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2008/09/17

『崖の上のポニョ』

渡英前のバタバタで試写を観れず、帰国後も財布の中に前売り券を眠らせたままの状態で、ひと月半。もうそろそろ混雑は解消されたろうと重い腰を上げて近所のシネコンへ向かうと、なんとだだっ広い客席に、観客は僕ひとりでした。

935828208_111そんな感じで、ちょっと贅沢な、ちょっと申し訳ないような感じで始まった、一足遅い『崖の上のポニョ』鑑賞。

皆さんはこの映画、どう思いました?

僕はというと、こんな感じでした。

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僕ははじめ、この映画が怖くてたまらなかった。というのも、冒頭シーンに触れた瞬間、本作が「生」と共に「死」を扱うのでは、と思えたからだ。

文化人類学者の中沢新一が自著「アースダイバー」(講談社)で唱えているように、海に迫り出した「岬」という場所は古代から「生と死の境界」として認識されてきた。人間の魂は海からやってきて、そして海へと帰っていく。そして岬ではその両者が混在する。そんな宗教観念は日本中の至る所に見られ、たとえば東京タワー付近に宗教遺跡(古墳など)の集合体があったりするのも、かつてあのあたりが海に迫り出した岬だったことに起因する。

この映画のメイン舞台となる「崖の上」、それはまさに海に迫り出した聖地であり、これからこの場所で何らかの生死に関する儀式的なやりとりが交わされるであろうことは初めから容易に想像がつく。

それを裏付けるかのように、宗介とリサが車をすっ飛ばして向かう先は、幼稚園に隣接したケアセンターだ。両者は「抜け穴」ひとつで繋がっており、宗輔がひとたびそこをくぐり抜ければ、平均年齢がグッと上がったり下がったり。幼稚園側でひとり華やかに着飾った久美子ちゃんがツンとおすまし顔を突きつければ、ケアセンター側でもちょうど同じ感じの青い服に身を包んだトキさんが「フン」と連れない態度をとる。「抜け穴」はまるでタイムトンネルだ。あたかも久美子ちゃんが歳をとってトキさんになったかのような仕掛けがここにはあり、若さ(生)と老い(誤解を恐れずに言えば、死)は対局ではなく同列として扱われ、生命の出入り口ともおぼしきこの場所では両者の垣根も曖昧になっている。そういえば『ハウルの動く城』でも少女は魔法にかかり瞬く間に老婆と化す。このあたり、宮崎監督のこだわりとしか言いようがない。

とすると、「海」は生と死の源というべき神聖な場所だ。そこへ航海に出た耕一が「今日は帰ってこれない」と言う。かつて『となりのトトロ』でも「帰ってくるはずの母」の「不在」は死を予感させた。この「海」と「不在」という2つのカードが揃うと、僕の脳裏にはやはり「死」という言葉がよぎり、母子が海に向けてライトを照らすシーンに、遙か宇宙、あるいはもう二度と戻ることのできない黄泉の世界と交信しているかのような印象さえ受けた。そして案の定、耕一は暴風雨にさらされ「船の墓場」にまで接近し、生命の危機に瀕することになる。

そうやって海へ迫り出していく生命があれば、逆に海から猛烈な勢いで走り込んでくる生命もある。それがポニョだ。

そもそも人間は母の胎内で魚のような形態をしているという。それから手が生え、足が生え、月が満ち(近づいてくる月)、羊水が満ち(町を覆いつくす洪水)、そしてふんぎゃあと新世界にハローを告げる。

時にリサは女神と二人で話し込み、力強い表情で「だいじょうぶ」と笑う。これは新たな生命の誕生を受け入れた瞬間にも思えるし(受胎告知)、あるいは宗介とポニョが同年齢であるということから、将来子供たちが誰か守るべき人と一緒になるというイメージをも受け取れる。いずれにしても広い意味で「新たな家族の編入」とも解釈できる。フジモトさんだって、あんなに「どうか娘をよろしく」と丁重になっていたことだし。

しかしこんな喜ばしい瞬間にも、生と死はポジティブに顔を覗かせる。『崖の上のポニョ』の興味深い点は、ポニョとともにケアセンターの老婆たちまでもが元気に“走っている”という点である。最初に述べたとおり、ここでは幼稚園と老人ホームの垣根は至極曖昧なものとなっており、両者は同列である。とすると、久美子ちゃんがトキさんと重複して見えたのと同様に、5歳児とおぼしきポニョが生死が混在したこの場所で70歳のおばあさんである可能性だって否定はできない。

先ほど「新たな家族の編入」と書いたが、僕らは出産や結婚のみならず、年老いた家族の編入さえも身近に感じながら生きている。私事で恐縮だが、僕はいま93歳になる祖母が「どうぞよろしく」といって新たな家族の仲間入りを果たした日のことを生涯忘れないだろうし、以前、『ポニョ』を観たばかりの妹が祖母の後ろ姿を見て「おばあちゃん、ポニョみたいだね」と笑ったのを思い出す。

つまり、「ポニョ」とはその形態に象徴されるような幼児的な存在ではなく、人生のどこにでも形を変えて偏在するものなのかもしれない。愛、勇気、喜び、哀しみなどなど、生命の躍動を感じる瞬間であれば、いつだって。

そしてこの映画のラストに描かれる儀式的な流れは、出産、結婚にとどまらず、こういった年齢や世代と共に変容する幅広い意味での「家族の姿」を描いていたのではないか。

すると宗介が母のことをリサと名前で呼んでいた理由がここでようやく明らかになる。彼はケアセンターでも老婆たちを名前で呼ぶ。幼稚園でも同様。そこに加わってくる「ポニョ」という新たな名前。

この世界では決して「家族」が限定されない。名前ある全ての者に家族としての可能性が付随する。

宮崎駿が子供が「生まれて初めて観る映画」として愛と冒険の物語を描き出したその先には力強い「家族のあり方」が見えてくる。それこそ母親の胎内から地球全体をも包み込むほどダイナミックなあり方が。『崖の上のポニョ』は「閉じた家族」ではなく「開いた家族」、さらには「+アルファ」で「進化していく家族」の物語だったと、僕は考えている。

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『崖の上のポニョ』DVDは、2009年7月3日リリース

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