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2008/09/24

是枝監督がやってきた

「もしかして是枝監督ですか・・・?」

僕がそう尋ねると、その人はキラキラした目を大きく瞬かせながら、「はい!」と答えてくれた。黒地のラフな生地のジャケットに帽子をかぶり、口まわりにはトレードマークの無精ひげ。肩にはトートバックが下がっていた。

その場所、川越のシンボル「時の鐘」。

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蔵造りの町並みが江戸期の情緒を現代に伝え、人々からは“小江戸”の愛称で親しまれるこの街で、僕は偶然にもトークショー前の是枝監督に遭遇し、彼のプライベートの表情に触れてしまった。

「ぶらぶらしてるところなんです」

監督は笑いながらそう語った。そしてまた、ぶらぶらとどこかへ歩いて行ってしまった。

2008年9月17日、僕の第二の故郷ともいうべき川越で、『歩いても 歩いても』の是枝裕和監督のトークショーが行われた。会場は時の鐘より歩いて2分のところにある「川越スカラ座」。かつてはどこの街にもあった、なんの変哲もない映画館だ。いまでは絶滅危惧種となってしまったけれども。

941188891_183_3スカラ座は古くは明治38年に演芸小屋として開業し、映画文化の興隆によってたくさんの人々が集まる一大エンタテインメントとして街と苦楽を共に歩んできた。

しかし全国的な例外に漏れず、昨今のシネコンブームに飲み込まれ、経営存続は厳しい状態に。もう駄目かと思われた矢先、街の若者たちによって結成されたNPO法人「プレイグラウンド」によって経営は引き継がれた。

相変わらず厳しい状態は続いているというが、劇場を取り巻く雰囲気はガラリと変わった。いまや街全体を巻き込んだワクワクするような企画力で、新時代における「街の映画館」のあり方を意欲的に探究し続けている。

そしてこの聖地に是枝裕和監督はやってきた。この日、監督と共に壇上に立ったプレイグラウンドの舟橋さんも思わずビックリするほどの観客の入り。まさに満員御礼。平日なのにこの熱気。「これも作品の力だと思います!」と舟橋さんは少し緊張気味に切り出し、真摯な語り口で是枝監督のコメントを引き出していく。

とりわけ印象に残ったのは、是枝監督の絵コンテ、脚本に対する考え方だった。

かつて初監督作『幻の光』を撮ったとき、彼は全てのカットの綿密な絵コンテを描いた。ある時、音楽担当のチェン・ミンジャンを通じて台湾の候孝賢(ホウ・シャオシェン)がこの作品を観たという。世界的にも絶賛された本作だったが、候孝賢は不満げな表情を浮かべ、是枝監督に「絵コンテを描いただろう?」と尋ねた。

「現場の状況は刻一刻と変わる。その変化をカメラに納めないで、設計図通りに作ってどうするんだ」

と手厳しい言葉。しまいには「ドキュメンタリー出身なのに、そんなことも分からないのか」とも。候孝賢、あんなに優しそうな顔してるのに。なんという容赦のなさ。

935828208_156_3是枝監督はこの指摘にめげるでもなく、かといって100パーセント受け入れるでもなく、鋭い観察眼を自らに向けて独自の方法論を模索しつづけてきた。カンヌで男優賞を受賞した『誰も知らない』は脚本の存在しない状態で現場のリアルな空気を活写した典型といえるだろう。つづく『はなよりもなを』はそこから脱し、また違う境地へと羽ばたいたことで世間をあっと驚かせた。

そして今回の『歩いても 歩いても』では、まるで地球を一周ぐるりと旅して戻ってきたかのように、前もって脚本を作り、立ち稽古も入念に行った。しかし辿り着いた場所は、決して『幻の光』的なものではなく、何より自分自身に対して“挑戦的”であり、“野心的”な作風となった。

このようにして設計図が“ある”ことにも“ない”ことにも決して縛られない、より自由な境地で生まれた奇跡のような一瞬が『歩いても 歩いても』である。僕はこの映画を完成披露試写で拝見したが、超満員の客席&豪華キャストが一同に会した舞台挨拶などでは決して分からなかったこの映画の真髄を、他でもないこの川越スカラ座で知ることとなる。

