーク』が僕をあまりに驚かせたのは、先ほどまで毎食時ごとに嘔吐していた幼い弟が、いまあどけない笑顔を見せながら、映画のワンシーンについてアレックスにとうとうと語って聞かせる場面だった。このシーンを取り巻く空気のなんと柔和なことか。それに耳を貸すアレックスの表情もどことなく優しい感じがする。そして何より、ここで語られる映画というのが、あの“Napoleon Dynamite”なのだ。弟が語るのは、主人公ナポレオン・ダイナマイトの祖母がボーイフレンドと砂漠へ出かけ、そこでバイクを転倒させて骨折するというシーン。この映画をご存知の方なら、老婆の身体が砂漠に投げ出されバイクだけが空しくジャンプを決める滑稽な描写がまるでパラノイドパークのスケートボードの滑走とシンクロして見えてくることだろう。これに連なる、アレックスが少女の自転車の後ろにつかまりながら疾走していく描写にも笑いが漏れるかもしれない。これもまた“NAPOLEON DYNAMITE"からの引用だからだ。

 映画が収束しようとしているさなかに唐突にもこのコメディ映画のエピソードを織り交ぜてみせる不思議。しかしここでは先のディズニー調の音楽のようなアンビバレントな奇抜さは微塵も感じない。少年の心が何か開かれた出口へと導かれているような気配が忍び込み、カメラに降り注ぐ光がとても眩く感じられる。彼を待ち受けているのは暗闇かもしれないのに、なんだろうこのすがすがしさは。

 結局彼はノートの表紙に“パラノイドパーク”とタイトルを記す。そこは彼を魅了したスケートボードの聖地の名であり、多くのボーダーがいくつもの動線を交錯させながら滑走する人間のジャングルであり、『ジェリー』でふたりの若者が放り出される砂漠(もしくは『NAPOLEON DYNAMITE』でおばあさんが転倒する砂漠)をも彷彿とさせ、あるいはアレックスが数日間にわたって放浪する“最後の少年の日”の象徴なのかもしれない。

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パラノイドパーク
監督:ガス・ヴァン・サント
出演:ゲイブ・ネヴァンス、テイラー・モンセン、ジェイク・ミラー
(2007年/アメリカ=フランス)
東京テアトル=ピックス
4月12日よりシネセゾン渋谷ほかにて全国順次公開

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2008/03/25

『MONGOL モンゴル』

300文字レビュー」とは、映画への想いをたった300文字に凝縮させる、とてもお手軽な文系スポーツ。というわけで、今回のお題は『MONGOL モンゴル』です。

言語を超えて“気迫”がぶつかり合う越境プロジェクト

浅野忠信がチンギス・ハンを演じ、アカデミー外国語映画賞の候補にもなった歴史大作。父の暗殺、仲間の裏切りによって過酷な幼少期を強いられた主人公がやがて愛妻を得て徐々に勢力を拡大していく壮年期までを、角川春樹製作の『蒼き狼』とほぼ同じストーリーで描く。驚かされるのはその芸術性だ。俳優、クリエイターともに各国の精鋭が集結しただけあり、激しい戦闘を内側から捉えたカメラワーク、刻々と表情を変える大自然のビジュアルは見ごたえ充分。しかも登場人物は目元が朝青龍っぽい人ばかりで驚かされる。歴史モノの常で“省略の強引さ”を感じる部分もあるが、エンディングに流れるホーミー・メタルのような怒涛の勢いは確実に伝わってくる。

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MONGOL モンゴル
監督:セルゲイ・ボドロフ
出演:浅野忠信、スン・ホンレイ、クーラン・チュラン
(2007年/ドイツ=ロシア=カザフスタン=モンゴル)
ティ・ジョイ=東映
4月5日より全国ロードショー

