『マイ・ブルーベリー・ナイツ』

300文字レビュー」とは、映画への想いをたった300文字に凝縮させる、とてもお手軽な文系スポーツ。というわけで、今回のお題は『マイ・ブルーベリー・ナイツ』です。

ウォン・カーウァイがアメリカの大地で見つけたもの

アヴァンギャルドな作風で知られるカーウァイが、ちょっと照れ臭くなるほど甘~い映画をこしらえた。それは失恋から次の恋までの心の移動を“5603マイルの旅”として綴ったロードムービーだ。新たな挑戦は数多い。フランス&香港の合作ながら舞台はアメリカ。脚本はめずらしく前もって脱稿され、しかも英訳化。撮影はクリストファー・ドイルから一新し(*)、映像は揺れず、色も鮮明。いたるところに紫色のイメージが忍び込み、いつか主人公の帰るべき場所=ブルーベリー・パイを静かに照らし出す。そうそう、気になるノラ・ジョーンズは、日本人が字幕を通して鑑賞する分にはとてもナチュラル。もちろん他のキャストたちの巧みなリードがあってこそなのだけれど。(牛)

(*)今回の撮影監督は、デヴィッド・フィンチャー作品などで知られる国際派、ダリウス・コンジ。

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マイ・ブルーベリー・ナイツ
監督:ウォン・カーウァイ
出演:ノラ・ジョーンズ、ジュード・ロウ、デヴィッド・ストラザーン、
レイチェル・ワイズ、ナタリー・ポートマン
(2007年/フランス=香港)アスミック・エース
3月22日より日比谷スカラ座ほか東宝洋画系にて全国ロードショー

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『デッド・サイレンス』

300文字レビュー」とは、映画への想いをたった300文字に凝縮させる、とてもお手軽な文系スポーツ。本日の執筆者は「ひまわり親方」さん、お題は『デッド・サイレンス』です。

B級ロードまっしぐらすぎて、なんか捨てがたい!

ハロウィンの風物詩『SAW ソウ』シリーズの生みの親(監督&脚本コンビ)が、何を血迷ったのかB級オカルト・ホラーを作っちまったぜ。「いっこく堂」の腹話術を見てキミョーな気持ちに襲われたことある人ならこの空気にバッチリはまっちゃうかも。なにせ腹話術人形が人を殺す、ってトンデモ映画なんだ。って、チャッキーかよっ!そこに田舎町の血塗られた歴史とか強引に絡んできて、ムチャな主人公がその謎に向かってむやみにダイブ。その巻き添えで町民もどんどん舌を抜かれて(!)死んでいく。ルールなんて完全無視!なんなのこの救いのなさは!でもマーク・ウォルバーグの実兄がおかしな刑事役を演じていて、そこだけは笑いました。(ひ)

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デッド・サイレンス
監督:ジェームズ・ワン
脚本:リー・ワネル
出演:ライアン・クワンテン、アンバー・ヴァレッタ、ドニー・ウォルバーグ、ボブ・ガントン
(2007年/アメリカ)東宝東和
3月22日より有楽町スバル座ほか春休みロードショー

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『ジェリーフィッシュ』

300文字レビュー」とは、映画への想いをたった300文字に凝縮させる、とてもお手軽な文系スポーツ。というわけで、今回のお題は『ジェリーフィッシュ』です。

イスラエルから新しい感性の胎動が聞こえる

新しい才能に出逢いたければカンヌの新人監督賞(カメラドール)に注目するといい。昨年はイスラエルの新鋭コンビがこれを受賞。まるで『マグノリア』を小さくしたようなこの群像劇は、「ウェイトレスと不思議な少女」「ハネムーン中のカップル」「フィリピン人ヘルパーと言葉の通じない老婆」の物語が同時進行し、やがて誰もが“海”や“船”のイメージに導かれ、人生という名の大海へ漕ぎ出していく。ウェイトレスは語る。「私達はしょせん第二世代なのよ」。なるほど、タイトルの“くらげ”のように瑞々しく、変幻自在。それは彼らの尊い可能性なのだ。争いの時代を超えて、この国を新たな芸術性で包み込もうとする新世代の挑戦が唯一無二の透明感を残す。(牛)

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ジェリーフィッシュ
監督:エドガー・ケレット、シーラ・ゲフェン
出演:サラ・アドラー、ニコル・ライドマン、ゲラ・サンドラー
(2007年/イスラエル=フランス)シネカノン
3月15日(土)より渋谷シネ・アミューズほかにて全国順次公開

カンヌ映画祭カメラドール受賞作を並べてみました。審査員の好みが先走りすぎたり、表現された感性があまりに新しかったりで日本未公開になるパターンも多いんですが、2005年の受賞作『君とボクの虹色の世界』や2003年受賞の『恋に落ちる確率』などは『ジェリーフィッシュ』と近しいものがあるのではないでしょうか。そしてカンヌに愛された映画人、河瀬直美監督の歴史が1997年にカメラドール受賞の『萌の朱雀』からはじまったことは言うまでもありません。

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『タクシデルミア ある剥製師の遺言』

 これは芸術か、冒涜か。

 ハンガリーからとてつもない変態映画が届いた。その名も『タクシデルミア ある剥製師の遺言』という作品。祖国の歴史に翻弄された親子3世代の壮大かつ壮絶なクロニクルである。

