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2008/03/02

『ノーカントリー』

電車の中のマナーがなってないと人は言う。サラリーマンは携帯で話し込み、茶髪の兄ちゃんは優先席にどっかり座り、塾帰りの子供はゲームに忙しく、向かいに立つ男性の耳元からはアイドルソングが大音響で漏れ聞こえてくる。ふと胸にある種の感情が去来する。それは怒りではない。自分が歳を取ったんだなあ、という実感だ。まさに“No Country for Old Men”。トミー・リー・ジョーンズ演じるベル保安官も、あのとき、こんな気持ちだったんだろうか。

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 アカデミー賞で注目を集めた『ノーカントリー』と『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』に共通する鬼気迫る感覚は、ちょうどベトナム戦争が終結して『タクシードライバー』や『地獄の黙示録』といった得体の知れない作品群が生まれてきた70年代後半と類似するように思えるのは僕だけだろうか。破壊の時代が終わり、それに対するラブ&ピースの嵐が吹き去り、そしてまた新たな時代が始まろうとしているこの奇妙な節目に、感動や涙ではなく“震撼”でもって歴史にその名を刻んだ、それがジョエル&イーサン・コーエンの仕掛ける最新作『ノーカントリー』だ。原作「血と暴力の国」が示すとおり現代アメリカ史についての物語でありながら、それを直接には描かず、ひとつの普遍的な寓話性のうちに表現した巧さも興味深いものがある。

 すべての発端は1980年代、メキシコとの国境に近い砂漠だった。ひとり孤独にハンティングに徹する男がいる。彼の名はモス。ベトナム戦争の帰還兵だ。雲が太陽をさえぎり、影が大地を暗黒色に染めていく。彼は自然と一体化し、慎重に狙いを定め、そして静かに引き金を引く。銃弾は群れの中の一匹の獲物に命中する。手負いの獲物は逃げる。しかしモスは決して動じない。血の跡を辿れば、いずれ傷つき倒れた獲物と遭遇できると知っているから。しかしこの日は状況が違った。運命にいざなわれるようにして彼がたどり着いたのは、数台の車両と無数の死体とが放置された殺戮の現場だった。そして近くには彼が一生かかっても稼げないような大金が…。やばい金とは分かっていても、彼はそれに手を出さずにはいられない。それはもはや人間として本能的、いや宿命的なものだった。

 やがて案の定、あとから追っ手がやってくる。予想もつかない史上最強の武器を従えたオカッパ頭の殺し屋“シガー”は、自分の顔を見た者ならだれでも片っ端から始末していく。いや、全員というわけではない。どうやら彼には、彼にしか理解できない“殺しのルール”があるようだ。それはコインを投げて裏か表かと尋ねること。彼に尋ねられたならもう最後。正解しなければ、“死”あるのみ。

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 モスは妻カーラを説得して実家へと帰らせ、当てのない逃亡を続ける。モーテルからモーテルへ。何度もギリギリのところでシガーの襲来を振り切る彼は相当なラッキーボーイらしい。そりゃそうだ、あのベトナム戦争を生き抜いた人間なんだもの。やがてこの血なま臭い事件を追って、老保安官ベルが乗り出してくる。モスを助けることを約束した彼に、カーラはこう言う。

 「夫は、こうと決めたら絶対にあきらめない人なの」

 果たしてモスは悪夢のような殺し屋から完全に逃げ切れるのか。そして老保安官はこの恐ろしい難事件に終止符を打つことができるのか。彼らに待ち構える運命とは…?

 音楽が極限まで削ぎ取られた…とは既におびただしいメディアによって伝えられているが、これはよくあるリアリズムに徹した「ドグマ95」的な作品であるという意味ではない。むしろ数十人のオーケストラが映画の背後で楽器を構たままの姿勢で122分間を無音でやり過ごしたかのような(つまりジョン・ケージの奏でた「4分33秒」のような)印象を抱かずにはいられなかった。音楽は削がれたわけではない。無という方向性に増殖されているのだ。

 その証拠に耳を澄ませば和音を成さない様々な音色が聞こえてくる。乾いた風や大地の躍動、それに不気味な運命が刻々と忍び寄ってくる気配…。次第に観客の五感は驚くほど研ぎ澄まされていく。なるほど、僕らはいつの間にか、砂漠で逃げ惑う野生動物に成り果てていたのだ。どの生態系にも追う者と追われる者がいる。どちらも五感をフルに活用して、生き残りを賭けて走り続けねばならない。それが人生なのであり、それが人間の宿命なのかもしれない。