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2008/03/21

『マイ・ブルーベリー・ナイツ』

300文字レビュー」とは、映画への想いをたった300文字に凝縮させる、とてもお手軽な文系スポーツ。というわけで、今回のお題は『マイ・ブルーベリー・ナイツ』です。

ウォン・カーウァイがアメリカの大地で見つけたもの

アヴァンギャルドな作風で知られるカーウァイが、ちょっと照れ臭くなるほど甘~い映画をこしらえた。それは失恋から次の恋までの心の移動を“5603マイルの旅”として綴ったロードムービーだ。新たな挑戦は数多い。フランス&香港の合作ながら舞台はアメリカ。脚本はめずらしく前もって脱稿され、しかも英訳化。撮影はクリストファー・ドイルから一新し(*)、映像は揺れず、色も鮮明。いたるところに紫色のイメージが忍び込み、いつか主人公の帰るべき場所=ブルーベリー・パイを静かに照らし出す。そうそう、気になるノラ・ジョーンズは、日本人が字幕を通して鑑賞する分にはとてもナチュラル。もちろん他のキャストたちの巧みなリードがあってこそなのだけれど。(牛)

(*)今回の撮影監督は、デヴィッド・フィンチャー作品などで知られる国際派、ダリウス・コンジ。

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マイ・ブルーベリー・ナイツ
監督:ウォン・カーウァイ
出演:ノラ・ジョーンズ、ジュード・ロウ、デヴィッド・ストラザーン、
レイチェル・ワイズ、ナタリー・ポートマン
(2007年/フランス=香港)アスミック・エース
3月22日より日比谷スカラ座ほか東宝洋画系にて全国ロードショー

『マイ・ブルーベリー・ナイツ』DVDは9月12日に発売!

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2008/03/18

『1978年、冬。』

昨年の東京国際映画祭で審査員特別賞を受賞した、というより、僕の心を鷲づかみにしてしまった『思い出の西幹道(仮題)』という作品の劇場公開が正式に決定しました。満を持してつけられた邦題は、『1978年、冬。』。映画祭で映画をご覧になった方には瞬時にあの映像がフラッシュバックしてくるタイトルなのではないでしょうか。6月、渋谷ユーロスペース他にて全国順次公開です。

どうして僕がこの映画にノックアウトされてしまったのか・・・その詳細は映画祭の頃のブログ記事にてご紹介してあります。

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2008/03/16

「ロス:タイム:ライフ」第7節

ロス:タイム:ライフ 第7節 ~極道の妻編~

常盤貴子が着物姿で艶かしくたたずむ。思わず「テレ朝か!?」と見まごうほどの任侠っぷり。でも、画面の右上には「LIVE」の文字。掲げられる電光板。おぼろげに浮かび上がる審判団。そうか、試合(ロスタイム)はすでに始まっていたのだ。

そんな変化球で幕を開ける今回の「第7節」は、「ロス:タイム」原案者であり3月22日より公開される『Sweet Rain 死神の精度』でも監督を務める筧昌也が演出を担当。自らが生み出した世界観とはいえ、第3話~第6話までを彩ってきた多彩な俳優&演出陣のアプローチは少なからず彼の計算どおりにはなっていないはずで、その“嬉しい誤算”を踏まえての「任侠編」ということになる。

「死」までの直線距離は回想シーンで描かれる。対抗勢力に夫が拉致され、家紋を守る立場の“姐さん”がひとり奪還に向かう。着物ながらに全力疾走というシチュエーションの妙が冴える。そこに「姐さんを守るためなら命だって惜しくねえ」という鉄砲玉の若造が加わり、敵の本拠地へと乗り込んでいく…これは『死神の精度』のワンシーンではないか(気になる方はぜひ映画をご覧ください)!