 物語は第二次大戦期、不気味な田舎町で幕を開ける。一面に立ち込める霧。かすかに見えてくる山小屋。そこに現れし、ヒョロッとした兵士がひとり。彼こそこの映画の起点となる御仁、ヴェンデル・モロジュコヴァーニである。彼は戦場で祖国のために命を投げ出す…なんてことはなく、どうも上官らしき男の自宅で「早く風呂を沸かせ!」だの「メシつくれ!」だのと無条件にこき使われている様子。彼の楽しみと言えば、時々、炎を見つめてうっとりしたり、上官の太った奥さんとのいかがわしいことを夢想してはついつい絶頂に達し、月夜の空に絶叫してみたり、その最中に股間をニワトリに突っつかれたり。そんな不健康な状態がついついエスカレートしてしまい、さばかれたばかりの豚を見て発情してしまったりなど、もう、とんでもない精神状態へと追い込まれていく…

 この「祖父の章」からして、モロに男根丸出し(作り物なのか?ホンモノなのか?)の猥褻っぷり全快なのだが、最初の頃こそ「とんでもない映画に触れてしまった…」と困惑すら抱えるものの、“慣れ”とは本当に怖いもので、いつしかこちらもへっちゃらとなり、だいぶ開き直る余裕すら生まれてくる。そうしたら今度は映画のほうが仕掛ける番。それまでいかがわしさ満載だったのが一転して、とんでもない創造力と芸術性を爆発させたりもするのだから、本当に一筋縄ではいかない。

 続いて、兵士の子カルマンが現れる。彼が生きたのは主に冷戦期だった。街中が真っ赤に彩られた共産主義時代に、なぜか彼は国民的大食い競技の花形選手となり、“大食いチャンピオン”の称号を欲しいままにする。そしてずっと高嶺の花だった大食い女性チャンピオンとの婚約…。

 虚構か史実か、大食い大会の模様は壮絶を極める。まさに文字通りのバキューム(大食い)&リリース(嘔吐)。観客にとって一文の得にもならない描写の繰り返し。作品資料では『モンティ・パイソンの人生狂想曲』のクレオソート氏のスケッチが例に挙げられているが、いやいや、これはクレオソートを遥かに上回る、気持ちのいい(いや、悪い)ほどに妥協のない描写っぷり。もちろん体調の悪い人ならば“もらいゲロ”する可能性だって大きい。劇場はゲロまみれになりかねない。マジで危険な事態だ。

 でもでも、これは本当に奇妙なことなのだが、この無軌道な情熱が妙に胸を打つ瞬間があるのだ。彼ら大食いアスリートたちが栄光を夢見てロッキーさながらの練習を積む場面、恋人と甘い言葉をささやきあう繊細な場面、そして競技場で“バキューム&リリース”のスペクタクルに臨む場面、それぞれに胸を打つ瞬間がある。だって、これと同時代、アメリカやソ連は宇宙に向かって必死に全知能を結集させていたんだぜ。一方の彼らは果てしなく口と胃袋を動かし続ける…これはこれで別次元の“宇宙”を目指した人類史、といえるのではないだろうか?

 で、時は現代。遂にタスキは孫へとつながり、大食いチャンピオンの息子、ラヨシュはタイトルにもある「剥製師」となる。前2世代に比べれるとその存在感もかなり地味で、大きなことを成し遂げそうな気配もない。そこに現代の若者たちが抱えた苦悩が見え隠れする。しかし彼は彼で、偉大な親たちを超えて歴史に名を残そうと静かに目論んでいる。それがなんであったのかは結末に触れるので口が裂けてもいえないのだが、人生とはかくもひとつの作品なのあり、その作品を完成させるのはこれほど壮絶きわまりないことなのだ!最初っからすっかり振り切れていた限界インジケーターが更にグルリと一回転する強烈な描写に備えて、これからご覧になる方には心臓をバンバン叩いた上で、急停止しないよう最善の努力を払っていただきたい。

 実はこの作品、NHKも出資しているサンダンス映画祭の脚本コンペで受賞し、そのまま映画化への道を辿ってきたのだそうだ。しかし出来上がった作品があまりに強烈だったため、通例の「NHKでの放送」という道を断念せざるをえなかった。こんな映画が日本で公開されてしまう奇跡を享受しつつ、この猥雑さと芸術性を重ね着したかのような唯一無二の創造世界を、そして親子3世代に渡るハンガリー史を、思うがままに味わってほしい。ただし、心臓の強い人だけね。

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タクシデルミア ある剥製師の遺言
監督:パスカル・ジョルジ
出演:ツェネ・チャバ、トロチャーニ・ゲルゲイ、マルク・ビシュショフ
(2006年/ハンガリー=オーストリア=フランス)エスパース・サロウ
3月29日(土)、シアターイメージフォーラムほか全国順次ロードショー

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『ダージリン急行』

300文字レビュー」とは、映画への想いをたった300文字に凝縮させる、とてもお手軽な文系スポーツ。たまには違う人の意見も聞きたいってことで、今回から友人の「ひまわり親方」さんが参戦してくれることになりました。その“張り手”のほどはいかに!?お題は『ダージリン急行』です。

マッチョな世界では生きにくい、このナイーブさ

体育会系のオイラにはこのナイーブさの美学が響いてこなかった。デザインとか細かいこだわりとか分かるけど、なんか人間がちっちゃい。もっとドカーン!と冒険できんかったのかな?それともオイラが鈍感すぎるのか…?列車の旅!しかもインド!という「関口知宏の中国鉄道大紀行」も真っ青なカルチャーショックに戸惑いつつ、最初はギクシャクしてた三人が少しずつ心を通い合わせていく流れに、ちょっとだけ心揺さぶられたり、やっぱ、どうでもよかったり。結局、好き嫌いなんだと思います、ウェス・アンダーソンって。いまのゴツゴツした世界情勢だとどうも存在感に欠ける気がするんだけど、でも、だからこその逃避先「インド」だったのかもね。(ひ)

