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2008/10/02

『トウキョウソナタ』

『CURE』『叫』で知られるホラーの名匠・黒沢清が、トウキョウの現在を舞台に、バラバラに零れ落ちていくひとつの家族の絶望と、やがて仄かに芽吹きはじめる希望とを描く。

今年のカンヌ国際映画祭では「ある視点」部門審査員賞を受賞。

マイホームも手に入れ、子どもたちは自由に育ち、父親の威厳も、夫婦関係も、いまのところは別に問題なし。その一家はトウキョウに暮らす理想的な家庭、のはずだった。

でも、その火種は、
もうずっと前からくすぶり続けていたのかもしれない。

父(香川照之)は会社にリストラされたことを家族に告げられず、
大学生の長男(小柳友)は実態ある生き方を求めてアメリカ軍に志願し、
母(小泉今日子)は家族の誰にも相手にされない孤独に埋もれ、
そして小学生の次男(井之脇海)は、給食費をレッスン費に充てて、
ひとりこっそりとピアノを習う---

それが現状。家族の“本当の姿”だった・・・。

眩いばかりの透明感の中で、コミカルとシリアスの狭間をたゆたうように、ホームドラマが浮遊していく。ひとつひとつの演出もコメディからホラーに至るまでの広い振れ幅を持つ。香川照之の慌てた素振りに笑いがこみ上げたかと思うと、次の瞬間には胸に突き刺さるほどの顛末が待っていたりする。まったくもって油断ならない。

たとえば、二階(子どもの世界)と一階(大人の世界)とを繋ぐ「階段」が、どんな凶器にも増して恐ろしく映し出されたりもする。

そして何より、そばにいるはずだった人・物の「不在」を身体の一部をふいに奪われたかのような恐怖へと仕立て上げる演出は、黒沢清の真骨頂といえるだろう。

なるほど、黒沢清が持論として語るように、意識的であれ無意識的であれ、「あらゆる映画にはホラー的側面が介在する」。黒沢清は意識的なサイドの代表格であることは言うまでもないが、昨今、彼の作風がホラーと名付けられた枠から果敢にはみ出し、新たな土壌での培養を遂げようとしている息吹を誰もが感じていることだろう。

『トウキョウソナタ』でもそれは巧妙に機能する。ホラーの側面を浮き立たせ散りばめるのではなく、方向性はむしろ逆。自身のホラー色を徐々に観客の意識できないレベルにまで沈静化、あるいは解体していくことによって、そこで灯る仄かな希望の光を逆説的に浮かび上がらせる。

だからこそ、僕らがこの映画の大部分で不協和音として知覚していた黒沢流のダークサイドが徐々に影を潜めることによって、黒沢清の未知なる部分が浮かび上がってくる。それらは音と音とを協調性の内に繋げ、和音を成し、そして未完ながら微かに「ソナタのようなもの」を奏で始める。

僕らはやがてその光を『トウキョウソナタ』と呼ぶだろう。それは同じカタカナ題名の『アカルイミライ』をさらに具体的に進化させた黒沢清なりの現代に対するアプローチであり、『ニンゲン合格』に登場する酷似したシークエンスをアイディアのみならず精神性の部分において大きく開放した作品といえるだろう。

ちなみに、香川照之、小泉今日子、津田寛治、役所広司など、 これ以上はないキャストの中、次男の担任役を演じるアンジャッシュの児嶋一哉には要注目だ。

とある出来事をきっかけに生徒から学級崩壊の制裁を浴びる彼。
短い出演シーンながら、これほど鮮烈なイメージを残せる逸材はそういない。これは映画界にとって思わぬ収穫となるかもしれない。

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トウキョウソナタ
監督:黒沢清
出演:香川照之、小泉今日子、小柳友、井之脇海、
井川遥、津田寛治、役所広司
(2008年/日本・オランダ・香港)ピックス

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