ピッチからぎこちなく状況を伝えるレポーターが登場したり、審判のミスジャッジが発生したりで、ストーリーのみならずディテールさえも予断を許さない。そしてすったもんだで、結局ひとりで乗り込んでいく敵の中枢。制限時間に間に合わないと制止する審判団に「ここからはひとりで行く」と言い放ち、そして再びダッシュ。今回のドラマの見所はここにあったと思う。つまり、人間と「死」の契約とは任侠道に近い。前もって定められた執着地に舞い戻るという約束は、人が人ならば反故にだって出来たはずである。しかし彼女は「必ず戻る」と言つ。その気迫に審判団も首を縦に振らずにおれない。それは「極妻」で啖呵を切る岩下志麻にも増して難解な命のやりとりだったろう。

そして「極妻」&「形而上学」のミクスチャーを成し遂げた第7話は、彼女に思いがけない“赦し”の言葉を語らせて、水仙の花言葉のごとく、“気高く”幕を下ろすのである。

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2008/03/15

映画部#1

いよいよ『ノーカントリー』が公開ってことで、試写室でたまたま遭遇した「ひまわり親方」とともに夜な夜な「映画部」が開かれました。『ノーカントリー』を観て悶々とした気持ちが抜けきらないでいる皆様、ぜひ他愛のない井戸端会議を覗いてみてやってください。

映画部#1
「ノーカントリーに正解なんてない!」

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2008/03/12

『デッド・サイレンス』

300文字レビュー」とは、映画への想いをたった300文字に凝縮させる、とてもお手軽な文系スポーツ。本日の執筆者は「ひまわり親方」さん、お題は『デッド・サイレンス』です。

B級ロードまっしぐらすぎて、なんか捨てがたい!

ハロウィンの風物詩『SAW ソウ』シリーズの生みの親(監督&脚本コンビ)が、何を血迷ったのかB級オカルト・ホラーを作っちまったぜ。「いっこく堂」の腹話術を見てキミョーな気持ちに襲われたことある人ならこの空気にバッチリはまっちゃうかも。なにせ腹話術人形が人を殺す、ってトンデモ映画なんだ。って、チャッキーかよっ!そこに田舎町の血塗られた歴史とか強引に絡んできて、ムチャな主人公がその謎に向かってむやみにダイブ。その巻き添えで町民もどんどん舌を抜かれて(!)死んでいく。ルールなんて完全無視!なんなのこの救いのなさは!でもマーク・ウォルバーグの実兄がおかしな刑事役を演じていて、そこだけは笑いました。(ひ)

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デッド・サイレンス
監督:ジェームズ・ワン
脚本:リー・ワネル
出演:ライアン・クワンテン、アンバー・ヴァレッタ、ドニー・ウォルバーグ、ボブ・ガントン
(2007年/アメリカ)東宝東和
3月22日より有楽町スバル座ほか春休みロードショー

『デッド・サイレンス』DVDは7月9日発売。

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2008/03/11

『ジェリーフィッシュ』

300文字レビュー」とは、映画への想いをたった300文字に凝縮させる、とてもお手軽な文系スポーツ。というわけで、今回のお題は『ジェリーフィッシュ』です。

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2008/03/10

『タクシデルミア ある剥製師の遺言』

 これは芸術か、冒涜か。

Taxidermia_2 
ハンガリーからとてつもない変態映画が届いた。その名も『タクシデルミア ある剥製師の遺言』という作品。祖国の歴史に翻弄された親子3世代の壮大かつ壮絶なクロニクルである。

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『ダージリン急行』

300文字レビュー」とは、映画への想いをたった300文字に凝縮させる、とてもお手軽な文系スポーツ。たまには違う人の意見も聞きたいってことで、今回から友人の「ひまわり親方」さんが参戦してくれることになりました。その“張り手”のほどはいかに!?お題は『ダージリン急行』です。

マッチョな世界では生きにくい、このナイーブさ

体育会系のオイラにはこのナイーブさの美学が響いてこなかった。デザインとか細かいこだわりとか分かるけど、なんか人間がちっちゃい。もっとドカーン!と冒険できんかったのかな?それともオイラが鈍感すぎるのか…?列車の旅!しかもインド!という「関口知宏の中国鉄道大紀行」も真っ青なカルチャーショックに戸惑いつつ、最初はギクシャクしてた三人が少しずつ心を通い合わせていく流れに、ちょっとだけ心揺さぶられたり、やっぱ、どうでもよかったり。結局、好き嫌いなんだと思います、ウェス・アンダーソンって。いまのゴツゴツした世界情勢だとどうも存在感に欠ける気がするんだけど、でも、だからこその逃避先「インド」だったのかもね。(ひ)