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ダージリン急行
監督:ウェス・アンダーソン
出演:オーウェン・ウィルソン、エイドリアン・ブロディ、ジェイソン・シュワルツマン、
アンジェリカ・ヒューストン、ビル・マーレイ
(2007年/アメリカ)20世紀フォックス映画
3月8日よりシャンテシネほか全国ロードショー

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『地上5センチの恋心』

 「小説」というメディアを題材にしたとき、そもそもメディアとは作家と読者との仲介役だから“媒介(メディア)”なのであって、両者がその媒介をすっとばして直接的に遭遇するということは、ちょっとした異常事態だ。もしかすると『主人公は僕だった』で作者と主人公とが遭遇してしまうくらいに異常な事態なのかもしれない。

 片や、夫と死別して絶望したとき、その小説が命を救ってくれたのだとうっとりしながら語る中年女性。

 片や、彼女たち女性層の厚い支持を受けながらも、妻の浮気、新作の酷評によって精神的にズタボロになってしまう小説家。

 ある日、かの愛読者が小説家に向けて一通のファンレターを書き送ったことから、事態は思わぬ方向へと進みはじめる。そのファンレターは、かつて小説が彼女の人生を救ってくれたのと同様に、絶望のあまり自殺さえ試みた小説家の人生を軽やかに救ってくれるのだ。

 傍から何気なく見ているとこれは単なるラブコメディに過ぎないが、さすが哲学科出身で小説家でもあるエリック=エマニュエル・シュミットの紡ぎ出す構成は、メロドラマの形態を模しつつも、巧みにメディアの構造を逆転させてみせる。つまり普段は「小説家→読み手」といった流れで送信される言葉の波が、本作ではいたずらに「小説家←読み手」といった具合で機能するのだ。

 そこにシュミットの独自のこだわりか、1930年代フランスの国民的歌手ジョセフィン・ベイカーの心浮き立つような名曲が散りばめられ、主演のカトリーヌ・フロがそれに乗せて「メリー・ポピンズ」のように優雅なダンスを披露する。このシークエンスに僕はツァイ・ミンリャンの『HOLE』という作品を思い出した。

 『HOLE』では50年代香港の歌姫グレース・チャンの楽曲が脈絡もなく画面に忍び込み、静寂の中で突如ミュージカル&ダンスシーンが始まる。そしてラストに現れるのは監督によるグレース・チャンへの感謝の言葉。たしか「あなたの音楽は私に大切なものを与えてくれた」というような文言だったと記憶している。

 音楽や小説に救われた人は世の中に星の数ほど存在する。『地上5センチの恋心』はそうやって何かが自分の人生を変える魔法のような瞬間がユーモラスに刻印されている。そして「小説家→読者」の構造を逆転させることによって、その感動の重みをより巧妙に表現してもいる。小説家だって、たった一通のファンレターに心を救われることもある…この世の中は、実のところそういう心動かされる瞬間でいっぱいで、そう悪くはないものなのだ。

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地上5センチの恋心』は、3月1日よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー

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『ダージリン急行』

300文字レビュー」とは、映画への想いをたった300文字に凝縮させる、とてもお手軽な文系スポーツ。というわけで、今回のお題は『ダージリン急行』です。

列車に飛び乗らなければ映画は始まらない!

スカイブルーに黄色の文字。この配色を見ただけでハイタッチを決めたくなる。3兄弟が列車でインドを旅するウェス・アンダーソンの新作は、彼と仲良しのロマン・コッポラ&ジェイソン・シュワルツマンが実際にインドを旅しながら共同で執筆。前作の“潜水艦”から“鉄道”へと乗り換え、「人生」や「家族」といったお馴染みテーマをよりシンプルに描いた作品となっている。たとえケンカし、脱線しても、気がつけばまた仲なおり。それは世界のどこにでもある他愛もないストーリー。けれど、走り出した列車に3兄弟がスローモーションで飛び乗ってくシーンにはどうしようもなく泣けた。だってそこには旅の高揚のすべてが詰まっていたから。人生の意味が集約されていたから。(牛)

(*)ロマン・コッポラは、フランシス・フォード・コッポラの長男。ウェス・アンダーソンの出世作『天才マックスの世界』に主演したジェイソン・シュワルツマンは、ロマンの従兄弟。ちなみに、ニコラス・ケイジも彼らと従兄弟どうしです。

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ダージリン急行
監督:ウェス・アンダーソン
出演:オーウェン・ウィルソン、エイドリアン・ブロディ、ジェイソン・シュワルツマン、
アンジェリカ・ヒューストン、ビル・マーレイ
(2007年/アメリカ)20世紀フォックス映画
3月8日よりシャンテシネほか全国ロードショー

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『ノーカントリー』

●長文レビューがうんさりな方は、300文字レビューでサクッとチェック。

●『ノーカントリー』についての井戸端会議はこちら

電車の中のマナーがなってないと人は言う。サラリーマンは携帯で話し込み、茶髪の兄ちゃんは優先席にどっかり座り、塾帰りの子供はゲームに忙しく、向かいに立つ男性の耳元からはアイドルソングが大音響で漏れ聞こえてくる。ふと胸にある種の感情が去来する。それは怒りではない。自分が歳を取ったんだなあ、という実感だ。まさに“No Country for Old Men”。トミー・リー・ジョーンズ演じるベル保安官も、あのとき、こんな気持ちだったんだろうか。

