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2008/06/02

『ぐるりのこと。』

 世界で絶賛された『ハッシュ!』以降、橋口亮輔監督の新作はなかなか届かなかった。その間、世間では通りを行き交う人の波のように次から次へと新しい映画が生まれ、藻屑のように消えていった。2年、3年が経ち、『ハッシュ!』の偉業もだんだん人びとの脳裏から消えていった。さらに4年、5年が経つと、橋口監督の名前すら忘れかけていた。

 そして運命の6年目…邦画界にとんでもない傑作が誕生してしまった。

 『ぐるりのこと。』をひとことで言うと、「ぜったいに別れない夫婦の物語」ということになるのだろうか。時代背景は1990年代。リリー・フランキーと木村多江が演じる夫婦は、おなかの中で育つ小さな生命を前に、妙にドギマギしたり、不安になったり、でもやっぱり言い知れぬ確かな幸福を噛み締めながら毎日を過ごしていた。しかし生まれてきた赤ん坊はあっという間に天国へと旅立ち、夫婦は茫然とした空虚の中に取り残されてしまう。

 それでもいつもどおり飄々とふるまう夫。

 喪失の痛みで徐々に追い詰められていく妻。

 観客にとって沈痛な時間が続く。と同時に、美大出身の夫が先輩から譲り受ける“法廷画家”という職業が、観客を裁判所という特殊な舞台空間へといざない、90年代の日本を襲った深刻な社会病巣の記憶をリアルに呼び覚ます。バブル崩壊、児童殺害事件、地下鉄テロ…人間はこんなにも精神的に脆い生き物で、ちょっとしたことをきっかけにどんどん崩壊していく。その大波に飲み込まれるように、この夫婦にも深刻なときが訪れる。しかし…

 『ぐるりのこと。』は決してこのままでは終わらない。

 驚くべきことに、このあと堰を切ったようにとことん溢れ出す夫婦の感情が、この映画を奇跡的な次元にまで輝かせていくのだ。

 Akeboshiの奏でる弛まざるテーマ曲に乗せ、どんどん再生していくふたり。それは彼らがこの10年間で失ったものを取り戻していく過程のようにも思える。あせらず、ゆっくりと。狂っていた時計の針は徐々に確かな音を立てて耳元に響きはじめる。

 「なにがあっても絶対に離れない」

 言い換えると「絶対に絶望しない」ということになるだろう。これは見栄や奇麗事などではない。しっかりと闇を見据えた先に導き出された答えだからこそ、この夫婦の寄り添う姿にどうしようもなく心震える自分がいた。いつも一緒にいる彼らのあまりの神々しさに何度も何度も嗚咽しそうになる自分がいた。

 そして映画が終わったとき、観客はふと、リリーさん演じる「佐藤カナオ」という男の本当の“強さ”に気づくだろう。一見どこにでもいそうな、いつも飄々と取りとめのないこの男性が、この10年間、少しもそのスタイルからブレずに生きてきたという事実。みんなが右往左往してた狂おしい時代に、ずっと穏やかな表情を絶やさずその場所に留まっていられた事実。

 なぜそう生きられるのか?なにが彼をそう生きさせるのか?

 「ぐるり(身の回り)」を見回してみたところで、その答えは簡単に得られそうにない。それは現代を生き抜くひとりひとりに課せられた宿題のようなものかもしれない。

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ぐるりのこと。
監督:橋口亮輔
出演:木村多江、リリー・フランキー、倍賞美津子、寺島進、
安藤玉恵、八嶋智人、寺田農、柄本明
(2008年/日本)ビターズエンド

Akeboshiのニューアルバム「Roundabout」は、『ぐるりのこと』の主題歌「Peruna」を含むこれまでのAkeboshiの代表的楽曲を網羅したセレクションアルバムです。

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