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ダージリン急行
監督:ウェス・アンダーソン
出演:オーウェン・ウィルソン、エイドリアン・ブロディ、ジェイソン・シュワルツマン、
アンジェリカ・ヒューストン、ビル・マーレイ
(2007年/アメリカ)20世紀フォックス映画
3月8日よりシャンテシネほか全国ロードショー

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2008/03/08

『地上5センチの恋心』

 「小説」というメディアを題材にしたとき、そもそもメディアとは作家と読者との仲介役だから“媒介(メディア)”なのであって、両者がその媒介をすっとばして直接的に遭遇するということは、ちょっとした異常事態だ。もしかすると『主人公は僕だった』で作者と主人公とが遭遇してしまうくらいに異常な事態なのかもしれない。

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2008/03/07

ひまわり親方

この荒れ果てた映画ブログに角界から「ひまわり親方」が参戦してくれました。本業はライターではなくコンテンツ系の製作者ですが、いつも独自の感性で体育会系の“ツッパリ評論”を展開してくれる気のおけない友人です。オルターナティブな視点としてお楽しみください。

プロフィール

Photo_21972年生まれの35歳。福岡県出身。
生まれたときから3500グラムの重量を誇り「でっけえなあ」と両親を驚かせたものの、本人はことあるごとに「着やせするタイプ」とのたまう。人生の初映画は77年公開の『スター・ウォーズ』。2体のロボットの狂言回しには笑ったが、オビ=ワンの死は理解できなかった。幼少期、なぜか『フラッシュダンス』がエロい映画だと思い込み、親に怒られた弾みでひとりで劇場に足を運んだことある。結果、リズムに合わせて飛んだり跳ねたりするジェニファー・ビールスの姿になんともいえない気持ちがあふれ出した。それをトラウマと言えるのかどうか本人は首を傾げるが、以来、ダンス映画が苦手になったことだけは紛れもない事実のようだ。

■好きな映画
『スターウォーズ』『ゴッドファーザー』『バットマン』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(いずれも第1作目のみ)

■苦手な映画
タイトルに人名のつく作品(ex.『ゴダールの~』『稲川順二の~』)

■昨年のbestムービー
『俺たちフィギュア・スケーター』

■ひまわり親方さんのレビューはこちら

■夜な夜な映画部が開かれることもあります。

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2008/03/06

『ダージリン急行』

300文字レビュー」とは、映画への想いをたった300文字に凝縮させる、とてもお手軽な文系スポーツ。というわけで、今回のお題は『ダージリン急行』です。

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2008/03/02

『ノーカントリー』

電車の中のマナーがなってないと人は言う。サラリーマンは携帯で話し込み、茶髪の兄ちゃんは優先席にどっかり座り、塾帰りの子供はゲームに忙しく、向かいに立つ男性の耳元からはアイドルソングが大音響で漏れ聞こえてくる。ふと胸にある種の感情が去来する。それは怒りではない。自分が歳を取ったんだなあ、という実感だ。まさに“No Country for Old Men”。トミー・リー・ジョーンズ演じるベル保安官も、あのとき、こんな気持ちだったんだろうか。

No_country_for_old_men

 アカデミー賞で注目を集めた『ノーカントリー』と『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』に共通する鬼気迫る感覚は、ちょうどベトナム戦争が終結して『タクシードライバー』や『地獄の黙示録』といった得体の知れない作品群が生まれてきた70年代後半と類似するように思えるのは僕だけだろうか。破壊の時代が終わり、それに対するラブ&ピースの嵐が吹き去り、そしてまた新たな時代が始まろうとしているこの奇妙な節目に、感動や涙ではなく“震撼”でもって歴史にその名を刻んだ、それがジョエル&イーサン・コーエンの仕掛ける最新作『ノーカントリー』だ。原作「血と暴力の国」が示すとおり現代アメリカ史についての物語でありながら、それを直接には描かず、ひとつの普遍的な寓話性のうちに表現した巧さも興味深いものがある。