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 アカデミー賞で注目を集めた『ノーカントリー』と『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』に共通する鬼気迫る感覚は、ちょうどベトナム戦争が終結して『タクシードライバー』や『地獄の黙示録』といった得体の知れない作品群が生まれてきた70年代後半と類似するように思えるのは僕だけだろうか。破壊の時代が終わり、それに対するラブ&ピースの嵐が吹き去り、そしてまた新たな時代が始まろうとしているこの奇妙な節目に、感動や涙ではなく“震撼”でもって歴史にその名を刻んだ、それがジョエル&イーサン・コーエンの仕掛ける最新作『ノーカントリー』だ。原作「血と暴力の国」が示すとおり現代アメリカ史についての物語でありながら、それを直接には描かず、ひとつの普遍的な寓話性のうちに表現した巧さも興味深いものがある。

 すべての発端は1980年代、メキシコとの国境に近い砂漠だった。ひとり孤独にハンティングに徹する男がいる。彼の名はモス。ベトナム戦争の帰還兵だ。雲が太陽をさえぎり、影が大地を暗黒色に染めていく。彼は自然と一体化し、慎重に狙いを定め、そして静かに引き金を引く。銃弾は群れの中の一匹の獲物に命中する。手負いの獲物は逃げる。しかしモスは決して動じない。血の跡を辿れば、いずれ傷つき倒れた獲物と遭遇できると知っているから。しかしこの日は状況が違った。運命にいざなわれるようにして彼がたどり着いたのは、数台の車両と無数の死体とが放置された殺戮の現場だった。そして近くには彼が一生かかっても稼げないような大金が…。やばい金とは分かっていても、彼はそれに手を出さずにはいられない。それはもはや人間として本能的、いや宿命的なものだった。

 やがて案の定、あとから追っ手がやってくる。予想もつかない史上最強の武器を従えたオカッパ頭の殺し屋“シガー”は、自分の顔を見た者ならだれでも片っ端から始末していく。いや、全員というわけではない。どうやら彼には、彼にしか理解できない“殺しのルール”があるようだ。それはコインを投げて裏か表かと尋ねること。彼に尋ねられたならもう最後。正解しなければ、“死”あるのみ。

 モスは妻カーラを説得して実家へと帰らせ、当てのない逃亡を続ける。モーテルからモーテルへ。何度もギリギリのところでシガーの襲来を振り切る彼は相当なラッキーボーイらしい。そりゃそうだ、あのベトナム戦争を生き抜いた人間なんだもの。やがてこの血なま臭い事件を追って、老保安官ベルが乗り出してくる。モスを助けることを約束した彼に、カーラはこう言う。

 「夫は、こうと決めたら絶対にあきらめない人なの」

 果たしてモスは悪夢のような殺し屋から完全に逃げ切れるのか。そして老保安官はこの恐ろしい難事件に終止符を打つことができるのか。彼らに待ち構える運命とは…?

 音楽が極限まで削ぎ取られた…とは既におびただしいメディアによって伝えられているが、これはよくあるリアリズムに徹した「ドグマ95」的な作品であるという意味ではない。むしろ数十人のオーケストラが映画の背後で楽器を構たままの姿勢で122分間を無音でやり過ごしたかのような(つまりジョン・ケージの奏でた「4分33秒」のような)印象を抱かずにはいられなかった。音楽は削がれたわけではない。無という方向性に増殖されているのだ。

 その証拠に耳を澄ませば和音を成さない様々な音色が聞こえてくる。乾いた風や大地の躍動、それに不気味な運命が刻々と忍び寄ってくる気配…。次第に観客の五感は驚くほど研ぎ澄まされていく。なるほど、僕らはいつの間にか、砂漠で逃げ惑う野生動物に成り果てていたのだ。どの生態系にも追う者と追われる者がいる。どちらも五感をフルに活用して、生き残りを賭けて走り続けねばならない。それが人生なのであり、それが人間の宿命なのかもしれない。

 と突然、「ボシュッボシュッ」という音が静寂を切り裂く。人間の世界にもハンターは存在する。ハビエル・バルデム演じる殺し屋“シガー”の登場する時間だ。いつも酸素ボンベのようなものを抱えながら、驚くべき方法で出逢った人々を次々とあの世へ送還させていく、到底この世のものとは思えぬこの男。逃亡中のモスがたまらずこう口にするシーンがとりわけ印象的だ。

 「…あいつは究極の悪なのか?」

 それは観客の疑問を素直に代弁したものでもあるだろう。ベトナム戦争に従軍し、つい先ほどまで砂漠の真ん中で獲物に銃を向けていたモスが、今では予想もつかない殺し屋に追われている。このどうしようもない不条理さは筆舌に尽くしがたい。

 いつしかシガーは雇い主さえも抹殺し、傷を負いながらも執拗にモスを追い続ける。もはや何が彼をそこまでさせるのか分かりゃしない。そしてこの男、ただ恐ろしいだけではない。本作における“緊張”と“弛緩”をひとりで気まぐれに振り回し、凄惨な反復の中に思わずふっと笑ってしまう珍場面も数多い。この意表の付き方こそコーエン兄弟の真骨頂。まったく凄いことをやってのけるものだと、感心することしきりである。

 果たして彼はモスの言うように人知を超えた悪魔的存在なのか?はたまた神の使いでさえあるのか?彼のルール(コインゲーム)に運命に身をゆだねた人間たちは次々に抹殺された。彼の正体はついに何ひとつ判明しないが(この曖昧さが本作を究極なまでに普遍的な作品へと高めている)、悪魔でも天使でもあり、また“運命”という名の不気味なうねりのようなものですらあるかもしれない殺し屋シガーは、なにもモスだけでなく、僕らのごく身近なところにも姿カタチを変えて遍在するもののように思えてならない。あの恐ろしい武器をドアの錠シリンダーのあたりにグイと構えて、今にもこちらを急襲しようと隙をうかがっている可能性は誰にも否定しようがない。そのあたり、現代における神話性すら感じるし、この荒廃しきった時代における“黙示録”と捉えることも可能なのかもしれない。

