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2008/06/04

『シークレット・サンシャイン』

 教師、作家、そしてノ・ムヒョン政権下では文化観光部長官まで務めた韓国映画の巨匠、イ・チャンドン。彼の実に5年ぶりとなる新作『シークレット・サンシャイン』は、昨年のカンヌ国際映画祭でチョン・ドヨンが主演女優賞を獲得するなど最大級の賛辞でもって讃えられた。

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 しかし『ペパーミント・キャンディー』(1999)や『オアシス』(2002)に触れたことがある人なら、イ・チャンドンの怒髪天を突くような作家性に身構えてもいるはずだ。ハードランディングを辞さないその痛みをはらんだストーリー、そして混沌の中からほんの微かな映画的瞬間を導き出し、震えるほどの繊細さで観客に提示してみせるその手腕。僕らは上映中、どんなにフィルムと苦闘しようとも彼のいざなうラストショットに立ち合いたいと願わざるをえない。そこには観客ひとりひとりの人生観さえ変えてしまうような魔法が宿っているのだから。

 本作の舞台は「密陽(ミリャン)」。「シークレット・サンシャイン」というタイトルがそのまま2文字に納まったこの街で、夫を失ったばかりの若い女性シネは、息子とふたりで健気に再起を誓っていた。ピアノ教師として起動に乗り、周囲とも溶け込み、すべてが順調に思えたその矢先、彼女の身に言い知れぬ不幸が舞い込む。こともあろうに愛息を誘拐され、命を奪われてしまうのだ。絶望に暮れ、ふさぎこむ彼女。傍らで支える男性ジョンチャンもただオロオロと立ち尽くすだけだった…

 140分あまりのこの長い映画は、ひとりの女性の絶望と、その先にある一筋の光をゆっくりと描いていく。と、突然、そこは宗教の大合唱となる。救いを求める主人公は神にすがって、ただ泣き叫ぶ。

 いったい…
 いったい何が描きたいのか…?

 この異様なトランス状態に身が凍る。しかしどうやら物語の目論見はその先にあったようだ。彼女が心から神を愛し、すべてを神の思し召しだと理解し、そして息子を殺害した犯人さえも赦そうと心を動かしたそのとき、彼女は既に収監中の犯人から思いもよらない言葉を聞くことになる。

 「わたしも刑務所の中で信仰と出会い、心から神に懺悔しました。するとどうでしょう。神が私を赦されたのです!」

 シネの立場からしてみればなんと絶望的な一言なことか。

 だがこの言葉から気づかされることは数多い。シネはいつしか“赦し”の迷宮へと入り込むあまり、神を超えて自らが“赦しを与える者”であると結論づけていたのだ。しかし神は犯人のもとにも平等に光を与え、しかもその罪を赦したのだという。彼女にとっては度重なる苦難の末の、更なるこの仕打ち。シネはキッと空を睨み、神を罵倒する。神とはなんと無慈悲な存在なのか…。

 ここからがイ・チャンドンの真骨頂である。

 シネは幾度となく訪れる“思考停止”を乗り越え、その混沌の向こうに光を探りはじめる。冒頭、カメラがじっと空を見つめるショットに始まり、そして光の降り注ぐ地面を見つめて幕を閉じるように、この映画は「降り注ぐ光の軌跡」を丹念に辿り、まるでそこに神の意図を見出そうとしているかのようだ。

 かつて「それでも神は沈黙しておられる」と語ったのは遠藤周作の「沈黙」だったが、僕にはそれが「逆もまた真なり」とも思えたものだ。つまり絶対的な存在とは、沈黙することによってのみ、あらゆる瞬間に遍在することが可能になるのではないか、と。「沈黙」はマーティン・スコセッシによって映画化されていると聞くが、『シークレット・サンシャイン』とも世界観を同じくしていると言えるのかもしれない。

 ちなみに、イ・チャンドンの言葉を借りると、この映画の原作「虫の物語」には、光州事件において罪を問われるべき加害者側が、虐殺の被害者に対して和解を申し入れたことへの言い知れぬ不信感が寓意として含まれているという。和解という概念を口に出来るのは被害者側だけではないのか、と。

 もちろんこの『シークレット・サンシャイン』では光州事件のことなど微塵も触れられていないが、これと同じような矛盾を感じさせる出来事は今なお世界中にあふれている。しかも宗教戦争ともなると、それぞれのよりどころとなる神の言い分によって、上記のような赦しの複雑構造がいとも簡単に現前してしまうのである。こんなに価値観の錯綜する時代の中で、我々に信じられるものなどあるのだろうか。

 しかし僕らはどんなときでも、主人公の傍らにいつもぼくとつと心優しきジョンチャンの姿があったことを忘れないだろう。身体中から一切のオーラを消し去ったソン・ガンホの“ただの空気”のような存在感を、男女問わずして愛おしく抱きしめたくなる。

 『ぐるりのこと。』のリリーさんもそうだったように、どんな宗教よりも、ほんの平凡な一個人である彼が“ただそこにいること”が何にも代えがたい幸福に思える。ひとりひとりが誰かのジョンチャンでありたいと願い、もしも自分が絶望に打ちひしがれたとき、誰かが自分のジョンチャンとしてただ側にいてさえくれれば、と切に願う。

 大地に降り注ぐ光、そして傍らに立ち続けるジョンチャンという存在、それぞれが尊い「シークレット・サンシャイン」と言えるのかもしれない

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シークレット・サンシャイン
監督:イ・チャンドン
出演:チョン・ドヨン、ソン・ガンホ、チョ・ヨンジン、
キム・ヨンジェ、ソン・ジョンヨプ、ソン・ミリム
(2007年/韓国)エスピーオー

この『オアシス』もとにかく凄い作品です。思いきり価値観が揺さぶられました。機会があればぜひ観てみてください!

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