 すべての発端は1980年代、メキシコとの国境に近い砂漠だった。ひとり孤独にハンティングに徹する男がいる。彼の名はモス。ベトナム戦争の帰還兵だ。雲が太陽をさえぎり、影が大地を暗黒色に染めていく。彼は自然と一体化し、慎重に狙いを定め、そして静かに引き金を引く。銃弾は群れの中の一匹の獲物に命中する。手負いの獲物は逃げる。しかしモスは決して動じない。血の跡を辿れば、いずれ傷つき倒れた獲物と遭遇できると知っているから。しかしこの日は状況が違った。運命にいざなわれるようにして彼がたどり着いたのは、数台の車両と無数の死体とが放置された殺戮の現場だった。そして近くには彼が一生かかっても稼げないような大金が…。やばい金とは分かっていても、彼はそれに手を出さずにはいられない。それはもはや人間として本能的、いや宿命的なものだった。

 やがて案の定、あとから追っ手がやってくる。予想もつかない史上最強の武器を従えたオカッパ頭の殺し屋“シガー”は、自分の顔を見た者ならだれでも片っ端から始末していく。いや、全員というわけではない。どうやら彼には、彼にしか理解できない“殺しのルール”があるようだ。それはコインを投げて裏か表かと尋ねること。彼に尋ねられたならもう最後。正解しなければ、“死”あるのみ。

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 モスは妻カーラを説得して実家へと帰らせ、当てのない逃亡を続ける。モーテルからモーテルへ。何度もギリギリのところでシガーの襲来を振り切る彼は相当なラッキーボーイらしい。そりゃそうだ、あのベトナム戦争を生き抜いた人間なんだもの。やがてこの血なま臭い事件を追って、老保安官ベルが乗り出してくる。モスを助けることを約束した彼に、カーラはこう言う。

 「夫は、こうと決めたら絶対にあきらめない人なの」

 果たしてモスは悪夢のような殺し屋から完全に逃げ切れるのか。そして老保安官はこの恐ろしい難事件に終止符を打つことができるのか。彼らに待ち構える運命とは…?

 音楽が極限まで削ぎ取られた…とは既におびただしいメディアによって伝えられているが、これはよくあるリアリズムに徹した「ドグマ95」的な作品であるという意味ではない。むしろ数十人のオーケストラが映画の背後で楽器を構たままの姿勢で122分間を無音でやり過ごしたかのような(つまりジョン・ケージの奏でた「4分33秒」のような)印象を抱かずにはいられなかった。音楽は削がれたわけではない。無という方向性に増殖されているのだ。

 その証拠に耳を澄ませば和音を成さない様々な音色が聞こえてくる。乾いた風や大地の躍動、それに不気味な運命が刻々と忍び寄ってくる気配…。次第に観客の五感は驚くほど研ぎ澄まされていく。なるほど、僕らはいつの間にか、砂漠で逃げ惑う野生動物に成り果てていたのだ。どの生態系にも追う者と追われる者がいる。どちらも五感をフルに活用して、生き残りを賭けて走り続けねばならない。それが人生なのであり、それが人間の宿命なのかもしれない。

 と突然、「ボシュッボシュッ」という音が静寂を切り裂く。人間の世界にもハンターは存在する。ハビエル・バルデム演じる殺し屋“シガー”の登場する時間だ。いつも酸素ボンベのようなものを抱えながら、驚くべき方法で出逢った人々を次々とあの世へ送還させていく、到底この世のものとは思えぬこの男。逃亡中のモスがたまらずこう口にするシーンがとりわけ印象的だ。