 と、極限まで翻弄されているうちに、僕らはついつい3人目の主人公のことを忘れてしまいそうだ。

 どの時代においても“語り部”は年寄りの役回りと相場が決まっている。この映画がトミー・リー・ジョーンズ演じる老保安官のモノローグによって始まり、再びモノローグによって幕を閉じようとするとき、僕らは“NO COUTRY FOR OLD MEN”という原題を深く噛み締めることになるだろう。彼は必死になって事件を追いかけるが、遂にはふたりに遭遇することすら出来ずにフェイドアウトしていく無力な存在だ(ゲームに参加する資格さえもらえなかった哀れな人間のように思えてならない)。

 彼に出来ることといえば、今やかつての仲間と共に「もう若くはないんだな」とボヤくことくらい。「むかしはこんな事件なんて存在しなかった。…時代はどんどんひどくなる」と。この瞬間、彼はそうやって老いを実感する中で、ふと、その延長戦上にある人生の終着駅について想いを馳せる。いつの日か自分にも天国の扉を叩き、かつて自分よりも若い年齢で死んでいった父親と再び対面する瞬間がやってくるのだと…。

 僕らは、この老人たちの抱く心象風景に言葉を失ってしまう。でも同時に、彼らが(いや僕らもまた)暗黙のうちに参加させられている“人生”という名のゲームの存在に心揺さぶられずにはいられない。たとえシガーのごとき底知れぬ存在の手から逃れられたとしても、いつの日か、僕らには等しく“死のとき”が訪れる。人生とはかくも不条理なゲームの数々によって重層的に覆われており、人間は最終的に神の仕掛けたこの生死を賭けたゲームにいくら抗おうとも、決して逃れることは出来ないのである。

 「表か―裏か?」

 シガーのセリフが耳によみがえってくる。それは人間が最期の瞬間に神より授かる「よき人生であったか?」という問いかけのようでもある。かくも不気味で鮮烈なサスペンス、ミステリー、ヒューマンドラマな『ノーカントリー』に僕が投影したのは、そうやって生まれたときから死をめぐる壮大なゲームに参加させられた、可笑しくも哀しい人間たちの姿なのだった。

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ノーカントリー』は3月15日より日比谷シャンテシネほか全国ロードショー

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『地上5センチの恋心』

300文字レビュー」とは、映画への想いをたった300文字に凝縮させる、とてもお手軽な文系スポーツ。というわけで、今回のお題は『地上5センチの恋心』です。

作家と読者はファンタジックな糸で繋がっている

愛、情熱、勇気、葛藤などなど、作家とは読者に最大級の感動をもたらすもの。でもその立場をひとたび逆転させてみると…。これは挫折した人気作家がひとりの主婦から貰ったファンレターに心救われ、直接「ありがとう」と伝えたくて彼女のもとへ訪ねていくファンタジック・コメディだ。作家ではなく、あえて平凡な主婦を主人公に、その胸の内を具現化してみせる手法が面白い。というのも、彼女はジョセフィン・ベイカーの曲を聴くとミュージカルさながらに踊りだすし、愛読書に触れると路上の真ん中でフワフワと浮遊してしまうのだ。それは年齢を問わずして湧き上がる“恋心”に似た感情。ある意味“セガール気分”でもあるような気がして、個人的には大ヒットです。

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地上5センチの恋心
監督:エリック=エマニュエル・シュミット
出演:カトリーヌ・フロ、アルベール・デュポンテル
(2006年/フランス=ベルギー)クレストインターナショナル、ヘキサゴン・ピクチャーズ
3月1日(土)より、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー

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『ライラの冒険 黄金の羅針盤』

アカデミー賞 視覚効果賞、獲得!

300文字レビュー」とは、映画への想いをたった300文字に凝縮させる、とてもお手軽な文系スポーツ。というわけで、今回のお題は『ライラの冒険 黄金の羅針盤』です。

まだまだ“序章”でしかないけれど

モラトリアム中年とファンシー少年の交流を描いた『アバウト・ア・ボーイ』をご存知だろうか?この傑作を世に出したワイツ兄弟の片割れ(弟)が、大人気ファンタジーを担いで戻ってきた。舞台は地球に似たパラレル・ワールド。その存亡の鍵となる謎をめぐって、ひとりの少女が冒険の旅に出る。注目なのは監督自身『スターウォーズ』と『バリー・リンドン』を参考にしたと語る壮大なビジュアルだ。中でもクラシックな実景に精緻なCGを織り込んだ全く新しいファンタジー色に観客の胸は高鳴りっぱなし。またすべての人間に守護動物が寄り添うという独特な世界観にも深読みの楽しさが尽きない。序章としてはなかなかの滑り出し。真価は第2弾で決まると見た。

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ライラの冒険 黄金の羅針盤
監督:クリス・ワイツ
出演:二コール・キッドマン、サム・エリオット、エヴァ・グリーン、
ダコタ・ブルーリチャーズ、ダニエル・クレイグ
(2007年/アメリカ)ギャガ・コミュニケーション×松竹
3月1日、全国拡大ロードショー

「ライラの冒険」シリーズは、「黄金の羅針盤」に続いて「神秘の探検」、「琥珀の望遠鏡」と3部作となっています。実際に会って話を訊いたクリス・ワイツ監督によると、映画版の続編製作はあくまで一作目のヒットいかんにかかっているらしく、彼の表情にも緊張の色が伺えました。ちなみに、彼の兄であり『アバウト・ア・ボーイ』の共同監督でもあるポール・ワイツはただいま大ヒット・ファンタジー「ダレン・シャン」シリーズの映画化を進めている模様です。

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『ノーカントリー』

アカデミー賞 作品賞、監督賞、助演男優賞(ハビエル・バルデム)、脚色賞、獲得!

