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2008/11/06

『私のマーロンとブランド』インタビュー

10月26日にすべての日程を終了した第21回東京国際映画祭。その閉会式で「最優秀アジア映画賞」を受賞したのはクルド系トルコ人、フセイン・カラベイ監督による『私のマーロンとブランド』でした。

すでに複数の映画祭で受賞を重ねてきた本作は、トルコ・インディペンデント界が生み出した鮮烈な一作であり、イラク戦争によって引き裂かれた男女の姿を通して、現代に生きる人々の先入観や無理解といったものに大きく切り込んだ、実に勇気ある一作です。

閉会式前日、幸運にもフセイン・カラベイ監督にインタビューすることができました。はたして彼の口からどんな言葉が語られたのでしょうか。超ロング・ロング・ロング・インタビューをお届けします。

<あらすじ>

とある映画の撮影現場。 イラク版「スーパーマン」の主演として名高いクルド人(中年)俳優ハマ・アリと、イスタンブール出身の(ふとっちょ)女優アイチャが恋に落ちた。撮影が終わり、それぞれの祖国に帰っていくふたり。離ればなれになっても電話や手紙などで愛を確かめ合う期間が続くも、そんなさなか、アメリカによる容赦ないイラク攻撃が幕を開ける。繋がらなくなる電話。届かなくなる手紙。テレビでは空爆映像がリアルタイムで流れているのに、ふたりの実際の距離は、いま、こんなにも遠い。いつしかアイチャは我慢の限界に達する。もうジッとしてはいられない。彼女はハマ・アリの住むイラク北部を目指して命がけの危険な旅に踏み出していく・・・。

********************

●それはフィクションであり、ドキュメンタリーでもある

---本日はお時間を作っていただきありがとうございます。映画祭期間中、もうお逢いできないんじゃないかと半分あきらめかけていたのですが、上映中に急に連絡が入り、飛んで来ました。

【フセイン・カラベイ(以下:カラベイ/監督)】

私もお逢いできて嬉しいです。

---実は『私のマーロンとブランド』というタイトルを最初に目にしたときコメディかと思ったんです。で、実際に観てみると微かなユーモアを匂わせながらも切実なロードムービーが刻まれていて、この映画のクオリティに心底衝撃を受けました。

【カラベイ/監督】

ええ、分かります(笑)。コメディと思われても仕方ないですよね。後の方の感想はとても嬉しいです。

---トルコ語での原題は"Gitmek(ギトメック)"というそうですね。どういった意味なのでしょうか?

【カラベイ/監督】

"Gitmek"という原題は、英語にすると"going on the way"「旅をする」といったところです。それもただの物理的な旅というだけではなく、心や精神の旅といったものを含めます。

英語タイトルに関しては私が自分で付けました。この物語はアイチャというトルコ人の女優が、恋人であるクルド人の俳優に再会するため、たったひとりでイラクを目指す旅の話ですので、当初"By myself"というのも考えたんですが、 うーん、どうしようかな、と。

結局、彼女が恋人に向けて贈る詩の中で最も印象的だったフレーズ「私のマーロンとブランド」を採用することにしました。

---この映画は実話をベースにしていて、さらには主役をはじめその当事者たちが映画の中でも自分自身を演じているそうですね。

【カラベイ/監督】

その通りです。すべて彼ら自身が演じています。

---そのことを差し引いても、アイチャのたどるイラクへの旅は「ドキュメンタリー」と呼んでも過言ではないほど凄まじい臨場感を放っています。

【カラベイ/監督】

そもそもドキュメンタリー作品というものは、ある意味フィクションよりもフィクショナルである場合があります。逆にフィクションの場合でも、方法論によってはよりリアルに構築していくことが可能です。いずれにしても、その境目を「こうだ!」と決めてしまうことには物語の可能性を狭めるものだと思います。重要なのは、どういうやり方で、何を描くかと言うことです。

---はい。

今回の作品では「劇中劇」という要素もありますし、他にもフィクションなのにあえてドキュメンタリーに肉薄して描いているシーンもあります。そういった意味ではドキュ・ドラマといえるかもしれません。

ただメッセージ性の部分で言うと、決して実話にひきずられるのではなく、私自身の伝えたいものをきちんと描こうと心がけました。

---この撮影過程は主演女優のアイチャさんにとって「悲劇の再現」ということにもなります。それを可能にしたのはひとえに彼女の女優としての魂の強さだと思うんですが、そもそも監督はどのように彼女に企画を持ちかけたんでしょうか。

【カラベイ/監督】

Karabey01

私は映画の世界に入る前に、4、5年間、俳優について学び、主に演劇の現場に接していました。そこで気づいたんですが、そもそも観客というものは演技者に対して「誠実さ」や「リアリティ」といったものを求める傾向にあるようです。ただし当の俳優側はこれと大きく異なっていて、むしろ本来の自分と整合性の高い役柄を演じられることは稀です。つまり俳優という職業は、常に自分の内側に矛盾や葛藤を抱えた存在といえるでしょう。