 と突然、「ボシュッボシュッ」という音が静寂を切り裂く。人間の世界にもハンターは存在する。ハビエル・バルデム演じる殺し屋“シガー”の登場する時間だ。いつも酸素ボンベのようなものを抱えながら、驚くべき方法で出逢った人々を次々とあの世へ送還させていく、到底この世のものとは思えぬこの男。逃亡中のモスがたまらずこう口にするシーンがとりわけ印象的だ。

 「…あいつは究極の悪なのか?」

 それは観客の疑問を素直に代弁したものでもあるだろう。ベトナム戦争に従軍し、つい先ほどまで砂漠の真ん中で獲物に銃を向けていたモスが、今では予想もつかない殺し屋に追われている。このどうしようもない不条理さは筆舌に尽くしがたい。

 いつしかシガーは雇い主さえも抹殺し、傷を負いながらも執拗にモスを追い続ける。もはや何が彼をそこまでさせるのか分かりゃしない。そしてこの男、ただ恐ろしいだけではない。本作における“緊張”と“弛緩”をひとりで気まぐれに振り回し、凄惨な反復の中に思わずふっと笑ってしまう珍場面も数多い。この意表の付き方こそコーエン兄弟の真骨頂。まったく凄いことをやってのけるものだと、感心することしきりである。

 果たして彼はモスの言うように人知を超えた悪魔的存在なのか?はたまた神の使いでさえあるのか?彼のルール(コインゲーム)に運命に身をゆだねた人間たちは次々に抹殺された。彼の正体はついに何ひとつ判明しないが(この曖昧さが本作を究極なまでに普遍的な作品へと高めている)、悪魔でも天使でもあり、また“運命”という名の不気味なうねりのようなものですらあるかもしれない殺し屋シガーは、なにもモスだけでなく、僕らのごく身近なところにも姿カタチを変えて遍在するもののように思えてならない。あの恐ろしい武器をドアの錠シリンダーのあたりにグイと構えて、今にもこちらを急襲しようと隙をうかがっている可能性は誰にも否定しようがない。そのあたり、現代における神話性すら感じるし、この荒廃しきった時代における“黙示録”と捉えることも可能なのかもしれない。

 と、極限まで翻弄されているうちに、僕らはついつい3人目の主人公のことを忘れてしまいそうだ。

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 どの時代においても“語り部”は年寄りの役回りと相場が決まっている。この映画がトミー・リー・ジョーンズ演じる老保安官のモノローグによって始まり、再びモノローグによって幕を閉じようとするとき、僕らは“NO COUTRY FOR OLD MEN”という原題を深く噛み締めることになるだろう。彼は必死になって事件を追いかけるが、遂にはふたりに遭遇することすら出来ずにフェイドアウトしていく無力な存在だ(ゲームに参加する資格さえもらえなかった哀れな人間のように思えてならない)。

 彼に出来ることといえば、今やかつての仲間と共に「もう若くはないんだな」とボヤくことくらい。「むかしはこんな事件なんて存在しなかった。…時代はどんどんひどくなる」と。この瞬間、彼はそうやって老いを実感する中で、ふと、その延長戦上にある人生の終着駅について想いを馳せる。いつの日か自分にも天国の扉を叩き、かつて自分よりも若い年齢で死んでいった父親と再び対面する瞬間がやってくるのだと…。

 僕らは、この老人たちの抱く心象風景に言葉を失ってしまう。でも同時に、彼らが(いや僕らもまた)暗黙のうちに参加させられている“人生”という名のゲームの存在に心揺さぶられずにはいられない。たとえシガーのごとき底知れぬ存在の手から逃れられたとしても、いつの日か、僕らには等しく“死のとき”が訪れる。人生とはかくも不条理なゲームの数々によって重層的に覆われており、人間は最終的に神の仕掛けたこの生死を賭けたゲームにいくら抗おうとも、決して逃れることは出来ないのである。

 「表か―裏か?」

 シガーのセリフが耳によみがえってくる。それは人間が最期の瞬間に神より授かる「よき人生であったか?」という問いかけのようでもある。かくも不気味で鮮烈なサスペンス、ミステリー、ヒューマンドラマな『ノーカントリー』に僕が投影したのは、そうやって生まれたときから死をめぐる壮大なゲームに参加させられた、可笑しくも哀しい人間たちの姿なのだった。

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