300文字レビュー」とは、映画への想いをたった300文字に凝縮させる、とてもお手軽な文系スポーツ。というわけで、今回のお題は『ノーカントリー』です。

この素晴らしき黙示録の世界で

80年代、テキサス。狩りの途中で無数の死体と大金を発見したモスは、衝動的に金を持ち去る。案の定、それを追って動き出す奇妙な殺し屋がひとり。彼の行く先で罪なき大勢が犠牲となり、また事件を追って老保安官までもが動き出すが…。コーエン兄弟の最新作は音楽や台詞をそぎ落とし、静寂の中でボシュッボシュッ(*)という音がこだまする。ヤツだ!ヤツが来た!このおかっぱ頭の殺し屋は、もはやハビエルにとって一世一代の当たり役。彼のもたらす緊張と弛緩が観客を極限まで翻弄する。モスは言う。「ヤツは悪の根源なのか?」いや違う、恐らく彼は悪でもあり、神でもある。そして、その得体の知れなさこそ、まさにこの映画。コーエン兄弟流の黙示録へようこそ。

(*)これがなんの音かは、口が裂けても言えません。

●より詳しい長文レビューはこちら

●『ノーカントリー』についての井戸端会議はこちら

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ノーカントリー
監督:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
出演:トミー・リー・ジョーンズ、ハビエル・バルデム、ジョシュ・ブローリン、
ウディ・ハレルソン、ケリー・マクドナルド
(2007年/アメリカ)パラマウント/ショウゲート
3月15日(土)シャンテシネほか全国ロードショー

『ノーカントリー』の原作は、コーマック・マッカーシー(「すべての美しい馬」など)による「血と暴力の国」です。お馴染み“このミステリーがすごい”最新版では12位にランキングしたこの奇妙な物語も、ひとたびコーエン兄弟の手にかかると久々に『ファーゴ』をも思わせる暴力と、可笑しさと、そして哀しいほどに人間味あふれる傑作に仕上がっています。

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『バンテージ・ポイント』

 初期イメージとしてはパッとしない。そのポスターもDVDスルーを免れたB級アクションのような雰囲気が充満している。舞台は何かの政治サミット。「テロに対抗するための歴史的な第一歩です!」的な白々しい実況レポートが生中継される中、各国のお偉方の集まったセレモニーが幕を開ける。このご都合主義のビミョーな設定が典型的なハリウッドの常套手段のような気がして「ああもう、いいよ!」と萎える。上映時間はあと90分あまり。チラッと時計を見て、いくばくかの徒労感に襲われる…だが、その矢先、スクリーン上でとんでもないことが勃発する。

 大統領暗殺。そして大規模な爆弾テロ。

 まるで『大統領暗殺』+『キングダム』のような展開!そしてハリウッド風ありきたり映像を木っ端微塵に吹き飛ばした後に訪れたのは、なんと驚愕の“巻き戻し映像”だった!

キュルキュルキュル!!!

戻っていく映像!なんだこりゃ!チープ過ぎるじゃないか!そして巻き戻った先に立っているのは、また違った登場人物。いまここから、新たに彼(彼女)の視点で事件が始動するのである。

 そこでようやくこの映画の目論見が分かる。なんと90分足らずの上映時間の中、核となる8人の目撃者の<視点>で暗殺事件をリプレイしていこうというのだ。冒頭にはテレビ局プロデューサーの視点で<事件の外観>が描かれ、次に大統領のボディ・ガード、ハンディカムを手にした旅行者、見るからに不審な謎の男…といった具合に、より<ディープな視点>へと侵入していく。そして視点が切り替わるごとにバナナの皮を剥くように驚くべき新事実が明らかにされていくのだ。

 とはいっても、「暗殺」→「悲鳴」→「大爆発」のパターンを何度もリプレイされるとそのうち飽きてくるはず。キュルキュルと巻き戻しが始まるごとに、ああまたか!と幾ぶん食傷気味になりそうなものだが、これがまた、ちょっとした視点の違いで圧倒的にスピーディーな展開が巻き起こり、あれよあれよと言う間に観客は、ええ!いったいどうなっちゃうの!?と全速力で翻弄されてしまう。肝心なのはストーリーではない。見せ方だ。いい意味で「乗せられてるなあ」と思いきや、やっぱり面白いものは面白い!

 もうちょっときちんと解説すると、『バンテージ・ポイント』はここ数年のテレビドラマの急速な進化ぶりが映画への波及してきた結果といっていいだろう。たとえば『24』が<1日>というフィールドを1時間ごとの時間軸で横に切り取り、全24回話を“時間の断面図”として語っていくのに対し、『バンテージ・ポイント』はキャストの数だけストーリーを縦に分割する試みといえる。これをデ・パルマのように画面分割の同時進行で描いてもよかったのだろうが、そうすると観客にとって情報過多となってしまうことは映画界のこれまでの試行錯誤で明らかなので、分割された視点はそのまま小説の<チャプター形式>のように8人分が積み上げられ、その狭間に先ほどのキュルキュル巻き戻し映像が挿入されているわけだ。

 視点から視点へ、全力疾走でストーリーテリングのタスキが手渡されていく。果たして最終章への突破口を開くのは誰なのか?この映画のアンカーは一体誰なのか?

