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2008/04/18

『オーケストラの向こう側』

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 たとえば、ポール・トーマス・アンダーソンの傑作『マグノリア』において9人の主人公たちが誰一人損なわれることなく演技という名のハーモニーを奏でる様子に、“オーケストラ”という言葉を当てはめたくなる人は多いだろう。あるいは今夏公開の『クライマーズ・ハイ』で、北関東新聞社の編集部が一丸となって怒涛の渦に巻き込まれていく様子は、僕にとって“クライマックスに向けてボルテージ上がりっぱなしのオーケストラ”以外の何者でもなかった。

 三谷幸喜がミュージカル舞台「オケピ!」の題材として目をつけるまでもなく、かくもオーケストラには群像劇の要素で満ち満ちている。それぞれが独立した個性でありながら、いざ指揮者がタクトを降り上がるとそこには瞬く間に統制された集団芸術が立ち上がる。この劇的なまでの結束力はオーケストラ最大の魅力といっていいだろう。

 『オーケストラの向こう側』は、世界に名高きフィラデルフィア管弦楽団に密着した“音楽エッセイ”風のドキュメンタリーだ。クラシック・ファンにとってはその芸術性の裏側を垣間見る意味でも非常に興味深い作品だろう。でも僕個人的には、少々トンチキな見方なのかもしれないが、先にあげたような「卓越した群像劇」としても多分に魅了される部分が多かった。

 あるメンバーがこう語る。

 「オーケストラに個人の自由は存在しない。けれどメンバーはルールを乱さない範囲で、それぞれ持ちうる限りの個性を発揮しようとする。その集積がオーケストラのかけがえのない魅力となっていくんだ」

 果たしてその“個性”とはどのようにして形作られるのだろう?カメラはやがてメンバーそれぞれの横顔にクローズアップしていく。“集団”から“個”に戻ったときの団員たちの姿がそこにあふれていく。

 コンサート・マスターはアジア系の穏やかな男性だ。彼は思慮深い言葉で、かつてソリストとして活躍していた薔薇色の日々に想いを馳せる。しかし絶頂の日々は長くは続かなかった。やがて訪れる挫折。鳴かず飛ばずの数年間。そしてある日、よりにもよってトム・クルーズ主演の『ザ・エージェント』が彼の人生を変えたと言う。この映画が不思議と心の重みが取り除いてくれた。「よし、ソリストはおしまいだ。オーケストラ団員になろう」。そうしていま、彼はとても充実した人生を送っている。

 ユダヤ系のメンバーは、自らのアイデンティティに向き合う機会が多くなったと言う。彼は人種の衝突を超えて理解の時代へと進みたいと考えている。それゆえ定期的にアラブ人の音楽家とセッションを行う。そこには小難しい政治や宗教の話などいっさい存在しない。ただ楽器に向き合うふたり。音楽という共通言語だけがふたりをつなぐ。なんら境界線のないステージに冴え渡る極上のコラボレーション。彼らはそれが小さなきっかけになればと願っている。

 これらのエピソードによって“個”が強調されると、今度はまた“団”の風景が待ち構えている。日常の中でみんながフッと「同じ方向を向いている」瞬間がとても愛おしく感じられる。

 とりわけ僕らを魅了するのは、彼らがケルンを訪れたときのエピソードだった。

 メンバーの誰かが「すごいぞ!」と皆を外に連れ出すと、そこにひとりのストリート・ミュージシャンの姿がある。彼はアコーディオンでなんとビバルディの「四季」を演奏している。それは熱のこもった素晴らしい演奏だった。いつしか30名ほどの団員がそろって彼の演奏に夢中になっている。おかしな光景だ。だって普段はステージ上の花であるはずの彼らが、今は観客の立場に甘んじているわけだから。

 みんながおんなじ方向を向いている。

 演奏が終わる。拍手喝采。あまりの反響にストリート・ミュージシャンは嬉しそうだ。まさか彼らがプロのオーケストラだなんて想像さえしなかったろう。

 中国の湖畔にてメンバーが耳を済ませる場面も印象的だ。

 コンサートマスターが「静寂を楽しもう」と呼びかける。しばらく何も聴こえない。鳥のさえずり、風のそよぎが耳に届く。と、その瞬間、水のほとりでバシャリ!と魚の跳ねる音。皆がワッと一様に驚いた顔を見せる。

 …次の瞬間、彼らはステージで楽曲の最終章を奏でている。ふとハーモニーが休符を迎え、一瞬、静寂が支配する。パワーが蓄積される。その直後にドカンと圧倒的な音の洪水。先の静寂後の「バシャリ!」がよみがえってくる。なるほど、中国の湖畔のシーンで、彼らは共に次元を超え、たったひとつの休符の中にたたずんでいたのだ。

 ドキュメンタリーでありながら『マトリックス』的発想を感じさせる演出マジック。芸術とはいとも簡単に次元を飛び越え、一瞬の静寂の中に永遠すらも見出すことが可能なのだ。恐るべし、音楽エッセイ。恐るべし、ダニエル・アンカー監督。

 かくも“個”と“団”の関係性は面白い。プロフェッショナル集団たるオーケストラに関しては尚更だ。小さい頃から英才教育によって音楽漬けの毎日を送り、技術・理念ともに「音楽とは何か?」について自問自答を続けてきた彼ら。その、いわゆる悟りの境地にまで至っているかのようなたたずまいがとても心地よい。いたずらに輪を乱そうとする人間などひとりもいないし、しっかりとした個のベクトルを確立しながらも、「良い音楽を追究したい」という熱い思いがステージ上で全員を同じゴールへ向かわせているのだ。

 みんな別々の方を向いている。

 そして、みんな、おんなじ方を向いている。

 『オーケストラの向こう側』は、このふたつの状態の揺り戻しをいとおしいほど魅力的に活写している。ドキュメンタリーにしてこの物語性…やっぱりオーケストラってのは珠玉の“群像劇”なのである。

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オーケストラの向こう側/フィラデルフィア管弦楽団の秘密
監督:ダニエル・アンカー
出演:フィラデルフィア管弦楽団の105人のメンバーたち
(2004年/アメリカ)セテラ・インターナショナル

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