◆◆

つまり、この映画は「生活に密着したところ」でこそ、真の正体を見せるものなのだった。

Q&Aの時間になって会場を見回すと、本当にたくさんの人が手を挙げている。結果的に20人近くの人が発言しただろうか。しかもその多くが純粋な質問というよりはむしろ、本作を観た感想をぜひ監督本人に伝えたい、というものだった。

60歳くらいの男性は、自分よりも出来の良い兄を可愛がっていた父母の思い出を語り、「私がいちばん胸に迫ったところは・・・」と思いがけないシーンを挙げていた。他の観客の同調を求めるのではなく、映画の流れを自分史と照らし合わせて読み解こうとする情熱は、常に“客観”を求めようとする現代人がふと忘れがちなものだ。

映画とは本当に、作り手と観客とが互いに人生をぶつけあって生まれるものなのだと、改めて気づかされた。5分ほどマイクを離さず自分の思いを語り続けるこの男性のお話が本当に面白く、切なく、ほろ苦く、語り終えたときには拍手まで飛び出す始末だった。

とある女性は「女友だち3人でこの映画を観ました。今日はみんなを代表して感想をお伝えしたいと想います」と主婦ならではの視点でこの映画を切り取ってみせた。彼女は樹林さんの料理の手際について「怖いなと思いました」と語り、「私は怖くて食べたくない」とそこに感情論さえも付与してみせる。この方は、樹林さんが野菜を刻むその手際の中に何らかの感情のうずきを見いだしたのだろうか。これは長らく主婦の立場で台所から家族を見守っていなければ気づかない境地だ。僕にはそんなことまで絶対に読み解けやしない。深い。ただただ恐れ入った。

935828208_189 かくも『歩いても 歩いても』は観客を選ばず、一人一人の心の中に巧妙に入り込み、何らかの記憶装置を起動させる。鑑賞後、そのスイッチ入りっぱなしの状態の観客たちは、ついついそこで生じた思いを誰かにじっくりと語らずにいられない・・・

これら、観客の中に巻き起こった“もうひとつの物語”は、『歩いても 歩いても』のサイドストーリーとして是枝監督の記憶にずっと刻まれ続けることだろう。

◆◆◆

ふと、この映画の“長男”をめぐる謎のごとく、疑問が湧いた。

なぜ是枝監督は川越スカラ座にやってきたのか。都内であれ、地方であれ、もっとメジャーで何百人規模の劇場からのオファーはたくさんあっただろうに。

舟橋さんが巧みにその裏話を引き出してくれる。

実は是枝監督のお母様が川越出身だったのだそうだ。幼い頃に幾度となくその街の名の響きを耳にしてはいたものの、なかなか足を運べずにいたこの街。パンフレットをご覧の方はお分かりのことと思うが、『歩いても 歩いても』はそのお母様が亡くなられたことをきっかけに生まれた作品だという。是枝氏いわく「樹木希林さんよりもドギツイ人でした」。いつか訪れたいと思っていたその街の映画館から思いがけずオファーが届き、二つ返事で快諾したのだそうだ。

「人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない」

阿部寛さんが映画の中で語っていたのを思い出す。ただし、そこに後悔ばかりが先にたつような悲壮感はない。むしろこういうことの繰り返しで、人生は強く、太く、意味を成していくかのような清々しさが、ずっと漂い続けている。

トークショーがはじまる1時間半も前に「時の鐘」で目を輝かせていた是枝監督の様子が目に浮かんだ。

「ちょっとぶらぶらしてるんです」

奇しくも『歩いても 歩いても』という映画によって引き寄せられたこの街で、あのとき、是枝監督はぶらぶらしながら何を想っていたのだろう。

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かつて川越に存在した「もうひとつの映画館」川越シアターホームラン(すごい名前でしょ?)の閉館に寄せたブログ記事はこちらからご覧いただけます。併せてどうぞ。

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