 キャストはシガニー・ウィーバーやデニス・クエイド、フォレスト・ウィテカーなど、あまりに渋過ぎるやつらばかり。それぞれが一人勝ちな役どころを持っていくのではなく、あるものはアクションを担い、あるものは人間的な感情を担い、あるものは復讐心を、そして弱い部分を…などなど、個々の人間性があくまで部品として組み合わさって、最後にはひとりの人格を立ち上げていくような、この合体ロボット的な「ガチャーン!」という手ごたえが何よりも心憎い。

 そして忘れてはいけない、登場人物は8人だけではない。この映画に金を払い、劇場の客席に腰を下ろした瞬間から、あなたは最も重要な<9人目の視点>を担うことになる。そして“客観”に肉薄したその立場から、最終的に他の8人の視点を組み合わせることで、あなたの頭の中にだけ事件の最終構造が出来上がっていくという寸法。

 そういう意味でも、真の<バンテージ・ポイント(優位な視点)>に立つのは、紛れもないあなた自身なのである。

バンテージ・ポイント』は、3月8日(土)よりサロンパス ルーブル丸の内ほか全国ロードショー

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『4ヶ月、3週と2日』

 1987年のルーマニアで、違法堕胎に踏み切る女性と彼女を助けるルームメイトの物語…などとストーリーを俯瞰してみたところで、この映画の面白さは1パーセントだって伝わらない。

 僕ら現代人は、人として生きていく上での想像力が乏しくなったと言われて久しいが、2007年のカンヌでパルムドール(最高賞)を受賞した『4ヶ月、3週と2日』は、まさにその、観客の“想像力”を試すための作品と言い得るのではないだろうか。

 余計なナレーションなど存在するはずもない。映画が始まると同時に、僕らは圧倒的な状況描写へと押し込まれる。とある寮の一室。ふたりの女性が慌しく朝の準備に追われている。「いいわね?」「うん、わかった」とやり取りが交わされるが、観客には何のことだかさっぱり分からない。中にはこの時点で取り残されて途方に暮れる人だっているかもしれない。でも大丈夫。これはルーマニアが生んだ新鋭、クリス・ムンジウ監督の仕掛けた通過儀礼のようなものだ。僕らはこの圧倒的な朝の海に投げ出されることによって、我を忘れて必死に映画の流れにしがみつこうとする。彼女たちの会話、細かな動き、用意している道具にグッと神経を集中させ、いま何が起こっているかを状況把握しようとするのだ。

 そうしてハッと気がつくと、僕らの意識はいつの間にか、80年代のチャウシェスク政権下ルーマニアに入り込んでいる。

 この時代、ルーマニアでは労働力確保のために出産が奨励され、逆に避妊は禁じられていた。そして妊娠中絶なんてもってのほか。見つかると厳しく罰せられたという。彼女たちは今日、どうやらその法を犯そうとしているらしいのだが、映画の中ではそんな具体的な説明などまったくない。主演女優が親友のため、何かに怯えながら粛々と手はずを整えていく姿を見て、僕らは必死に想像力を働かせるだけだ。いったい彼女の身に何が起こっているのか。この計画が失敗すると彼女たちはどうなってしまうのか。カメラはダルテンヌ兄弟の映画のように、ただ淡々と、彼女たちの行動を追い続ける。たどり着いたホテルの一室。大きな鞄を抱えた謎の男。そして「約束が違う!」と怒り出す男。法の外に足を踏み出した彼女たちに、もはや選択の余地など存在しない。そして主人公は親友のために、あるひとつの決断を下す…。

 カンヌ授賞式の生中継を見ていて、クリスティアン・ムンジウ監督の若さに驚いた。彼はいま39才。それに対して、この映画のメイン女優ふたりはまだ20代の現代っ子。彼女たちは監督に「主人公の下す決断が信じられない」と相談したそうだ。「なぜ主人公は、たかがルームメイトのためにあそこまで身を捧げられるたのか…?」と。監督はこう答えたそうだ。

 「あの頃は、そういう時代だったんだ」

 もう一度言っておく。これは隠居したお爺さんの回顧録ではない。時代は1987年、ムンジウ監督が20歳前後の頃が舞台なのだ。たかだか10年くらいの歳の違いで、これほどまでにギャップが生まれてしまうこの国の状況に言葉を失ってしまうと同時に、ムンジウ監督が放った言葉の重みに改めて圧倒される。僕らが同じ言葉を口にするなら、せいぜいバブル期のフィーバーぶりくらいが精一杯に違いない。

 そしてこの映画は妊娠中絶に関して何かのメッセージを伝えようという類の作品では毛頭ない。子宮に宿った小さな命が原因で激しく苦悩する主人公たちをフィルムに刻みながらも、「4ヶ月、3週と2日」を生き抜いた果てにまるで物のように取り出されて床に転がった小さな亡骸からも決して目をそらすことはない。やはりすべては“状況”なのであり、そこから何を感じるか、その一切はすべて観客に託されているのだ。

 その意味でも、本作の最後の一瞬から目をそらさないでほしい。いよいよエンドクレジットへ暗転しようという直前、主人公が観客に向けてふいに視線を投げかけるのだ。本当にさりげなく、チラッと。

 来日したムンジウ監督によると、これは「あなたはどう思う?」という観客への問いかけなのだそうだ。僕はこの視線にもうひとつの役割を見出したい。それは、僕らが113分、ずっとかけられっぱなしだった映画の魔法から覚醒するための、いわば“目覚めの呪文”なのだと。彼女がこちらを振り向いた瞬間、観客の“主観”は再び“客観”へと引き戻される。その一瞬のささやかな仕草によって、僕らは無事に2008年の日本へと帰還を遂げるというわけだ。

