« 『WALL・E ウォーリー』 | トップページ | 『トルパン』 »

2008/10/17

『ブロック・パーティー』

Blockparty

そこには何ら政治的主張があるわけでもなく、ましてや拝金主義のオーガナイザーがバックで葉巻をふかしているわけでもない。

ただその場所から、とびきり面白いことを発信したい。みんなを驚かせたい。ドキドキさせたい。そんなイタズラ好きの子どものような純たる想いが、ブルックリンに一夜限りの魔法を起こす。仕掛けたのは黒人スタンダップ・コメディアン、デイヴ・シャペル。住宅街の狭い一角に突如ステージが出現し、どこからともなくカニエ・ウェスト、モス・デフ、エリカ・バトゥ、ザ・ルーツ、コモン、ローリン・ヒルなどなど、この街とゆかりの深いブラック・ミュージック界の豪華面々が集まってくる。みんなシャペルの掲げた趣旨に賛同した人たちだ。つまり、この一夜を楽しみたい、と。

お客はもちろんフリー。ブルックリンの住民に限らず、シャペルが地元オハイオで招待した「日頃お世話になってる人たち」だって遠足のようにバスに乗り込みやってくる。それはお偉方や業界関係者などではない。もっと身近な生活に根ざした、雑貨屋のおばさんだったり、道ばたで出逢った老若男女だったり、いろいろだ。しかし当日は予想を上回り近隣からもこの街を目指して多くの音楽ファンたちが詰めかけてくる。ある者は「ネットで知った」と言い、「でも場所は知らないんだけどね」とも。

ステージの準備は着々と進み、アーティストも集結、オーディエンスの態勢も整った。いよいよステージの幕が上がる。湧き上がる興奮、バックステージではシャペルが出演者に声をかける。誰かが神への感謝を口にする。一神教ではなく、他の神々への配慮も忘れない。誰もが敬虔な想いを増幅させ、興奮は一点に研ぎ澄まされ、別の次元へと昇華されていく。さあ、いよいよステージに上がる時間だ・・・!!!

残念ながら、いまから始まる彼らの音楽について語る言葉を、僕は持ち合わせていないし、無理して語ったところでそれは陳腐な戯言になってしまうだろう。だが、彼らの音楽性やバックグラウンドを知らないからといって『ブロック・パーティー』が楽しめないということでは毛頭ない。

それは何故か。このあたりが普通の音楽ドキュメンタリーと違うところであり、ミシェル・ゴンドリーが監督を務めているゆえんと言える。このイベントは最初から「映画ありき」で進められた。ゴンドリーは企画段階からシャペルと打ち合わせを重ね、ステージの詳細やイベントのあり方など細かな打ち合わせを重ねていったという。DVDに収録されているゴンドリーのインタビュー映像で彼が眠そうな目をこすりながら語っている内容が興味を引く。

「狭いところが好きなんだ」

イベントの集客数を重視するなら、どでかい公園や広場で開催することが最もふさわしかったのは言うまでもない。ゴンドリーはここであえて、人々が予想もしない住宅街の一区画=閉所にステージを置くことを提案したという。せまい街角で出演者も観客もギュウギュウ言いながら互いに楽しむ。なるほど、この一点を取っても逆にこれまでのゴンドリー作品のあんなシーン、こんなシーンが「閉所」というワードと共に記憶検索されていく。もちろん狭いスペースだと絵的にも少ないカメラで全体をカバーすることができる。「映画」としては極めて効率的&創造的なのである。

そしてもうひとつ、監督としてのゴンドリーの役割がある。それは人と人とをカメラの前で結びつけることだ。彼は単なるイベントの傍観者になるのではなく、そこから能動的に面白いコメントや表情を引き出すべく、様々な要素を掛け合わせて化学反応を呼び込んでいく。だからこそカメラに慣れたアーティスト以上に、街で出逢ったごく普通の人たちのコメントが面白い。このドキュメンタリー映画は、音楽以前にとても魅力的な会話に満ちている。もちろん実際はこの何十倍にも昇るフィルムが回っているはずなのだが、ゴンドリーはこれらに漠然と「ストーリー」を見出し、自分の映画文法にあわせて見事に配置し直している。

たとえば、冒頭にシャペルに誘われ、ウィリー・ウォンカのごとくゴールデン・チケットを手渡された白人の中年主婦が言う。

「いったいぜんたい、なにを着ていけばいいのかしら?」

出発準備に追われながら途方に暮れる彼女は、その実、遠足の前みたいに楽しそうだ。大の大人がこんな表情を浮かべてるシーンに出会えただけでなんだかすごく満ち足りた気分になれる。「ラップなんて聞いたことないのに」そう語る彼女に、僕を含めた多くの観客の心が追随するだろう。彼女と僕らは共にバスに乗り込むのだ。ブラックミュージックからいちばん離れたところから、ブルックリンの聖地を目指すのだ。そこではディズニーランド級のドキドキから噴射される未体験の音楽シャワーが待っている。

そして、もうひとつの“ウィリー・ウォンカ”ゴールデン・チケットを手に入れた、地元大学のマーチング・バンドの生徒たちも重要だ。シャペルがたまたま出逢い「ショーに参加してくれないか?」とスカウトした彼ら。彼らはプロフェッショナルのアーティストでもなければ、顧問と校長とが話し合った結果、ステージにさえ立つことさえ許可されない。しかしシャペル&ゴンドリーは彼らをチャーター・バスに乗り込ませ、ブルックリンへと送り込む。このプロジェクトにおけるある種の精神的存在を彼らに託すのだ。いったい何のために?

それはやはりゴンドリーの言う「化学反応」に尽きる。彼らの存在があるからこそ、アーティストたちは仕事仲間どうしでは切り出せない、とてもソウルフルな言葉さえも切り出せる。夢を語れる。未来を語れる。路上でマーチングを繰り広げる彼らのあの堂々とした表情。活き活きとした瞳。またそれを見つめる観客やアーティストたちもキラキラした尊敬の眼差しをいっせいに注ぐ。

未来、フューチャーってやつは、いつもぼんやりと立ち上がってくる。人々が意識しないうちにフッと立ち現れる。しかし実態は無い。『僕らのミライへ逆回転』がそうだったように、喧噪の中でそれが立ち現れる瞬間がある。その気配に気づいた人はふと周囲を見回すかもしれない。

映画と音楽とのコラボレーションによって生まれたこの『ブロック・パーティー』は、まさにそうした瞬間をつかまえた作品だ。なぜかは今もって分からないが、この映画からはこの地域とあらゆる世代を巻き込んだ未来の胎動が、微かに、でもたしかに聞こえてくる。

↓この記事が参考になったらクリックをお願いします。

------

TOP】【過去レビュー】【DIARY

|

« 『WALL・E ウォーリー』 | トップページ | 『トルパン』 »

【監督:ミシェル・ゴンドリー】」カテゴリの記事

【音楽×映画】」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/137483/42815257

この記事へのトラックバック一覧です: 『ブロック・パーティー』:

« 『WALL・E ウォーリー』 | トップページ | 『トルパン』 »