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2008/05/14

『丘を越えて』

 『ALWAYS 三丁目の夕日』が戦後日本の復興期を熱く彩ったものだとしたら、『丘を越えて』で描かれるのはその間逆のベクトルを持ったもうひとつの黄金期だ。それは、

 「大正デモクラシーから昭和初期までのモダンな日本」

 「大正デモクラシー」といえば、中学校のとき、語感の面白さだけで一日中ずっと唱えていられたこの言葉。でも実際はそれがどんな空気を持っていたのか、どんな手触りでどんな味がしたのか多くの者が知らない。関東大震災という悲劇を引きずりながら、ようやく精神的な自由が叫ばれるようになってきたこの束の間の楽園はいったいどのようなものだったのだろう。

 原作は、いまや東京都副知事となった猪瀬直樹の「こころの王国」。西田敏行演じる文豪・菊池寛と池脇千鶴が演じるその私設秘書との交流を通じて、大正デモクラシー期の空気、そして「生活第一、芸術第二」としてあくまで庶民路線を貫いた菊池文学の真髄にフィクションを織り交ぜながら迫っていく物語だ。

 花街が近い下町。至るところに赤が映える。たしか学生の頃に見た日本史資料集の大正期はその奇抜な色使いが薄気味悪かったが、こうやって実写でみると幻想的ですらある。物語は池脇演じる葉子が知人の紹介でとある出版社を訪ねるところから始まる。いつかは女性文士になれるかもと胸を高鳴らせる葉子。そして着いた先は創立したばかりの文芸春秋。社長はあの文豪、菊池寛だ。

 西田敏行演じる菊池は、その体型といい、顔立ちといい、まるで彼の魂がそのまま現代に蘇ったかのよう。腕時計は2つはめ、腰紐はズルズルと地面を這い、将棋をしながら自分の持ち駒をピーナッツと一緒にポイポイッと口にほうばってしまったりと、かなり天然というか、豪快というか。けれど同時にとても繊細な部分も持ち合わせていて、時折シュンといじらしいほどにしおれたり、哀しい世相にワンワンと泣き崩れたりもする。ちなみに西田は歌がとても上手いが、実際の菊池は死ぬほど音痴だったとか。

 葉子はこんな菊池の秘書となり、関東大震災と昭和の戦乱期という2大悲劇の真ん中にポッカリと空いた“大正”という楽園において、菊池のナビゲーションのもとにモガ・モボを地で行く華麗なる自由を胸いっぱいに満喫する。そして時おり、文芸春秋の社員であり在日朝鮮人である美青年(西島俊之)と共に、菊池寛の作風について文学探偵のような読み解きを進めていく。「生活第一、芸術第二」を謳った菊池文学。どうやらその根底には日本文学の神様・夏目漱石への根の深い反動があるらしいのだが…。

 確かに『丘を越えて』は雲の上の楽園のような物語だ。しかし僕らは知っている。この楽園もほんの束の間のものであったことを。原作では登場人物たちの後日談にまで触れてあり、大正期の華々しさはこのあと宴の後のようにフウッと掻き消されてしまう。いつしか菊池も戦意高揚のために筆を振るい、多くの文士たちを戦場へ送り、戦後にはその戦争責任さえも問い正され、すっかり精気を失ってしまったかのようだったとか。

 けれど僕は『丘を越えて』を単なるノスタルジー映画と捉えたくはない。むしろ、今ではすっかり忘れ去られてしまった“丘の向こうの風景”へと観客を誘う「招待状」として、同時代性をもって受け止めたい。哀しくも9.11をきっかけに国際的な憎しみ合いの渦中へと身を投じてきた現代人。それは「繊細過ぎる時代」でもあり、同時に「過激すぎる時代」でもある。たとえ出口の見えない時代であっても、そこに丘があることを精一杯想像し、その向こうに拡がる景色がきっと素晴らしいものであると信じたい。それが人間の性(さが)ってもの。その領域へと観客をいざなうのが他ならぬ現代に生を受けた映画作品の使命だと僕は思っている。

 ではこの映画の最終花火はどんな夢を見せてくれたか?

 それは驚愕の、

 「あまりに朗らかなクライマックス」

 ・・・だった。

 直面した瞬間、思わず苦笑してしまった。まるで負け戦にあえて挑んでしまったかのような潔さ。でもそんなに悪い気はしないのは、作り手の気持ちがとてもストレートに伝わってきたから。このシーンに高橋伴明監督の祈りに似た想いがあふれているように感じられたのは僕だけではないはずだ。

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丘を越えて
監督:高橋伴明
出演:西田敏行、池脇千鶴、西島秀俊、余貴美子
(2008年/日本)ゼアリズエンタープライズ/ティ・ジョイ
5月17日よりシネスイッチ銀座、新宿バルト9他にてロードショー

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