 “歴史”は上書きされるたびに過去となるが、生々しい“状況”を封じ込めたこの映画に過去なるものは存在しない。『4ヶ月、3週と2日』に与えられた宿命とは、これから10年後も20年後もフィルムが回転するたびに「進行形の物語」として観客の想像力を起動させ、そして変わらず「あなたはどう思う?」と問い続けることである。

4ヶ月、3週と2日』は、3月1日より東京・銀座テアトルシネマ他、全国順次ロードショー

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『ザ・フィースト』

 3月よりシアターN渋谷ほかにて劇場公開される『The FEAST/ザ・フィースト 』というパニック・ホラーを観た。

 有名俳優などいっさい登場しない本作は、インディーズ精神を地で行くノリ&強引さで突っ走っている割には、何か得体の知れない強力な磁場のようなもので観客をグイグイと惹きつけるものがある。どうやらマット・デイモン&ベン・アフレックが脚本にほれ込んでプロデューサーを買って出て、その製作過程は「プロジェクト・グリーンライト」というテレビ番組で総力レポートされたらしい。

 マット&ベンは来日するたびに「ふたりのコラボは?」との問いに「いまは時間が取れないけど、いつか実現させたい」なんて答えていたけれど、『グッドウィル・ハンティング』で世界を大いに泣かせた彼らが実は裏でちゃっかりこんなパニック・ホラーをこしらえてたなんて、なんだか悪ガキ坊主たちの華麗なる悪戯を目の当たりにしたみたいで思わず笑ってしまう。もちろん悪ガキには保護者(?)が必要ってことで、あのホラーの名匠ウェス・クレイブンまでもが面白がってプロデューサーとして企画に名を連ねているあたり、なかなかあなどれない。

 映画の舞台は、とある寂れた酒場。

 エイリアンなのか化け物なのか分からん恐怖の生命体親子がここを急襲し、見るからに頭の悪そうな常連客が、阿鼻叫喚の地獄絵図へ巻き込まれていく…。

 と、突如、頼りになりそうな風貌の男が店に飛び込んでこう叫ぶ。

 「奴らがやってくる!おれの指示をよく聞くんだ!」

 テンポよくテロップで彼の人物紹介が入る。

 ヒーロー

 なるほど、彼がヒーローか。彼がみんなを率いてバケモンと闘うのか…なんて思いきや、次の瞬間にはヒーローの断末魔の叫びが酒場にこだまする。あっという間にバケモンにやられてしまった。ヒーローの強制退場。残された者たちはただ唖然とするしかない。

 つまりこの映画は最初から「ヒーロー不在」なのだ。本命不在のまま迎える代表選挙みたいなものか。果たして彼らが目指すのは“カオス”か“希望”か。

 華のない俳優たちがストーリー上の生き残りを賭けて闘う姿は、さながら「俺が!俺が!」と芸能界生き残りを賭けて最後の闘いを繰り広げるバトル・ロワイヤルのようでもある。「子供」は死なない?「老人」は生き残る?「バカっぽい女性」は真っ先に死ぬ?「偉そうな男」はいちばん悲惨な死に方をする?そんなホラー映画の使い古された定石を、『スクリーム』顔負けの(正直、そこまでは行かないまでも、“意欲”だけは認めてあげよう)貪欲な斜に構えた精神でことごとく解体していくのだ。

 中盤、俳優のひとりが俄然やる気を見せる。
となると、テロップも態度を豹変させて、キャラの肩書きがこう変更される。

 「ヒーロー2

 それは役者が主役級に格上げされた瞬間だった。目の前で暴れるバケモンをよそに、この俳優の前で運命がパアッと花開いたような感じだ。これは俳優たちにとってパニック・ホラーというよりもむしろ公開オーディション「アメリカン・アイドル」に近いのではないか。

 こんな感じで、「うぉー!」とか「ウギャー!」とか、ロバート・ロドリゲス的なテンションを爆発させながら、『スクリーム』的なメタ・ホラー&サム・ライミの『死霊のはらわた』的なチャレンジ・スピリットがムチャクチャ低次元で結実したような、思わぬ拾い物ムービーだったわけだ。

 あ、モンスター・パニックなのに、肝心のバケモンのことに触れてなかったな…2本足で立って(この時点で着ぐるみなのは丸分かり!)、エイリアンっぽくも、バタリアンっぽくも、ナウシカの巨神兵っぽくもある…まあ…すごい怖い…しっかもあまりにエゲツない方法で家族を増やしたりもする…とにかく獰猛なヤツっすよ!!(←無駄に“!”を一個多くつけてみた)

 オエッときたり、呆れたり、爆笑したり、呆れたり…。間違っても絶賛はしないが、でもどうだろう、こういうバクチ打ちみたいな映画が出てくるあたりが、実はアメリカ文化本来の野太さであり、懐の深さなんじゃないだろうか。

 本作は既に『フィースト2』『フィースト3』の製作も決定している。それらが日本で劇場公開されるかどうかは分かりゃしないが、とりあえず一作目くらいはちょっと間違って拾い食いしてみて、あなたの武勇伝をいたずらに更新させてみるのも一計だろう。

 3月は、アカデミー候補作や映画祭受賞作などで、とにかく優等生っぽい映画の多い季節。個人的にはこんな時こそ、『ザ・フィースト』や『デッド・サイレンス』といったB級ホラー・ムービーをも同時に摂取して、映画に対する平衡感覚を極力保ちたいものです。

無性に元気の出るB級映画って大好きだー!

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ザ・フィースト』は、3月22日よりシアターN渋谷、新宿ジョイシネマほかにてロードショー

やっぱり、どうしてもこの映画のことを思い出さずにはいられませんでした!愛すべきB級映画!

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