« 『アイム・ノット・ゼア』 | トップページ | 『愛おしき隣人』 »

2008/04/24

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

Therewillbeblood_3   

長文はウンザリな方は、300文字でサクッとチェック。

 クセのあるキャラクターが大量投入されることは無い。ジョン・ブライオンによるおもちゃ箱をひっくり返したかのような音楽も無ければ、機関銃のようにしゃべくりまくるセリフの狭間にポッと生じる“間”のマジックも存在しない。つまりこれまでポール・トーマス・アンダーソン(以下PTA)のトレードマークとされてきたものがどこにも無いのだ。何の前触れもなく本編を見せられたら、誰がPTAの作品だと言い当てられるだろう?

 常に前進し続けることを自らに課したPTAは、冒頭から衝撃的な行動に打って出る。主人公をこれまでとは天と地ほどかけ離れた僻地へと追いやってみせるのだ。それはPTAが自らに課した苦行のようでもある。

 そこは何もない砂漠地帯。はじめは言葉さえ存在しない。バックにはジョニー・グリーンウッドの奏でる不気味な不協和音が運命の流転を匂わせる。ダニエル・デイ=ルイスのヒョロリと伸びた身体が横たわる。穴を掘っては爆薬を仕掛けるこの男。とても原始的な作業だ。危なっかしい。そして案の定、第一の試練が訪れる。彼はまるで『マイ・レフト・フット』でアカデミー主演男優賞を受賞したときのような壮絶な演技で窮地を脱する。

 そしてこれらの、本作にとっては“儀式的”とさえいえる冒頭を駆け抜けると、そこには原作小説のタイトルが示すように「OIL!」が勢いよく噴射する光景が現れる。なんと神々しいことか。それは長らく待ち望んだ崇高な存在が地上へと降臨したかのような、極めて神聖な瞬間だった。

 すべてはここから始まる。主人公を取り巻く黙示録もここから。

 やがて、血の繋がっていない幼子の手を引いて旅を続ける石油採掘師・プレインヴューは、自分が目をつけた土地の住人たちに向けてこのような言葉を投げかけることになるだろう。

 “THERE WILL BE OIL”

 それを語るときの彼の表情は預言者めいている。「私と組んだら大金持ちになれる!」。20世紀初頭のカリフォルニア、彼のような山師は大勢いた。様々な個人や企業が石油をめぐる熾烈な争いに名を連ねていた。血眼になって土地を買占め、地中を掘り進める。出るか?出ないか?すべては神のみぞ知る。その限りある資源の争奪戦の結果が、現代にどのような歴史をもたらしたかいついては、プレインヴューよりも僕ら現代人の方がよく知っている。

 “THERE WILL BE BLOOD”

 本作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、ひとりの人間がモンスターのように変幻しながら石油を追い求めるという、まさに人類の負の歴史をここに集約したかのような超大作だ。そしてPTAが156分もの長尺を駆使してまで描きたかったのは、黒い液体が赤へと、つまりOILがBLOODへと姿を変える映画的魔法だった、ということができるだろう。

 人間のスケールを大きく越えたダニエル・デイ=ルイスの演技は、本作でアカデミー主演男優賞を受賞した。彼の演じるプレインヴューは、親子、兄弟の関係性すらも破綻させながら、暗黒の運命に向かって猪突猛進を決め込んでいく。この怒髪点を抜く迫力を目の当たりにすると誰もが『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』をデイ=ルイスの映画なのだと解釈してしまう。しかしそれは違う。

 彼の前に立ちはだかる男がいる。牧師イーランだ。演じるのは、『リトル・ミス・サンシャイン』でニーチェを敬愛する兄貴役を演じたポール・ダノ。第一印象は天使のように穏やかだが、自分の住む小さな町が石油の産出地へ豹変していくことで、彼もまた“カリスマ”とはちょっと違う不気味な宗教指導者へと成り果てていく。