 「…あいつは究極の悪なのか?」

 それは観客の疑問を素直に代弁したものでもあるだろう。ベトナム戦争に従軍し、つい先ほどまで砂漠の真ん中で獲物に銃を向けていたモスが、今では予想もつかない殺し屋に追われている。このどうしようもない不条理さは筆舌に尽くしがたい。

 いつしかシガーは雇い主さえも抹殺し、傷を負いながらも執拗にモスを追い続ける。もはや何が彼をそこまでさせるのか分かりゃしない。そしてこの男、ただ恐ろしいだけではない。本作における“緊張”と“弛緩”をひとりで気まぐれに振り回し、凄惨な反復の中に思わずふっと笑ってしまう珍場面も数多い。この意表の付き方こそコーエン兄弟の真骨頂。まったく凄いことをやってのけるものだと、感心することしきりである。

 果たして彼はモスの言うように人知を超えた悪魔的存在なのか?はたまた神の使いでさえあるのか?彼のルール(コインゲーム)に運命に身をゆだねた人間たちは次々に抹殺された。彼の正体はついに何ひとつ判明しないが(この曖昧さが本作を究極なまでに普遍的な作品へと高めている)、悪魔でも天使でもあり、また“運命”という名の不気味なうねりのようなものですらあるかもしれない殺し屋シガーは、なにもモスだけでなく、僕らのごく身近なところにも姿カタチを変えて遍在するもののように思えてならない。あの恐ろしい武器をドアの錠シリンダーのあたりにグイと構えて、今にもこちらを急襲しようと隙をうかがっている可能性は誰にも否定しようがない。そのあたり、現代における神話性すら感じるし、この荒廃しきった時代における“黙示録”と捉えることも可能なのかもしれない。

 と、極限まで翻弄されているうちに、僕らはついつい3人目の主人公のことを忘れてしまいそうだ。

Nocountryforoldmen4_2 

 どの時代においても“語り部”は年寄りの役回りと相場が決まっている。この映画がトミー・リー・ジョーンズ演じる老保安官のモノローグによって始まり、再びモノローグによって幕を閉じようとするとき、僕らは“NO COUTRY FOR OLD MEN”という原題を深く噛み締めることになるだろう。彼は必死になって事件を追いかけるが、遂にはふたりに遭遇することすら出来ずにフェイドアウトしていく無力な存在だ(ゲームに参加する資格さえもらえなかった哀れな人間のように思えてならない)。

 彼に出来ることといえば、今やかつての仲間と共に「もう若くはないんだな」とボヤくことくらい。「むかしはこんな事件なんて存在しなかった。…時代はどんどんひどくなる」と。この瞬間、彼はそうやって老いを実感する中で、ふと、その延長戦上にある人生の終着駅について想いを馳せる。いつの日か自分にも天国の扉を叩き、かつて自分よりも若い年齢で死んでいった父親と再び対面する瞬間がやってくるのだと…。

 僕らは、この老人たちの抱く心象風景に言葉を失ってしまう。でも同時に、彼らが(いや僕らもまた)暗黙のうちに参加させられている“人生”という名のゲームの存在に心揺さぶられずにはいられない。たとえシガーのごとき底知れぬ存在の手から逃れられたとしても、いつの日か、僕らには等しく“死のとき”が訪れる。人生とはかくも不条理なゲームの数々によって重層的に覆われており、人間は最終的に神の仕掛けたこの生死を賭けたゲームにいくら抗おうとも、決して逃れることは出来ないのである。

 「表か―裏か?」

 シガーのセリフが耳によみがえってくる。それは人間が最期の瞬間に神より授かる「よき人生であったか?」という問いかけのようでもある。かくも不気味で鮮烈なサスペンス、ミステリー、ヒューマンドラマな『ノーカントリー』に僕が投影したのは、そうやって生まれたときから死をめぐる壮大なゲームに参加させられた、可笑しくも哀しい人間たちの姿なのだった。

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