だからこそ最近の映画監督は、嘘のない表現を求めて素人の俳優と組みたがるのかもしれません。私もいったんはそう考えていましたが、今回、思い切ってプロフェッショナルの俳優を使う方向でやってみようと決めました。

私はアイチャにこう話を持ちかけました。「あなたはこれまでいろんな役柄を演じてきましたよね?だったら自分自身を演じるのはいかがです?」。すると彼女は少し考えてから「ちょっと怖いけれど・・・やってみる価値はあるわ」と答えてくれました。

---彼女はプロフェッショナルな女優だからこそ、「自分自身を演じる」という究極の選択肢を受け入れたわけですね。

【カラベイ/監督】

そのとおりです。そしてこれは後から知ったことですが、どうやら彼女も自分の物語を誰かに語りたいと思っていたようです。さらに彼女は単に演じるだけではなくて、私と一緒にこの映画の脚本を書き上げてくれました。

周囲の知人たちは彼女が自分の人生を演じるということで大いに驚きましたが、この勇気ある決断の結果、彼女は現在までに世界の映画祭で3つの賞を受賞しているんですよ。

●トルコに生きるクルド人について

---ここで描かれた物語はトルコ国内で有名なのでしょうか?

【カラベイ/監督】

いえ、残念ながら全く知られていません。

---だからこそ、いま語る必要があったわけですね。その背景を教えていただけますか?

【カラベイ/監督】

はい。トルコではいま、移民や少数民族が暴行に逢う事件が頻繁に見られます。民族間の対立は日を追うごとに深刻になっています。私はクルド系のトルコ人なのですが、こういう状況が深刻化すると、たとえばテレビドラマなどでもクルド人に対してステレオタイプ的な描かれ方が進んでいきます。トルコ語が下手である、頭が悪い、テロリスト、殺人者・・・といった具合に。

私はアイチャの目線を通して、そうした偏りのある見方をなんとか打ち砕きたいと想いました。ある人にそのことを話すと、「こんなストーリーで君の夢物語を実現するのは不可能だよ」と笑われました。

---この映画には本当に多くの魅力的なクルド人が登場します。

【カラベイ/監督】

ええ。たとえば70歳くらいのお婆ちゃんが登場します。彼女はヨボヨボした風貌ではなく、かくしゃくとしていて、ふと哲学的な言葉を口にしたりもします。アイチャが旅の運命を託すタクシードライバーにも印象的なキャラクターが幾人も見受けられます。

話が前後しますが、この映画のオープニングは非常にコミカルな語り口で彩られていますよね。とある映画の撮影現場で、離ればなれになる以前のアイチャと恋人のハマ・アリがホームビデオを使ってアカデミー賞のスピーチごっごに興じている。「あなたはクルド人、好きですか?」という質問にアイチャは笑顔で「ええ、好きよ。とくに男性がね!」とコミカルに答えます。

---とても印象的なシーンです。

私はこのシーンがとてもチャーミングに仕上がっていて大好きなのです。そしてきっと、私もあなたも、トルコ人もクルド人も、そのほかどんなバックグラウンドの人にも、同じようにふっと心の緊張を緩めてもらえると思うんです。私は冒頭のこのシーンで、それぞれの観客が持つ文化的な隔たりをきれいさっぱり取り去りたかった。

---なるほど。

つまり人間はみんな同じなんです。クルド人だって誰だって、同じユーモアのセンスを持ちあわせているし、馬鹿じゃないし、テロリストでもなければ、ただおどけているだけの連中でもない。

私にとってはこれはとても大事なテーマです。だからこそ、この物語に心を奪われ、そして映画として描きたいと思ったのです。

---いま語っていただいた内容にとても圧倒されました。ここ日本に暮らしていては想像すらおよばないことです。

【カラベイ/監督】

そう言っていただけると嬉しいです。トルコでいま何が起こっているかというと、まさにこの「無知」の伝染です。人々は「知らない」からこそ、たやすく嫌うことも、憎むことも可能になる。逆にその人を少しでも知っていれば、嫌ったり憎んだりといったことから距離を置くはずです。人々に関する正確な知識や情報が不足しているからこそ、このような深刻な対立が生じているのだと思うんです。

●演技を越えて突き進んでいく「旅」

---トルコ人であるアイチャは、恋人の住むイラクに向けて果敢に国境越えしようと試みます。その過程でイラクとの国境付近や、迂回先のイランで足止めを食らい、まるで演技とは思えないレベルにまで表情を引きつらせていきますよね。

【カラベイ/監督】

国境のある東トルコという地域は非常に軍人も多く、検問所などでは特に人々に圧力をかけようとする空気があります。ああいうところにいくと誰だって恐れを感じて気持ちが小さくなってしまいます。映画の中でのアイチャは条件反射的に表情が引きつってしまったのでしょう。あんな恐ろしい雰囲気は何度体験しても一向に慣れないものです。

イランに関してはちょっと事情が違います。この国では女性の行動が極度に制限されている。アイチャは最初そのことに無頓着ですが、2度くらいイラン人に「スカーフで髪を隠しなさい」と厳しく注意されることで、ああ、自分は全く違う文化圏にまでやって来てしまったのだ、と気づかされます。

---あのリアルな恐怖の表情はあなたの演出によるものですか?それとも彼女自身の生々しい記憶が呼び覚まされた結果だったのでしょうか?