 彼の説法は絶叫に満ちている。慈愛と狂信を全身にみなぎらせ、顔を真っ赤にさせながら涙目で「悪魔よ、出て行け!」と叫ぶ。とりわけプレインヴューに洗礼を施すシーンの異様さは筆舌に尽くしがたい。まるでカメラを回しっぱなしにして、ふたりの狭間で異様な空気が醸成されていくのをじっと観察し続けているかのようだ。なかなかカットがかからない。ふたりも演技を続ける。もういいだろう。いや、でもまだカットの声はない…普通ならばグダグダになってギャグへと転じてしまいそうなこのシークエンスで、彼らとPTAは絶対に逃げないのである。

 石油を探究するプレインヴューと、神の道を探究するイーラン。彼らは一対の合わせ鏡のようになっている。ふたりしてモンスターへと豹変していき、ことあるごとに衝突する。資源と宗教。合わせ技で一本。論じ始めれば現代にまで及んでしまいそうな歴史の火種がこの小さな田舎町を席巻する。いや、でもそれだけではこの物語は終わらない。

 原作小説でいうならば、本作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』はアプトン・シンクレアが著した「石油!」の一部分にしか過ぎない。原作ではこのあと、“資本家プレインヴュー”VS“血の繋がっていない息子”との飽くなき闘いへと発展していくのだ。映画の終盤、プレインヴューは息子に対して「バケモノめ!」と罵詈雑言を浴びせる。何を口走っているのか。バケモノはプレインヴュー自身ではないか。あるいは彼自身も父親から同じ言葉を浴びせかけられたのだろうか。歴史は繰り返される。目の前の息子もまたバケモノへと変貌していくカルマを宿しているのだろうか。

 先に、“資源”と“宗教”は現代に連なる悲劇のテーマだと述べた。だが『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は評論的に時代を読み解くことなどしない。これは紛れもない人間の物語だ。「たかがひとりの人間の破茶滅茶な人生」と誰かが言うかも知れない。しかし、血のつながりのまったく無いところで、同じ“怪物性”というやつは暗黒の液体が勢いよく噴射するかのごとく生じ得るのであり、何もプレインヴューだけが特別なのではない。

 息子、それにイーラン牧師。あるいはすべての人間の内面に巣食っているのかもしれないこの“怪物性”を真正面から描ききる。これまでのようなテクニックなどは通用しない。PTAは自らの内面にさえ巣食うこの魔物を赤裸々にあぶりだしながら『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の世界を宗教画のように描きこんでいく。

 “THERE WILL BE BLOOD”

 初めから結末はわかっている。しかしどういうわけか胸に爽快感が吹き込んでくる。すべての石油が噴出し終わったときのような、もう失うものなどなにもないようなこの達成感。それはひとつの神話の完結を意味する。PTAがこのジャンルに挑むことはもう二度とないだろう。ふとエンドクレジットの終盤に「ロバート・アルトマンに捧ぐ」の文字。そもそもPTAの傑作群像劇『マグノリア』はアルトマンの『ショートカッツ』の発想があってこそ生まれえたものだ。PTAはアルトマンの遺作『今宵、フィッツジェラルド劇場で』の撮影中、もしもの事態に備え「代打監督」として常に現場に付き添っていたという。物語とは全く関係ないが、こんなところにも血の繋がっていない親子のような関係性がついて回る。

 天国にいるロバート・アルトマンは「よくやった!」と笑っているだろうか。それとも「バケモノめ!」と嫉妬心をあらわに罵り倒しているだろうか。ともあれ、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は未来の巨匠PTAが踏みしめたマイルストーンとして、末永く語り継がれていくことだろう。

■この記事が参考になったら押してください→人気blogランキング

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド
監督:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:ダニエル・デイ=ルイス、ポール・ダノ、ケヴィン・J・オコーナー、
キアラン・ハインズ、ディロン・フレイジャー
(2007年/アメリカ)ウォルトディズニースタジオモーションピクチャーズジャパン

------

TOP】【過去レビュー】【DIARY

|

« 『アイム・ノット・ゼア』 | トップページ | 『愛おしき隣人』 »

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ゼア・ウィル・ビー・ブラッド:

« 『アイム・ノット・ゼア』 | トップページ | 『愛おしき隣人』 »