【カラベイ/監督】

基本的に私のほうから彼女に「こういう演技で行きましょう」と提案することはありませんでした。もっとも彼女が不自然に笑ってたりなどしたら「その笑いはナシで!」と厳しくダメ出ししたと思いますが。

彼女にとって「過去の記憶が蘇ってくる」という瞬間は多かったと思います。そんな精神状態も含めて、彼女のあらゆる表情はそれぞれの現場で、ごく自然に滲み出てきたものです。

---ラストシーンについて伺います。恋人と出会えず、連絡さえも途切れがちになって途方に暮れるアイチャを、クルドの老人がそっと家に招き入れます。僕はこのとき、かつてイスタンブールのアパートメントで彼女と衝突の絶えなかった隣部屋の孤独な老人のことを思い出しました。まるでイスタンブールで拒絶したはずの老人と、ここイランで思いもかけず和解したかのような感慨が湧き起こったのです。

【カラベイ/監督】

あなたのその解釈は正しいです。私が託した想いを正確に受け止めてくれています。そして興味深いことに、昨日もこのシーンについて同じ質問を受けたんですよ。

私が考えるのは、まず都会とカントリーサイドでのコミュニケーションの違いです。昨今、都会の日常では誰もが忍耐に欠けているように思います。すぐにワッと衝突してしまったり、怒りの発し方も感情的になってしまったり。同時に無関心・無理解も蔓延しています。アパートの上の階、下の階で誰が住んでいるのかも知らなかったり、人と人との距離が格段に遠くなってしまっている。

それに比べてカントリーサイドでは、たとえ言葉を介さなくても人間と人間が心と心でコミュニケーションができる土台がまだ残っている。つまり人間性といったものがまだ文明に押しつぶされていないんです。

私はこのシーンに人間性を回復させるための大きな希望を見出しました。それがあの老人の行動に象徴されているのです。

つまり、「他者を招き入れる」と。

●トルコ映画のいま、そして映画の可能性について

---トルコのインディペンデント映画は世界中の映画祭で脚光を浴びています。カラベイ監督はその渦中にいて、この躍動の最たる理由を何と考えますか?

【カラベイ/監督】

Karabey02

トルコは非常に大きな国で、多くの問題を抱えています。表現の規制も存在します。私たちの世代は比較的にノンポリな人が多いですが、だけれども非常に政治的な問題がくすぶる環境で育ったことには変わりがないので、そういったことに多かれ少なかれ影響を受けていることは否定できません。

その一方、トルコではいま若い才能がたくさん世に輩出されようとしている。この背景には一時代前の監督たちの成功があります。セギ・デミルクブス、ヌリ・ビルゲ・ジェイランといった監督たちが、インディペンデント映画を携えて世界中で大きな脚光を浴びている。

彼らのおかげで若い人たちは「メインストリームに屈しなくてもだいじょうぶなんだ!もっと自由にやっていいんだ!」と勇気づけられたのです。きっとあと5年ほどすると、ストーリーも多様な面白い手法の作品がたくさん実りを見せ始めると思いますよ。

---いよいよ最後の質問です。これは僕がインタビューをする全ての方にお聞きしているものです。ご自由にお答えください。

【カラベイ/監督】

緊張しますね。何を聞かれるのでしょう?

---今の世の中、人に想いを伝えることがとても難しくなっていると思います。そんな中であなたは「映画の持つ可能性」をどう考えますか?

【カラベイ/監督】

私は映画の可能性を信じる者です。可能性はたくさんあると思ってます。

第一に、人間は素晴らしい映画を観るとそれをずっと記憶してますよね。どうやらそれは人間が自分の身に起こった体験を記憶するやり方と共通しているようなんです。つまり、映画を観ることによって何らかの深い刺激を受けると、それを実体験に近い記憶として、様々な感情を呼び起こす、と。これに比べて、学校で習ったことやニュースで得た知識というものは、それほど影響力を持たないと言われます。

こういった映画の作用は、私たちに忘れかけていた「人間性」をいとも簡単に思い起こさせてくれる。そうやって生まれた小さな胚芽がやがて物事を大きく変革していく原動力として花開いてくれるものと私は信じています。

---なるほど、これはあなたがこの映画で伝えたかったことと共通しますね。

【カラベイ/監督】

私は「これが言いたいんだ!」という具体的なメッセージを提示するのではなく、逆に世の中に対して疑問を投げかけたり、問題提起をしたいと考えます。観客の心に何らかの感情を呼び覚まし、少しでも共感の波を拡げていければ、それだけで世界は変わったも同然だと思う。

同時に、「こういうことだけは連想したり考えたりしないでほしい」といった願いもあるんです。

それは、差別、戦争、暴力。

人々を苦しめるこれらの忌むべき要素を私は憎みます。ですが、あとのことについては、すべて観客の自由な解釈に委ねたいと思います。

---いまの言葉しっかりと胸に刻んでおきます。本日はありがとうございました。

【THE END】

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